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第1話

「春の花は?」と聞かれれば、大抵の日本人は「桜」を思い浮かべるだろう。  けれど僕は迷わず「タンポポ」だと答える。  生命力の強いこの野花は、まだ寒さの厳しい頃から蕾をつけ始め、四月の終わり頃まで咲き誇ったかと思うと、最後は綿毛となって飛んでいく。可憐な見た目にかかわらず強く逞しく生きる姿は、どこか彼に似ていると思った。  僕は、この花が大好きだった。  体育館での式は滞りなく終わり、卒業生も在校生も先生方もそれぞれの教室へと移動していった。僕は担任を受け持っていないのでそのまま職員室へと戻り、軽く挨拶をしてから自分の城へと足を向ける。  化学準備室。化学教員である僕の、唯一の安らぎの場所だ。  部屋に入ると、仄かに薬品の混ざったような匂いが鼻を掠める。もうすっかり馴染んでしまった匂いだが、天気の良い日は換気がてら窓を開けておくのが日常だ。  ガラリと窓を開けると、人気のない中庭にたくさんのタンポポが咲いているのが見えた。   ――ズキリと、胸に刺すような痛みが走る。    シャツの胸元をぎゅっと握りしめ、窓に背を向ける。大好きだった花を眺めることさえ辛くなるだなんて、あの頃は思いもしなかった。あれからもう何度も季節が巡ったというのに、僕の時間は止まったままだ。  明るいタンポポ。明るい笑顔。だけど思い出すのは、最後に見た彼の絶望に染まった顔だった。  四年前の卒業式の日、僕は、最愛の恋人を裏切った――  深呼吸を一つして、やり残した仕事に取り掛かる。学生はもうすぐ春休みとはいえ、教師である僕にはやることがたくさんあるのだ。 「先生」  ふと、窓の外から声が聞こえた。懐かしい澄んだ声。  勢いよく振り返ると、窓際に背の高い男性が立っている。舞い込んだ風にカーテンが揺らぐ。  その光景に全身の血が騒いだ。  嘘だ。そんなはずはない。彼がこんなところにいる訳がない。   そう思うのに、僕はふらふらと夢遊病者のように窓際に足を向けていた。もう少しで手が届く、という所で立ち止まり呆然と男性を見つめてしまう。  記憶よりも背が伸びた。髪型も変わっている。  だけど、僕をまっすぐに見つめる顔は―― 「先生。会いたかった」  ずっとずっと恋い焦がれていた、温かい笑顔を浮かべていた。

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