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第10話

タケシが変だ。  タケシが変なのはいつものことだけれども、なんて言うか大人しい。この間の出張から帰ってきたあたりからだ。  いつもなら、俺が休みの日はどこから用意したのかわからないコスプレの衣装を持ち出してはこれを着ろだのなんだの言って俺を怒らせるのに、それもない。それどころか、ホビールームに閉じこもったまま四時間、五時間と出てこないなんてことも多くなっていった。毎日のようにエッチをしたがっていたくせに、最近ではそんな風にがっつくことも少ない。  出張で何かあったのだろうかと、夕食の際にさりげなく聞いてみれば「別に美咲の心配することは何もないよ」と話を濁すし、夕食も残す量が多くなった。心なしか少し痩せたような気がする。  仕事にだけはきちんと行っているようだが、趣味の映画づくりはまったく手をつけていないらしく家にこもっていることが多い。  どうしたものか。 『それはやっぱりさ、美咲が優しく慰めてあげればいいんじゃない? いつも文句ばっかりで優しい言葉なんてかけたことないんだろ?』  2つ年上の先輩である水上シュウジに電話をするとそんな言葉が返ってきた。  優しく慰める……。  そんなこと一度もやったことなんてない。  もともと友人の少ない俺は人から頼られるということがそんなには多くなかったし、それに悩み事というのは自分で結論を出さなければ意味がないとずっと思っていたからだ。だから、話を聞いてやることはできても、それに対して慰めてやることなんてしたことがない。  どうしたらいいんだ。 『そうだな。美咲が可愛くおねだりしてみればいいんじゃないかな。ほら、この間のインタビューでもそんなこと言ってたし』  可愛くおねだり。可愛く……。  そんなこと、できるわけがない。 * * * 「タケシ、風呂空いた……」  ホビールームにいたタケシに声をかけると、タケシは頬杖をつきながらパソコンの画面に見入っていた。その背なかがどこか哀愁を帯びている。常ならば俺の呼びかけには「美咲」って無駄に名前を呼びながらすぐに振り向くくせに、今日はちらりと視線を向けただけでディスプレイの電源を落として部屋を出て行った。  やっぱり、変だ。  机の上に置かれた卓上カレンダーに目を向ければ、タケシが出張に帰ってきてからすでに2週間近く経っているのがわかった。二週間もタケシはあんな感じなのか。  昼間に交わしたシュウジとの会話の内容を思い出しながらホビールームを後にしようとすると、視界の端に目に悪そうな蛍光ピンクの何かが映る。どうせ、タケシの仕事に使うエロい何かなんだろうなと思いながら手を伸ばす。思ったよりも小さなそれは、俺が予想していたものとは全く異なるものだった。 「クラブ……グラスハート、ゆかり……?」  蛍光ピンクの名刺に銀色のキラキラ光る文字で可愛らしい女の子も文字が書かれている。くるりと名刺を裏返せば可愛らしい文字に加えて添えられていた携帯の番号らしい11桁の数字が強調されていた。 「お仕事で培ったタケシさんのテクニックでゆかりをメロメロにしてね。連絡待ってます」  はじめは何のことかわからなかった。  22歳、男子大学生たるものソウイウ知識が全くないというわけではない。だが、生まれたときから恋愛対象が男だったせいかまったく興味もわかなかったから、ソウイウ世界を失念していたのだ。  タケシも俺みたいな男とセ*クスをして一緒に暮らしているから、当然にソウなんだと思っていた。アダルトビデオなんて作っているようなヤツだけれども、それはただの仕事で女には興味がないんだと。 「タケシは……」  胸がきゅんっと痛くなった。  泣きたいような泣きたくないような、叫びたいような叫びたくないような、辛いような辛くないような、自分でもよくわからない感情がぐるぐると渦巻く。何と言えばいいのかわからない。どうしたらいいのかわからない。  自分の気持ちがわからない。  だけど、ぽっかりと胸に穴があくというそんな表現の意味をようやく理解することができた気がする。 * * * 「美咲……どうした?」  脱衣所に顔を出すと、ちょうど風呂を出たばかりなのか腰にタオルをまいたままの恰好で髪の毛の水滴を乱暴に飛ばしているタケシがいた。見慣れたその体なのにどこか愛しい。  俺は驚いているタケシの脚元にひざまづくとタケシ自身を隠していた白いタオルを両手で外した。現れた黒い茂みにごくんっとノドが鳴る。恐怖で逃げだしそうになる自分をぐっと抑えて、俺はタケシを口に含んだ。  タケシにやってもらったときのことを思い出しながら、舌を這わせる。輪郭をなぞるように舌を動かしているとタケシの欲はだんだんとその姿を現してきた。  こんなことをするのは初めてだ。タケシと付き合ってから2年、一緒に暮らすようになってから1年。俺にとっては考えられないくらい一緒に時間を過ごしたのに。タケシからせがまれたことはある。だが、俺はそれを頑なに断ってきた。恥ずかしいというのが一番の理由ではあったが、そんな女が男に奉仕するような行為を自らするなんて考えられなかったからだ。  だけど、今俺はずっと拒んでいた行為をしている。タケシのために、そして自分のために。舌と唇で熱心に愛撫しては、あふれ出てくる先走りを飲み込んだ。くちゅくちゅと厭らしい唾液の音が脱衣所に響き渡るたびに、どこか自分自身も高揚しているのがわかった。 「美咲……もういい」  タケシの骨盤が小刻みに揺れ始めたころ、タケシは俺のしたいようにさせていたくせに俺の髪に手をおいて行為を阻止しようとした。だが、俺はそんなタケシの静止も聞かずにさらに舌の動きを早くした。生半可な気持ちでこんなことをしているわけじゃない。俺には、俺の思いがある。 「美咲!!」  大きな声をあげて引き離そうとするが、その力に負けて俺が口を離すよりも少し先にタケシが射精する。口の中いっぱいに広がる苦味に生理的な涙が浮かんだが、それを飲み込むことだけはやめなかった。 「美咲、突然どうしたんだよ。らしくない」 「……タケシ、俺これからは何でもするからさ。タケシがどうしてもっていうなら、タケシのビデオに出てやってもいいし、女装だってなんだってする。フェラだって、今はうまくないけどうまくなるように頑張る。……な、内定だって蹴ったっていい」 「美咲……」 「だから、お願いだから。俺を捨てないで……ッ」  俺がそう言い終わるか否か、筋肉質なタケシの腕が俺に絡みついた。これ以上ないというくらいにぎゅっと抱きしめられる。 「俺がオマエを捨てるわけがないだろう」  耳元でタケシの声が聞こえる。もう、涙を抑えることはできなかった。次から次へと流れてくる涙をぬぐうこともせずにタケシの背中に両腕を回す。かすかに濡れたその体が、自分のものでいてくれることが奇跡のようにも思えた。  しばらくの間、抱き合っているとタケシは「でもなぁ」と話し始めた。 「こんなにうまくいくとは思わなかった。シュウジだっけ? 美咲の先輩。アイツもなかなかやるな」 「タケシ……?」 「出張帰りにたまたま会ったんだよ。それで美咲が甘えてくれないって相談したら、しばらくかまってやらなかったらすぐに猫のようにすり寄ってくるって言われたんだよ」 「……」 「2週間はちょっと長かったが、代わりに成果はバツグンだったし良いとするか。な、美咲。さっそく手始めにハメ撮りしてみるか」  その日の夜、俺の住むマンションで殺人事件が起こったとか起こらなかったとか。  その噂の真偽は不明だけれども、同じマンションで毎夜毎夜どこからともなく男の悲鳴があがるのは真実に違いない。

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