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「つ、疲れた……」
酔っ払いの客達が帰ったり、その場で寝たりしてようやく店が落ち着いたため、仕事をあがることができた。時刻はすでに二時を過ぎていた。
怒濤の注文の嵐で、俺はくたくただった。ゲルダさんからもらったまかないと水を小脇に抱えながら、よろよろとした足取りで何とか裏の小屋まで辿り着いた。
小屋は木で造られたものだが頑丈にできていた。ただ物置きのため灯りはないのでランプを借りたのだが、今夜は月が明るく外を歩く分にはそこまで困らなかった。
クロ、もう寝てるだろうな……。
本当は日を跨ぐ前に帰って、まかないを一緒に食べようと思っていたのだが、この時間では確実に寝ているに違いない。
まぁ、店に出る前にちゃんとごはんをあげてるからお腹は空いてないだろう。
仕事の疲れをクロのもふもふに癒やしてもらいたいところだが俺のわがままで起こすわけにはいかない。俺は小屋の前に腰を下ろしまかないの入った包みを広げた。
「うわぁ、うまそう……!」
中に入っていたのは上等そうな肉と新鮮な野菜をたくさん挟んだサンドイッチだった。
「よし、じゃあいただきま――」
「わふっ!」
サンドイッチに食らいつこうと口を開くと、小屋の中からクロの声がした。
「え?」
振り返ると、もう一度「わふっ」とクロが吠えた。カリカリ、とドアを引っ掻く音までする。
俺は慌ててサンドイッチを横に置いて立ち上がり、小屋の扉を開けた。
「わふっ!」
クロが尻尾をぶんぶんと振りながらこちらを見詰める。その目は嬉しそうに輝いていてとても寝起きではなさそうだった。
「もしかして起きて待っててくれたのか?」
「わふっ」
俺の問いを肯定するようにクロが吠えた。
て、天使~~~!! マジで天使……っ!
あまりの健気さに胸がきゅぅぅんと締め付けられる。
「クロ、ありがとうな! よかったら一緒にサンドイッチ食べるか?」
「わふっ」
俺の誘いにクロは嬉しそうにその場でくるくると回った。
「じゃあ今日は月がきれいだし外で食べようか」
地面に腰を下ろすと、クロはその大きな体で俺を囲うようにして横に座った。
「それじゃあいただきます!」
「わふっ」
サンドイッチを半分に分けてもぐもぐと頬張る。
「うわぁ、めっちゃうまいな!」
肉汁と特製ソースが口の中で絡み合い、絶妙な美味さを生み出していた。
仕事は大変だけど、ゲルダさんも奥さんも優しいし、料理も美味いし、元の世界に戻る手掛かりがこの街にあるなら住み込みで働きたいくらいだ。
結構大きいので食べるのに手間取ったが、クロはその大きな口でぺろりと食べ上げてしまった。
食事を終えて手持ち無沙汰になったのか、クロはふと夜空を見上げた。
じっと空を見詰めているので何かあるのかと視線の先を辿ると、そこにはあともう少しで満月になりそうな大きな月があった。
「今日は月がきれいだよなぁ。そういえば前も月を見てたよな」
遭難していた時、アーロンたちと合流する前の夜に寂しげな表情で月を見上げていたことを思い出した。
もしかすると月には前の飼い主に関する悲しい思い出があるのかもしれない。
俺は慌てて話題を変えた。
「俺のいた世界ではお月見なんてのもあって月を見ながら団子を食べるんだ。みたらし団子とか本当に最高で、クロにも食べさせてやりたいなぁ!」
言いながら、もし俺が元の世界に戻ったらまたクロがひとりぼっちになってしまうことに気付いた。
「……クロは俺がいなくなったらさみしい?」
訊くとクロは首を傾けて顔を覗き込んで来た。そしてペロペロと頬を舐めた。
「ふふっ、ごめんな変なこと聞いて。寂しがってくれるに決まってるよな。よし! 俺が元の世界に帰る時は絶対クロも連れて行くからな」
「わふっ」
俺の言葉にクロは地面を叩くほど嬉しそうに尻尾を振った。
俺は目を細めてクロにもたれかかり、その体を撫でた。柔らかなその感触に、今日の疲れが癒やされていくのを感じた。
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