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水色の章12

 妖怪の力によって体が異変を起こしてしまったからだろうか。織は儀式が終わってもしばらくぐったりとして動けないでいた。咲耶のかざぐるまの影響もすっかり解けてはいるみたいだが、あまりの倦怠感に鈴懸に身を預けるようにしてぼんやりとしている。 「貴方は、不思議な力を持っているのですね。咲耶に焦がれた魂を救うことができるなんて」  儀式を見ていた水色が、感嘆したように話しかけてくる。彼女は織の「体を交えることによって魂を救済する力」を讃えているが……鈴懸はどうにも素直にその言葉を受け止めることができない。ぶすっとしながら彼女の話を聞いていた。 「……本当に、俺は彼らを救えていたんですか」 「……え?」  もぞ、と鈴懸の腕の中で、織が身じろぐ。ぼそりとかすれ声で彼の発した言葉に、水色も鈴懸も驚いた。 「……あんなに、悲しんでいる魂を……俺は救えていたんですか」 「……でも現に私の子どもたちは、成仏できている」 「でも……!」  ずる、と鈴懸の体を頼りに織が体を起こす。その手は震え――そしてその瞳には涙を浮かべていた。  織は嗚咽をあげ、言葉を詰まらせる。織は元々人助けをしたがるような性格ではないと感じていた鈴懸は、今の織の言動に疑問を覚えた。咲耶のかざぐるまも正常に戻っているから、不可思議な力によるものではないはず。 「貴女の子どもは……捨てられて、…自分はいらない存在なんだって、嘆いて……ずっとこの水の底で、孤独で……」 「……なぜ、貴方がそんなことを言うの?」 「……あの儀式の間、あの子たちの想いがずっと、流れてきました……寂しいって、ずっと言ってた……」  しかし。震えながら水色に語った織の言葉に、鈴懸は悟った。  織は、あの妖怪たちの「寂しさ」に感化されてしまっていたのだ。自分も、周囲の人々から隔離された生活をしていたから。心を閉ざし、人との関わりから逃げてきたから。だから、妖怪たちの寂しさにあてられてしまった。 ――酷い、運命だ。  鈴懸はそう思った。  寂しさを押し殺してきた人間が、こんな儀式を強要されるなんて。「咲耶」に関わった妖怪たちはその心のどこかに悲しみを抱いて生きている。そんな妖怪たちと触れ合い、今まで逃げてきた寂しいという感情に無理やり向き合わされる。きっとこれから出逢う妖怪たちも、何かしらの悲しみを抱えているだろう。織は、何度も何度も、それらにぶつかっていくのだ。織は――そんな運命に、耐えられるのだろうか。 「――帰るぞ、織。もうここには用がないだろう。さっさとここから離れよう」  惨めで無様な織を、鈴懸は見ていられなくなった。うなだれる織の手を引いて、早くここから離れようと促してみる。  これ以上この弱い人間をいたぶってどうする。痛々しくて見ているだけで苛々してくる。そんな、想いから。織を慰めたいのではない、弱い人間の御守りに付き合う面倒から、鈴懸は逃げたかったのだ。そして――織が寂しさに喘いでいるところを見ると、妙に癪に障るから。  織が立ち上がり、鈴懸に引きずられるようにして歩き出す――その時だ。 「……あ、」  草陰から、誰かが表れる。既視感を覚えて記憶を手繰り寄せれば――それは、ここへくる前に出逢った、少女だ。妙な気配のした、あの少女。  少女はどこか寂しそうな目をして、よろよろと歩いている。織と鈴懸は思わずその様子にじっと見入ってしまった。少女は二人を無視して歩いて行くと、池のほとりにぺたりと座り込む。そうすれば。 「……巴、どうしたの?」  少女に優しく声をかけたのは、水色だ。まるで、娘に話しかけるように、優しい声色で少女――巴の名を呼ぶ。巴は水色の声を聞くなりきゅっと唇を噛んで――そして、泣き出してしまった。  巴のことが気がかりだった織と鈴懸は、泣いている彼女が気になってその場に立ち止まってしまう。なぜ泣いているのだろう。なぜ、水色が彼女の名を呼ぶのだろう。彼女は一体なんなのだろう。 「お花を、あげようとしたの?」 「……」 「でも、受け取ってもらえなかったの?」 「……」  巴は言葉を話さない。水色は巴の心を読むことができるのだろうか、彼女に話しかければ、それに反応して巴が頷く。  その姿は、とてもじゃないが異形のものには思えなかった。ぽろぽろと涙を零しながら水色に慰められている姿は、まるで人間の子どものよう。織はゆっくりと巴に近づいていって、水色に問いかける。 「……この子は、一体」  巴は近づいてきた織に気づき、瞳を濡らしながら見上げてきた。そして、寂しそうに唸って、織の脚に抱きついてくる。 「巴は――人間の子です。巴が赤ちゃんのときに、この池に母親から捨てられたのを、私が育てているのです」 「え……」 「巴は、今でも母親のもとに行きたいと思っているけれど……巴の母親は、巴を亡霊だと勘違いして巴を拒絶しているのです。でも巴は言葉を話せないから、本当のことを言うこともできず……ただ、何度も何度も母親のもとへ行く。そんな毎日を送っています」  水色から話された事実に。織と鈴懸は息を呑む。  産まれた赤子を捨て、その赤子の亡霊に祟られているのだと怯える母親に――心当たりがあった。あの、呉須の池のことを教えてくれた女性だ。望まぬ妊娠から、産まれた赤子をこの池に捨てた彼女。彼女は赤子に呪われているのだと言っていたが――巴は、そうじゃない。むしろ、子どもとして、彼女を慕っている。 「……その母親を、俺は知っています。でもあの人……自分の身に恐ろしい現象が起こるのだと言って自分の子どもを恐れていました。彼女の身に起こっていたことは、この子とは関係ないんですか?」 「……母親が巴をこの池に捨てたとき。もう成仏してしまった、私の子どもたちが彼女に取り憑いたのです。捨てられる哀しみを知っていた私の子どもたちは、彼女に対して良くない感情を持ってしまった。自分を捨てた母親に重ねてしまったのでしょう」 「じゃあ、この子は……自分は何もしていないのに、母親に疎まれているということですか?」 「そうです。むしろ、巴は彼女を助けようとしていた。私の子どもたちは、彼女を痛い目に合わせようとしていたから、巴は助けたいと思っていた。でも、巴には何も力がない。助けることもできず、ただ彼女を見守ることしかできない……それが、余計に彼女の恐怖心を煽っていた。「自分の周りを亡霊がうろついている」、と」  巴と、巴の母親に関する話。それは、あまりにも辛いものだった。実の母親に恐怖心を抱かれて拒絶されるなんて、子どもにとっては恐ろしく苦しいこと。織はそれを思うと胸が苦しくなってきて、泣きそうになった。巴の抱える孤独――それが、異常に心に滲みた。 「もう、巴の母親に私の子どもたちは憑いていないでしょう。貴方が、成仏させてくれたから」 「……俺は、何も……」  あのよくわからない儀式で、あの母親を怪異から救うことはできた。しかし……織は、「彼女を救った」と胸を張って言えなかった。だって、自分は何もしていない。ただ、わけもわからないままに嫌々あの儀式をやって、その結果あの母親を救うことができただけ。  何を、こんなに悩んでいるのだろう。儀式が終わったのだから、この地には用がないじゃないか、帰ってしまえ。  今までの織なら、間違いなくすぐにでもこの場を去っていた。しかし――目の前の、悲しんでいる少女を放っておけない。彼女の哀しみに、心が反応する。 「――織?」  織は巴の手を引くと、歩き出す。突然の彼の行動に驚いた鈴懸は思わず声をあげてしまったが。止める理由なんてものはなかった。  仕方ないと頭をかいて、鈴懸も二人の後ろをついていく。

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