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水色の章14

「まったく……無茶するなよ。あやうく死ぬところだったじゃねえか」  その日、織と鈴懸は村の宿に一泊することにした。この場所に留まる必要はないのだが、織の体力が限界を迎えていたためだ。  当然のように布団は一組しか用意されていなかったのだが、もはや文句を言う気力もなくて、織はすぐさま横になってしまう。随分と疲れた様子だな、と鈴懸は半ば呆れ気味に布団の横に腰を下ろした。 「他人のことになって首を突っ込まない奴じゃなかったか、おまえは」 「……うるさい。なんとなく放っておけかっただけだ」 「ああ、そう。おまえが死ななければ俺は構わないんだけど。おまえがいないと俺が現界できないから」  不貞腐れたように丸まって布団を被っている織を、鈴懸は見下ろした。きっと、織は自分でもなぜあんな行動をとったのかわかっていない。今までの自分ならあんなことをしなかったのに、なぜ……そう考えているのだろう。 「……とにかく。織、おまえ、ちょっと顔みせろ」 「……は?」  織の心の中で、何か変化が起きている。たぶん、そう。    鈴懸はそれを悟ったが、そのことについては触れようとしなかった。織がどうなろうが知ったことではないからだ。  しかし、ひとつ。気になることがある。鈴懸が声をかければ織は渋々ながらも布団からちょこんと顔を出してきた。鈴懸はじっとそんな織を見下ろして、言う。 「額の傷。一日や二日じゃ治らないだろうな。もしかしたら、残るかもしれない」  鈴懸が気になっていたのは、女につけられた、織の額の傷だった。もしもこれを碓氷家の者に見られたりでもしたら、もう織は旅に出ることができないだろう。そうなると鈴懸も困るのだ。旅の中で織の中の鈴懸への信仰を強めていかなければいけないのだから。  だから。 「……治してやる。ありがたく思えよ」 「はっ? な、何、何する……」  鈴懸は織の後頭部に手のひらをあてるとぐっと織の頭を持ち上げて。そして、織の前髪をかきわけ、現れた額の傷をべろりと舐め上げた。 「ッ!? ~~っ!?」  突然そんなことをされたものだから、織は驚いてしまって思い切り鈴懸を突き飛ばしてしまう。鈴懸には儀式の際に散々体を触られてはいるが、こうして正気を保っているときに思い切り触れられたことはない。いや、鈴懸だけではない。他人に肌を舐められたことなど、なかった。  鈴懸は突き飛ばされて大層不満げな顔をしていたが、織のそういった事情もわかってはいたため、文句は言わない。じろ、と織を睨み、もう一度詰め寄ってゆく。 「傷を治すだけだって。大人しくしてろよ」 「は、破廉恥だぞ……! そ、そんな治し方……!」 「何を言っている。この神聖なる俺様が治してやるって言ってるんだぞ。破廉恥なことなんてない。静かにしていろ」 「で、でも……うっ、」  鈴懸が自分の傷を舐めて治していたのを思い出し、決して彼がふざけているわけではないと織は思い直す。しかし、舐められるというのには抵抗があるもの。我慢しろと言われても難しい。  しかし。鈴懸はそんな織の抵抗をかいくぐって、今度は織を押し倒し、その上に覆いかぶさるようにして額に唇をあてる。手首をがっちりと掴んで、織が抵抗できないようにして。 「ひゃっ……、あ、……」  鈴懸は傷を丁寧に、舐め始めた。織はぎゅっと目を閉じて我慢しようとしていたが……存外に、嫌な気分にはならなくて体の力を徐々に抜いていく。掴まれた手首は多少痛むが、体にのしかかられて与えられる圧迫感とか体温とかはどちらかと言えば心地よく、頭のなかがぼんやりとしてくる。そして、舐められている額は……気持ちいい、かもしれない。  儀式の中で体を重ねているうちに、触れられることに体が慣れたのだろうか。いや――そうではない。きっと、他の誰かに同じことをされたら、体は拒絶するだろう。 「……抵抗しないから、……手、離せ……痛い」  鈴懸だから、いい。いつの間にか彼との間につくっていた壁が、なくなっているような気がする。触れられても、違和感を覚えない。  鈴懸に手を解放されても、織は鈴懸を突き放そうとはしなかった。むしろ……そっと、鈴懸の背に手をまわして、弱々しくながらも抱きついた。 「……っ!」  抱きつかれた瞬間。鈴懸は息を呑む。そして、ぱっと頭をあげて織の顔を覗き込んだ。 「な、なに……」 「いや……なんでも、ない」  自ら抱きついてくる?そんな馬鹿な。この人間は、他人の熱に怯えているはずなのに。織の行動に疑問を覚えた鈴懸は織がまだ咲耶の念の影響を受けているのではないかと疑って、顔を覗き込んだのだった。しかし、瞳はしっかりと生きていて、正気のようす。  この行動が織の自らの意思によるものだと気付いた鈴懸は、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。 「あっ、」  気にしないフリをして、もう一度織の傷を舐める。  正直、かなり動揺していた。織が、自分に心を許し始めているのではないか……そう考えると気が狂いそうになった。あの、自分の外側全てを拒絶する、孤高の青年。そんな彼が、自分を受け入れている……なんて、ありえない話。  本当に彼は自分に心を許しているのだろうか。どこまで許しているのだろうか。  鈴懸は色々と気になりはじめて、ゆっくりと手を動かす。たしかめて、みたい。 「ひゃっ……、え、……ちょ、……」  こみあげた衝動が、鈴懸を奮い立てる。そろりと手のひらを、着物のなかに差し入れた。そして、ゆっくりと、胸を撫でてやる。 「こ、これは……治療に関係あるのか!」 「……さあな」 「さあなじゃない! やめっ……んんっ……」  そういえば、この胸からこいつは母乳を出したんだっけ。もやりとそんなことを思い出して、鈴懸は織の両方の乳首をつまみあげた。もちろん、妖怪の力が抜けた今、母乳なんてものが出ることはないが……こころなしか、ぷっくりと膨らんでいる。きゅううっと根本から引っ張ってやれば、織はビクンッ、と腰を跳ねさせて甲高い声をあげた。 「ちょっ、……あっ、……んっ、……んん……だめ、……」  乳首を弄られて、織の体は敏感に反応してしまう。儀式のときの快楽を、体が覚えてしまったのだろう。乳首も感じるようになってしまっていた。  だから、織の反応は実に淫靡なものだった。「いや」と口ではうわ言のように言っているが、顔はとろとろ、足腰はがくがく。乳首にきゅっと刺激を与えられるたびに「んぅっ……」と篭ったような甘い声をだして、仰け反る。鈴懸も思わず魅入ってしまって、手を止めることができなくなってしまった。 「あっ、……だめ、……イッ、……」  しつこつ乳首を弄られて、織は懇願するように鈴懸に「いや」と訴える。しかし、鈴懸は聞いてくれない。  気持ちいい、と感じているのが怖い。他人に体を触られて、拒絶感を覚えないのが怖い。もっと、鈴懸に触って欲しい……そんな、想いを抱いてしまうのが、怖い。  自分が自分でいられなくなる。 「す、鈴懸っ、……あッ……!」  拒否という拒否もできずに――織は、鈴懸にぎゅっと縋り付きながら、イッてしまった。 「は……、ぁ、……」  織はくたりとして、はふはふと息を吐いていた。頭の中がぼんやりとして、何も考えられない。鈴懸の体温が、気持ちいい。  織は、イッた余韻で動けないでいた。そんな織の額の傷の治療を終えた鈴懸は、ゆっくりと体を起こす。そして――視界に飛び込んできた絶景に、は、と目を見開いた。  外から差し込む、青白い月明かり。それに照らされほんのりと光を帯びる、織の白い肌。快楽を与えられたことによって赤みのさした肌に、つう、と一筋の汗が伝う。上下する胸、ぷくりと膨らんだ乳首、それから悩ましげに開かれた唇。潤んだ瞳。思わずごくりと生唾を呑んで――鈴懸は慌てて正気を引き戻した。 「……、俺様に触られて感じちゃったか、可愛い奴」 「ふ――ふざけ……っ、何すんだこの助平! 破廉恥! 離れろケダモノ!」 「いてっ! この、俺様に向かってなにするんだ」  まるで、夢から覚めたように。二人で同時に正気に戻って、突き放す。鈴懸を突き飛ばした織はかあっと顔を真っ赤にして頭から布団をかぶってしまった。 「おい、布団を独り占めするなよ。俺様の寝床がなくなる」 「誰がおまえのようなケダモノと一緒に寝るか!」 「布団が一組しかないんだから仕方ないだろ」 「ひっ」  きゃんきゃんと喚く織をみて、鈴懸は心がくすぐられたような感覚を覚えた。よくわからないけれど、構いたくなってしまうような。織という人間はどちらかと言えば気にくわないのに、ちょっかいをかけたくなる。  鈴懸は織の布団をめくりあげると、そのまま織の隣に潜り込む。そして、ぎょっと身をすくめる織を抱き込んでしまった。 「……なんなの」  横暴な鈴懸の行動に舌を巻いていた織だったが、当の鈴懸はあっさりと眠りについてしまった。ぎゅっと腕の中に閉じ込められて居心地の悪さを感じながらも、やがて織にも睡魔が襲ってくる。  わけのわからない、神様だ。優しいのか意地悪なのか、冷たいのか、わからない。鈴懸という神様の本質を、織はどうしてもわかりかねたが……ふと、思い出す。  彼に、一度庇われていた。  あの母親の女に斬りかかられたとき、鈴懸が代わりに斬られてしまった。鈴懸が何をおもってそのような行動にでたのかはわからないが、護ってもらったのは事実。  織はちらりと鈴懸の顔をみて、眠っているのを確認する。そして、ぽそりと呟いた。 「……ありがと、」  本人に届かなければ意味のない言葉だけれど。織は、素直に感謝の気持ちを言えるほどに、心が強くはなかった。

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