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 有り得ない現象に固まった俺の体を、男はゆっくりと自分の胸元から離した。 「よく聞くと私の体内には十の鼓動が響いている。ちょうど、私が殺したノエとユニスを除いた仲間の数だ。つまり私の心臓はきっともうないか動いていないんだろう」  そこでようやく俺は男が言いたいことが分かった。それでも俺は胸元に手をあてて、男の鼓動を探そうとした。もちろん分かるはずもなく俯いていると、男がくすりと笑って頭をぽんぽんと撫でた。 「ソウシは優しいな。あの夜もそうだった」 「あの夜?」  首を傾げて訊き返すと、男は嬉しそうに微笑んで頷いた。 「まだ私たち二人だけで洞窟にいた時の話だ。私がいもしない仲間に遠吠えをしていた時、ソウシが私に抱き付いてくれただろう?」 「あ!」  思い出して声を上げると、男は笑みを深めて満月を見上げた。 「百年以上続けていた返事なんかあるはずのない遠吠えに、まさか反応が返ってくる日が来るなんて思ってもいなかった。……あの時、私は本当に嬉しかったんだ。だからあらためて言わせてくれ。ありがとう、ソウシ」  目尻に涙を滲ませて男が――いや、クロが俺の方を向いた。  俺は切なさに胸が締め付けられ堪らなくなり、クロを思いっきり抱き締めた。 「……っ、俺なんかでよければ何回だって抱き締めるし、返事だってしてやるから。……よく今まで一人で頑張ったな、クロ」  自分より大きな男だというのに、クロだと思うと無性に愛おしくなり頭をいつもみたいにくしゃくしゃと撫でた。  するとクロがくすりと笑った。 「こんな風に頭を撫でるのは、親以外でソウシだけだ」  少しくすぐったそうに言いながら、クロも俺の身体に腕を回して甘えるように抱き返してきた。  その腕も手も頭もあたたかくて、とても死んでいるなんて思えなかった。  クロはちゃんと生きている、そう強く思った。 「あ! そういえば」  俺は前々から気になっていたことを思い出し、体を離してクロに訊いた。 「勝手にクロって呼んでたけど、本当は何て言うんだ?」  この呼び名は俺が勝手に付けた名前だ。これを機に本当の名前を知りたいと思って訊くと、クロはゆったりと微笑みを浮かべた。 「私の名前はクロム・ラリス。だから今まで通りクロでいい」 「へぇ! 本名もクロがついてだったんだ!」  すごい偶然だと驚いて目を丸くする。 「じゃあお言葉に甘えてこれからもクロって呼ばせてもらうな。よろしく、クロ!」  手を差し出すと、クロは笑みを深めてその手を握り返してくれた。 「こちらこそよろしく頼む」  固く握手を交わしていると急に何だかおかしくなって笑ってしまった。 「どうした?」 「いや、だってまさかクロが人の姿になってこういう風に話せる日がくるなんて思ってもいなかったからさ」  さすがファンタジーの世界だ。  この世界に来て散々なことばかりだったが、ここにきてようやくファンタジーのよさを味わえたような気がする。本当にクロの存在に救われてばかりだ。   「……私はこんな風にソウシと話すことをずっと待ちわびていた」 「え?」  どういう意味だと訊き返す前に、腕を引かれぎゅっと言葉ごと腕の中に抱き締められてしまった。 「ク、クロ……?」 「ソウシ、お願いがある」 「え、あ、うん、なに?」  戸惑いつつとりあえず訊くと、 「私の番になって、子を産んでくれ」 「………………え?」  返ってきた言葉を俺はしばらく理解できなかった。

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