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プロローグ(3)

「七瀬博士の研究論文はすべて目を通しました。どんな過酷な環境下でも発芽し、病気にも強いバイオ小麦『ハイパーウィート』は今の人類の食を支えていると言っても過言ではありません。博士はハイパーウィートで培った技術を多種の植物にも適用できるように常に研鑽されている。高名な博士のその研究の一端を、少しでもお手伝いできれば望外の喜びです」  ――― ぞくっ。  彼の声が背筋をなぞった。いや、物理的にはそんなことは無いのだが、確かにすぅ、と肩甲骨の間から尾てい骨へとなぞられた感触がした。  途端に下腹部の奥が細かく収縮する。普段はその存在さえ忘れている臓器が、にわかに疼き始める。 (何だ? こんなこと、今まで一度も感じたことがない……)  初めての感覚に彩都は小さくパニックになる。それでも目の前の二人には今の自分の状況を感づかれてはならない。何とかポーカーフェイスを装ってはみたものの、座り直そうとほんの少し腰を浮かせた瞬間に、じゅん、と下腹部の奥が潤んだ。  うっ、と小さく呻いた彩都の様子に島田が目敏く気づいたようだ。 「七瀬先生、どうしました? 熱でもあるんですか? 顔が赤いですよ」  島田の指摘に彩都のこめかみから冷や汗が一筋、伝う。 「いえ、ご心配なく。久しぶりに学外に出たので……」 「そうですか。確かに先生はずっとあの研究棟に隠りきりですからね。特に今日は残暑が厳しいし、こんなところまでご足労頂いて本当に申し訳無いです。でも、あそこでこんな話をすると、ほら、東條先生のお耳にでも入ったらご機嫌をますます損ねかねないので」  島田はへらへらと笑いながら「まあ、営業は嫌われてからが勝負なんで」と軽口を叩いた。その笑顔でありながらも笑っていない目つきがやけに胸をざわつかせる。彩都は一刻も早くこの場から立ち去りたくなった。 「わかりました。ちょうど週明けから九月だし、それでいいですか?」 「ええもちろん。良かったな、稜弥(たかや)

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