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鈴懸の章7

 重い扉を開くと、中から埃っぽい空気がぶわっと溢れ出してきた。織は思わず鼻と口を手でおおってしまったが、空気の汚さよりも目の前に広がる光景へ意識は向いていた。  灯りのない広い部屋の中に――ぽつんと祠のようなものがたっている。それだけなのに、本能的な教父を感じてしまって、織はその場から一歩も動けなかった。しかし、詠は構わず祠に近づいてゆく。 「よ、詠……!」 「織様。織様は、そこでみていてください。もしも私に何かあったら、すぐにこの部屋から出て扉を締めて、逃げてください」 「そ、そんな……」  男の自分がこんなにも怯えてしまって情けないと思った。自分のためにあんな得体のしれない祠に近づいてゆく詠を、目で追うことしかできない。 「……!」  いかなければ。このままだと、詠を一人で危険な目にあわせてしまうかもしれない。自分も、詠の隣へ――そう自らを奮わせたそのとき。すっと織のとなりから、鈴懸が離れてゆく。そして、「この娘のことは任せろ」と言って、詠のもとへ近づいていった。  結局、この場から動き出すことができず、織は自己嫌悪する。しかし、鈴懸が行ってくれたなら、安心してもいいかもしれない。あの神様は、うるさいやつだが力は本物だ。鈴懸は詠に見えていないが、これならば詠があの祠から邪神めいたものがでてきたとしても襲われることはないだろう。 『白百合(しらゆり)様、白百合様、お応えください――』  織が固唾を呑んで見守る中、詠が祠に祀られている神へ語りかけ始める。祠に祀られている神の名は、「白百合」というらしい。 「……え、」  詠が、静かな声で白百合に語りかけていた時だ。さら、と詠の髪の毛が揺れた。この地下は無風のはずで、風など起こるわけがない。詠の髪が勝手に揺れるわけがないのだ。  ――しかし。風が、起きていた。ゆっくり、祠を中心とするようにして風が生まれ出す。そして、次第にその風は強くなっていって、部屋の中に竜巻が巻き起こった。祠に着いていた鈴ががしゃがしゃと煩くなり始め、目を開けていることが難しいほどの強風が詠を襲う。 「え――」  織も、たまらず目を覆った――が、風はすぐに止み、部屋に静寂が訪れる。そして、響くのは呆けてしまっている詠の声。 「――何を驚いている、人間。其方(そなた)(わらわ)を呼んだのであろう?」 「し、白百合……様……!?」  織も、驚いた。詠の前に――突然、美しい女が現れたのだ。 「妾の名は白百合。人間は邪神だと言って妾をここへ封印したが――わざわざ、呼んだのか。モノ好きな娘もいたものだなあ」 「あ、あの……! 白百合様。私――」 「おやおや、めずらしい顔もある。鈴懸と――それから……」  真っ赤な着物、長い金の髪。つり目気味の瞳は、さながら狐のよう。美しさのあまり不気味さすらも感じさせる彼女は……ちらり、と織に視線を移す。バチりと目が合ってしまった織は思わず目を逸らしたが、時すでに遅し。白百合はにいっと笑って、その目を爛々と輝かせた。 「咲耶(さくや)か。咲耶の魂が、そこにある。そこの青年――其方は咲耶の生まれ変わりか」 「え――?」  ――咲耶?  聞きなれない名前に、織は首をかしげる。詠も、白百合の言葉の意味がわかっていないようで、ぽかんと織のことを見つめていた。  白百合はくつくつと笑い出すと、からんころんと下駄を鳴らして織のもとへ近づいてゆく。邪神と呼ばれる白百合が近づいてくることへ危機を覚えたが――白百合からは、殺意のは感じない。織がごくりと唾を飲んで、黙って白百合のことを見据えた。 「ふふ、男として生まれ変わったか、咲耶。どうだ、おまえ――何匹の妖怪と交わった?」 「は――?」 「咲耶の生まれ変わりなら、さぞ妖怪に好かれただろう。妖怪に抱かれたのではないのか? てっきり、其方も妖怪との姦淫に耽っていると思ったが……」  ――何を、言っているんだ、この女は。  織は、白百合の言葉が全く理解できず、困惑した。 「妖怪と姦淫している」などと言われたことは、非常に腹が立つ。男としての誇りを傷つけられたように感じたから。しかし、怒りを覚えるよりも先に、織は疑問を覚えた。 「妖怪に好かれている」、と白百合は言う。そして、「咲耶の生まれ変わりなら」と。つまり、今まで妖怪に襲われていたと思っていたのは、妖怪に好かれていたのであって、そしてその原因は自分が「咲耶」という女性の生まれ変わりであるから、ということになる。 「あ、あの……! 咲耶という方は、一体――」 「なんだ、何も知らなかったのか。それでよく今まで無事でいられたなあ。いいぞ、教えてやろう。妾の知る限りの、咲耶という女のことを――」  織は、迷わず白百合に訪ねた。もしも、咲耶という女のことを知れたなら――これから、妖怪に追われることがなくなるかもしれない。この生活から、抜け出せるかもしれない。  白百合は、微笑みながら口を開く。そして――静かに、「昔話」を始めた。

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