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水色の章15

 朝日が眩い。宿から出た織は、どこか夢うつつな気分になった。もう、この呉須の池に訪れることはないだろう。昨日までの出来事がまるで遠い昔のことのように感じるのだ。  宿の主人に送られて、村の出口に向かって歩き出す。なんだか今回は妙に疲れた、早く屋敷に戻って寝たい。そんなことを考えて。  村の出口に近づいた、そのときだ。後ろの方から、ぱたぱたと足音が聞こえてくる。なんだろうと織が振り返ると―― 「あ……」  遠くから、華やかな着物を着た子どもが走ってきていた。目を凝らしてみれば、それは巴である。昨日までのぼろぼろの姿とは全くの別物だったから、一瞬誰だかわからなかった。 「巴ちゃん、」  巴が近づいてきて、織は気づく。華やかに思えた着物は、つぎはぎだらけのものだということに。色鮮やかな布を何枚か合わせてつくられたそれは、おそらくあの母親がつくったもの。子ども用の着物を持っている様子も、新しくそれをこさえるお金を持っている様子もなかった彼女が、巴のために作ったのだろう。髪の毛も、子どもの髪を結うことなど慣れていなそうな彼女らしい、上手とは言えないお団子だった。  巴は何かを言いたそうにもじもじとして、織の前に立つ。言葉を話せない彼女が何を言いたいのか……織にそれをすぐに悟ることはできなかった。しかし、巴が後ろ手に隠していた野花の花束を渡してきて――感じ取る。  お礼を、言われているんだ、と。 「……受け取ってやれよ」 「えっ……」 「おまえが頑張ったからこの子が救われたんだろ。感謝の気持ちは素直に受け止めてやりな」  感謝をされる、ということに慣れていない織は、巴からの花束を受け取れずにいた。そもそも、自分のやったことは本当に意味があったのだろうか。自分が感謝されるに値する人間なのか――そんなことを色々と考えてしまって、巴の「ありがとう」を受け止められなかった。  しかし、鈴懸に促されて――恐る恐る、花束を受け取る。その瞬間だ。巴が嬉しそうに笑って、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。そして、くるりと踊るように踵を返すと、ひらひらと手を振りながらまた走り去っていく――あの、家に向かって。  織は俯いて、もらった花束を見つめる。あの少女を救いたくてやったことではあったけれど、でも感謝なんてされてしまっていいのだろうか。こんな自分が、感謝されるに値する人間なのだろうか。 「……いこうぜ」  黙り込む織の背を、鈴懸が叩く。感謝をされて悩む、そんな織を鬱陶しいと思った。どこまでも、この人間は卑屈で自分の殻に閉じこもってしまっている。  おまえは、もっと幸せになれる人間なのに。  うじうじと、手に入るはずの幸せを取りこぼすこの人間が、むかつく。いらいらとする。鈴懸は妙に沸き立つ苛立ちを覚えながら、それでも織の手を引いた。苦手なら、近づかなければいいのに、放っておけない。自分のなかの、織への想いを整理できず――それがまた、いらいらする。

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