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水色の章7

 本当に呪いを解くことができるかどうかは不明だ。ただ、女性が呉須の池について何かを知っていて、そして女性の身に起こっている不可思議な現象が咲耶と関係する妖怪によるものであるのなら、女性の呪いをどうにかできるかもしれない。妖怪の咲耶への想いを鎮めることによって、その妖怪の持つ負の感情を浄化できるかもしれないからだ。  呪いを解くことができるかもしれない、それを織から聞いた女性は少し落ち着きを取り戻す。織を家の中へ入れてくれた。 「……あの池には、伝説がありました。昔、母から聞かされたものではあったのですが……」  家の中は、すさまじい荒れっぷり。腐った食べ物、たかる蝿。たまったゴミと脱ぎ散らかした着物。あまりの汚さに、織は蕁麻疹がでそうになった。悪臭も鼻をつくが、そうして家の中が荒れ放題になっているのは女性の精神状態が芳しくないからだ、と思うと不快感よりも憐れみの感情のほうが強くなる。何がこの女性をこうさせてしまったのだろう――織は女性の話に耳を傾ける。  呉須の池の近くには、昔、小さな村があったらしい。土地柄、穀物や家畜が育てやすく、上等な食料をつくることができたそうだ。そんな村であったから、ある日、盗賊の襲撃にあってしまった。村中の男が殺され、子どもは売り払うために捕らえられ、そして――女は、犯された。  村の女たちは、多くが盗賊の子を孕んでしまった。しかし、堕胎など母体に大きな負担をかけてしまう。女たちは憎き盗賊の子を出産し、そして、精神を病んでしまった――そして。産んだ子にも、憎しみを抱いた。男を、子どもを殺した盗賊の血の通った子どもなど、顔も見たくなかった。だから――捨てた。女たちは、産んだ子をすべて、呉須の池に捨てたのだ。 「呉須の池には、捨てられた子どもの怨念が溜まっていると言われていました……ただ、それは本当のことなのかはわかりません。ただ、伝承として残っていた」  呉須の池という場所に伝わる伝承を、女性は話してくれた。それを聞いて、織は納得する。もしもその伝承が本当にあった出来事ならば、白百合が「危険な場所だ」と念押しした理由がわかる。罪もない子どもがたくさん捨てられた池など、すさまじい呪念が渦巻いているに違いない。  これは本当に危ない目に合いそうだ、と織は頭が痛くなった。これからその地に向かうのかと思うと、怖かった。織が黙りこんでいれば、女性はさらに口を開く。 「……そして、私も……あの池に、子どもを捨てました」 「えっ」  女性はかたかたと震え、えずきだす。 「……父に、孕まされた。頭のおかしい父だった。13歳のある日、私は――父に、孕まされたんです」 「……、」   「産まれるときは、死ぬかと思った。なんであんな男の子を、こんな想いをして産まなければいけないのかと、あてもなく、憎しみを抱いていた。父を殺したいと思っても、父は母に殺されていた。そして母は自殺した。私は恨む相手がいなかった。憎しみはすべて――産まれた子どもに向けた」 「……そして、その子を、」 「そう、捨てました。産まれた瞬間に、体を引きずって呉須の池に捨てにいきました」  うつむき、自分の体を抱きしめ。か細い声で、彼女は告白した。あまりにも凄惨な話に、織は上手く言葉を紡ぐことができなかった。ぐ、と黙りこんで、震える彼女を見守ることしかできなかった。 「――そのときからだった。私のまわりで、おかしな現象が起こり出し始めました。何もないところで転んだり、家の中の物が勝手に動いたり。私は、悟りました。ああ……捨てた子に、呪われてしまったのだと。そして、やっと気付きました。やってはいけないことをしてしまった、と」  泣き出した彼女に、織はそっとハンカチーフを差し出した。そして、悩む。話を聞く限り、彼女の身に起こっている現象は、呉須の池の呪いではない。これでは自分では解決しようがないな……と。「呪いを解ける」と言ったからにはどうにかしたいと思っていた織は、なにか解決策はないかと考えてみたが……ふと、鈴懸が織の耳元に唇を寄せてきた。 「その女に憑いているのは、たぶん捨てた子の怨霊じゃないぞ」 (えっ……?) 「おまえは見えていないか。まあ……みないほうがいいけどな。女に、すさまじい数の赤ん坊の霊の集合体が憑いている」 (集合体……?) 「人の形を成していない。ひとつに固まって、とてもじゃないが見れたもんじゃない姿になっている」 (……!)  鈴懸の言ってきた、女に憑いているモノ。想像しただけでも身の毛がよだつが――それどころじゃない。もしかして、その集合体というのが―― 「呉須の池の妖怪……!?」 「え?」  ひとつの、確信。妖怪は何らかの念の塊であると聞いたことがあるようなないような。この女性に憑いてるのは、捨てられた子どもの念が集まって生まれてしまった妖怪ではないだろうか。いや、それで間違いない。呉須の池の妖怪というのは、彼女に憑いているモノだ。  答えを得た織は思わず声にだして言ってしまう。鈴懸のことが見えていない彼女は織が突然声をあげたように見えているため、驚いていた。織はそれに気付き苦笑いをして誤魔化していたが、心の中では彼女を無事呪いから解放できるという確信から安心していた。 「織、でもソレ、たぶん本体じゃねえぞ」 「?」 「恐らく呉須の池の妖怪の、体の一部だ。その女に憑いている奴からは、意識を殆ど感じられない。本当にただ彼女にひっついて悪戯しているだけみたいだな」 (じゃあ……) 「どうにかしたいなら、やっぱり俺たちが直接呉須の池に足を運ぶ必要がある。妖怪の本体をどうにかしねえとな」 (なるほど)  彼女に憑いている妖怪というものは見えないが……鈴懸の言っていることは納得できるものだった。それなら早速呉須の池に行こうと織は立ち上がる。 「あっ、あの……どこへ」 「ちょっと外に。またお伺いしますね」 「えっ、ちょっと、……!」  彼女を助けてあげたいのもあるが、この土地から早く離れたい。今回の妖怪はあまりにも不気味すぎる。早く終わらせて関わりを絶ちたいというのが織の本音であった。  織は彼女から呉須の池の場所を聞き出すと、家を飛び出す。鈴懸も織と同じ想いだったのか、一切の文句を言わず織の横をついてきた。

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