5 / 9

第5話

その子羊はヒトになりたかった。 なぜなら恋をしたんだ、牧場主に。 牧場主は男やもめで優しくて力持ち。 いつも親のない子羊の僕を抱っこして可愛がる。 もう、抱っこだけじゃ我慢できない。 満月の夜言い伝えの羊王に この子羊をヒトに転生させてくださいと祈りを捧げた… 30回の満月を迎えた後 羊王が僕の前に姿を現した…… お前は何故ヒトになりたい 僕は答える。 愛しい人と 一回だけでいいから結ばれたい 動物は3万回生まれ変わらないとヒトにはなれぬ お前はまだ1万五千回 気の遠くなるような幾星霜を繰り返さないとヒトにはなれぬ 絶望した僕は牧場の柵を越え早く転生するために崖から身を投げようとした。 それを見ていた牧場主は必死で駆けて、駆けてきて崖に落ちる寸前で僕の身体を抱きしめた。 死ぬな!お前の気持ちは知っている それを見ていた羊王は一つの提案をした。 テストをしよう それに受かればこの子羊を1日だけ特別ヒトに変えてやろう 頷く僕らに羊王は告げた。 美しく若い女を牧場主に与えよう…180日過ごしてその身体に触れることがなければ この子羊をヒトに変えることにしよう かくして美しい、それは美しい顔と柔らかな肌と肉体を持つ女が牧場にやってきた。その女は気立てもよく料理も上手で笑顔が絶えない美しい身体を持つ女。 絶対に牧場主は女とキスして抱きあって同衾するだろう、 全ての羊がそう思った。 そして僕は諦めた。それでも子羊は辛い180日を過ごし、とっくに牧場主は女を妻にしたと思っていた。 180日後の真夜中あらわれた羊王に呼び出された。 草原の先、牧神のお山と言われる高台に羊王は鎮座した。 ヒトよ お前は180日間で何をした? おれは羊の毛を刈った 刈った毛をなめして糸にし街の商人に売った 花嫁を迎えたいので その金で植木鉢買って花の種を植えた お主はもう花嫁を迎えたであろう いいや 俺は彼女には指一本触れてない それが約束だっただろう? そういうと牧場主はじっと子羊を見つめた。しかし子羊はもう子羊ではなくなっていた。立派な大人の羊となっていた。 その羊のブルーアイズから一雫の涙が溢れた。 1日だけだぞ ヒトに変わるのは1日だけ 構わない1日だけでも それでは主の希望の日にこの羊をヒトに変えよう いつが良いか? 明後日の満月の夜に なるほど考えたな 苦笑いした羊王はそのことを了承した。 明後日の満月の夜に何があるのだろう 僕が牧場主に目で訴えると、大人になった僕の体を抱き上げて頬ずりをしてくれた。 満月の日に羊1000頭の毛を刈ったら そのものの願いを叶えよう そんな言い伝えがあるのを僕は知らなかった。 やってきた満月の日。 日付の変わった漆黒の闇があるうちから 牧場主は必死で毛を刈った。 何頭も何頭も、 押さえつけ痺れる腕に叱咤して 食事もとらず水も飲まず。 100.200.300.昼過ぎに500頭 1000頭以上はいた羊が足りないことに気づいたのは、 700頭を過ぎた頃合いだった。 夕刻が迫る中絶望に手が止まった牧場主。 あの女が180日の間に売ってしまったのだ。 もう希望はないのか、 1日だけのヒトとしての姿で愛し合う。 羊の夢はこのほんの少しの願いを成就できれば良かったのに、 小さな夢は大きな間違いを積んでしまったのか。 僕はこの夜ヒトになる。 たった1日の夢。 牧場主はその夢を永遠にしようと努力する。 頭を振り、一回天を仰ぐと止めていた作業を続ける牧場主850.900、 日も落ちて夕闇がその色を濃くした頃 刈った羊の数は999。 あと一頭…… 牧場主の腕はもう上がらない。 指は硬くなりその爪は裂けている。 あの女の仕返しは後一頭で絶望を与えることだったのか。 これがしもべにはむかわれた羊王の謀ったことなのか。 ヒトになって愛する人に一回でも良いから抱かれたいと思った心を悔いた僕。 こうべを上げた牧場主は僕を手招く。 最後の一頭はお前だった 俺の夢は叶うな 満月の夜お前がヒトになったら お前はヒトのまま俺のそばで生きていけ

ともだちにシェアしよう!