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プロローグ(2)

「ちょっとアメリカ生活長いんで、こちらに馴染むのは時間がかかるかもしれないですがね。俺の親戚とは思えないくらいに優秀な奴ですから、先生のお役に立てることは請け合いです。本人も先生のところでお世話になりたいって話だし、身内びいきでナンですが、これ以上はないくらいにいい物件ですよ」 「それなら余計に僕のところでなくても。もっと華々しく研究成果を出しているところもあるし、彼の経歴なら島田さんの、トクシゲ化学薬品さんの研究所のほうがいいんじゃないですか?」 「なにをおっしゃるんですか。天下の東條(とうじょう)大学教授でハイパーウィートの生みの親、全人類の食糧危機を救った若き研究者、七瀬彩都博士に師事したい若者はゴマンといますよ」  やけに自分を持ち上げる島田の声が遠くに聞こえる。彩都は最初に挨拶を交わしてから、まだひとことも言葉を発していない青年を見つめた。彼は微動だにせず、まっすぐに彩都を見つめている。  不意に視線が合ってどきりとする。その鼓動はとくとくと早くなり、顔どころか全身が火照り始め、じわりと汗が浮かんできた。 (……嫌だな、この感じ)  まだ『あの時期』は先のはずだ。先週から試している薬がやはり合わないのだろうか。帰ったら医学博士の幼馴染に伝えないといけない。  彩都は、首すじに伝った汗を気づかれないようにそっと拭うと、襟元に人差し指を添わせてネクタイの締めつけを弛めた。そんなひとつひとつの行動のすべてに、目の前の彼の視線が絡みついているようで落ち着かない。  島田の高い声が三人の座るテーブルに響いている。しかし彩都は、この人の多い昼下がりのカフェテラスのなかで、彼と自分の二人しかいないような錯覚に陥った。  ふと、目の前の青年の唇がほころんだ。そして彼はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

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