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水色の章13

 あの女性の家に向かって、織は歩く。巴もおどおどとしながら、織の後ろをついて歩いて行った。そんな二人の様子を少し離れて眺めているのは、鈴懸。なにやら考えているようにじっと織の背中を見つめて、黙っている。  女性の家にたどり着くと、織は早速中に入っていこうとした。しかし、足元を見てはたと足を止める。玄関には、花びらがばらばらになった野花が散らばっていた。これが、あの女性に受け取ってもらえなかった花なのだと気づいたのだ。 「――そんなん拾ってどうすんだよ。もう花びらもついていないじゃねえか」 「……」  織はその花を拾って、もう一度一束にまとめる。そして、巴に持たせてやった。 「……今度は、受け取ってもらえるといいね」 「……、」  織が話しかければ、巴が少しだけ嬉しそうに、こくりと頷く。織の言葉は、どこか覚束ない。誰かに優しい言葉などかけたことがなかったから、どういった声の調子で言えばいいのかわからなかったし、言葉も上手く紡ぐことができなかったのであろう。それになんとなく勘付いていた鈴懸は、思わず苦笑いをしてしまう。  巴が怖気づくなか、織はゆっくりと扉をあけた。そして、「すみません」と奥に向かって声をかけてみる。 「はい――……」  そうすればげっそりとした様子の女が、ゆらゆらと現れた。女は再び現れた織をみて不思議そうな顔をしたが……その後ろに隠れるようにして立っていた巴を見て、「ひっ」と声をあげる。 「あ、ああ……あああ……」  女の声が、震えた。やはり、巴に対して恐怖を覚えているようだ。みるみるうちに顔を青ざめさせてゆく彼女は、次第に目線も定まらなくなっていき正気とは言いがたい様子になってゆく。 「なんども、なんども……そんなに私が、憎いの」 「え……」 「もう、許してよ、……もう、おねがいだから、ゆるしてよ、……」  女の手が、ゆらりと動く。その先には――鉈。女は鉈を手にとって、なんとそれを巴に向けてきた。  もはや、女は巴のことを「化け物」としてしか見ていない。女は「子どもに刃物を向けている」という認識はないだろう。自らを襲う化け物を追い払うのだという顔をして、迷わず巴に鉈を向けてくる。 「……ま、待ってください……!」  織は慌てて巴をかばうようにして女の前に踊り出た。ここで巴を傷つけるわけにはいかない。そして、女に自らの子どもを殺させるわけにはいかない。 「織――!」  鉈が、振り下ろされる。突然の事態に鈴懸は慌てて織のもとへ駆け寄った。このままだと鉈は織に直撃し、運が悪ければ死亡、良くて重傷を負ってしまう。たった一人の見ず知らずの子どもを救おうとして、何を危ないことをやっているのだと、鈴懸は怒りにも似た気持ちを抱いた。  しかし――間に合わない。鉈が織の顔面を切り裂く映像がさっと頭に浮かんできた鈴懸は、吐き気すらも覚える絶望を感じた。  鉈の刃が、織の目の前までやってくる。それでも織はどけなかった。巴と、この女のために。恐怖に震える拳をギュッと握りしめて、かすれ声で叫ぶ。 「待ってください……! この子は、貴方の娘です……! 死んだんじゃない、この子は、生きている!」 「――……!?」  ぴっ、と血が地面に飛び散った。は、と息を呑む鈴懸の視界に、血のついた鉈の刃が映る。  鈴懸はひゅ、と息を呑んだ。まさか、切られたのか。さすがに蘇生術なんてものは使えない鈴懸は、慌てて織のもとへ駆け寄った。ここで織に死なれたりでもしたら、彼を生き返らせる術などない。なぜここまで自分が焦っているのか、鈴懸はわからなかったが……必死に、走る。 「……っ、」  切れたのは、織の額――それだけだった。皮膚が薄い部分であるから、少し切れただけでも出血してしまうらしい。だらだらと血を流してはいるが、生死には問題がないようだった。 「……この子は、ずっと母親である貴女のもとへ行きたがっていたんです」 「……そんな、……ありえない、……ありえない」  織のこめかみには、脂汗が浮いている。目の前まで凶器が迫ってきたのだ、すさまじい恐怖を覚えたのだろう。それでも織は、巴をかばった。一歩たりとも引かずに、巴の盾となったのだ。  女が、がくりと座り込む。巴が命を持っているとすぐには受け入れられないようだったが、織の言動からそれを嘘だとは思えなかったのだろう。ちゃんと、肉体も持っている、血の通った肌の色をしている。巴がこの世のものであるということは、ありえないことではない。 「……ほんとうにあなたは、私の子どもなの……? 生きているの……?」  自分が捨てた子ども。その少女が、こうして自分の前にいる。罪の意識が沸々とこみ上げてきて、女は涙を流し始めた。あのとき、巴が渡そうとしてきた花束を破壊したことを、愚かだと思った。  項垂れて、泣き始める女。そんな彼女をみて、織は気が抜けたのだろう。ふら、と一瞬意識が薄れて倒れそうになった。凶器によって殺されかけるという、凄まじい恐怖に見舞われた後遺症だ。貧血を起こしたような感覚に陥って、背中から倒れていったが……それを、鈴懸が抱き留めた。 「ん、……」 「無茶するなよ、バカかおまえ」  鈴懸はため息をついて、織を見下ろす。織は鈴懸の腕に抱かれながら、ぼんやりと女と巴を見つめていた。 「……、」  巴が、女に花束を渡す。女は戸惑いながらも、それを受け取った。不安げな顔をしていた巴は、女に花束を受け取ってもらえたからか嬉しそうに笑う。女はそんな巴を見て、ぐ、と唇を噛んだ。 「……ああ、笑うと、えくぼができるんだね……私も母に、えくぼが可愛いって言われたなあ、……」  震える手で、女が巴の手に触れる。そして、ゆっくりと抱きしめた。小さなその体に縋り付くようにして、声をあげて泣き出してしまう。  巴は泣き出してしまった母親の頭を、よしよしと撫でていた。一生懸命に撫でていた。  織はそんな二人を眺め――安心したように、はあ、と息を吐いた。

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