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第1話

もし俺がΩじゃなかったら、どんな人生が待っていたのだろう──? 葛城圭、21歳。 大学4年生になったばかりで、病院の外では遅咲きの桜の花びらが舞っている。 頬を撫でる空気は柔らかな温もりを含んでいて、100万人に1人という割合で出生する男性Ωの運命などどこ吹く風で頬を撫でていく。 圭は今、都内の大学病院を訪れていた。 内科の前に置かれた椅子に座り、窓から外を見つめながら、「Ωじゃなかったら」という自分の人生について考えている。 無駄な思考だということは、分かっている。 分かっていても考えずにはいられないほど、男性Ωの未来は暗い。 「葛城さん、お入りください」 看護師に名を呼ばれた圭は、ベンチから立ち上がって内科のドアを開ける。 室内は空洞化していて、数歩進んだ先に別のドアが設けられている。 そのドアの向こうに、Ω専門医が待ち受けているといった体である。 これは国内のあらゆる病院に義務付けられた措置で、病院を訪れるΩの種別が傍目には分からないようにという配慮の賜物だ。 圭はドアの内側のドアの前に立つと、小さな深呼吸をしてからノックした。 「どうぞー」 内側から間延びした女医の声が聞こえ、圭はドアを内側に開いて診察室内に足を踏み入れた。 内部は6畳間ほどの広さで、小さなデスクとその後ろに簡易ベッドが置かれているだけだった。 肩に届くか届かないかのウェーブヘアに白衣を纏った、美人と言って差し支えない若い医師がパソコンと向き合っていたが、圭の顔を一瞥すると「そっかぁ、圭ちゃんもう周期なのかぁ」と呟いている。 このΩ専門医の名は葛城(ひじり)、圭の実姉である。 美貌の姉の弟である圭も、雑誌から抜け出してきたモデルのような容姿を誇っている。 圭は長い髪を一つに結んで左側に垂らしており、それを指で弄びながら姉の近くに置かれた丸い椅子に腰かけた。 「卒論、進んでるの?」 おもむろに聖が切り出してきた。 「いや、全然……つーか、卒業とかどうでもよくなってきた」 「随分とネガティブじゃない?前は『意地でも卒業してやる!』って息巻いてたのに」 「それはヒートが2ヵ月おきだった頃の話だろ。今は毎月だ、やってられるかっつーの」 「確かに、毎月はしんどいわよねぇ。これを楽にするためには……」 「男性αと:(つがい)番になることよ」と言おうとして、聖はその台詞を飲み込んだ。 圭の場合、見た目は立派な男だが、体内構造は女性のそれと酷似している。 膣がアナルの内側にあり、その奥に子宮があるのだ。 言い換えれば子供を産める身体であり、Ωというのが種の繁栄に貢献する種別であるがゆえに、外で働くのが難しいというジレンマを抱えている。 「楽にするためには、何をどうすりゃいいんだよ?」 圭が焦れて聖に問うてきた。 「どうすればいいのかしら……。Ωの男の子って、日本に100人程度しかいないの。アタシの患者の中では、圭ちゃんだけなのよ」 「症例がないから、何もできねーってのか?」 「情けないけど、そういうことよ」 「姉ちゃんって、案外名医なんだな?」 意外な言葉を聞いて、聖は思い切り両目を見開きながら弟の顔をじっと見つめる。 嘘を言っている訳でも、嫌味を言っている訳でもないということは、彼の目を見れば分かることだった。 「何よ、藪から棒に?」 「いや、変な慰めとかナシで、事実だけを言ってくれるじゃん」 「そりゃ、まあ……でも、それは多分アンタが実の弟だからよ」 そうでなかったら、聖は訪れてくるΩを引き止めるために、どんな残酷な事実であっても美化した言葉で飾り立てるだろう。 聖はそんなことを考えながらパソコンと向き合い、抑制剤と睡眠薬の処方箋画面に薬の名称などを記入していく。 「なぁ、姉ちゃん?」 「なぁに?」 「男のαと番になれば、今みたいなヒートがなくなって、ちゃんと働けるようになるって、本で読んだんだけど、それってマジか?」 余計な入れ知恵をしてくれると、聖は内心舌打ちをした。 「どうやって相手を見付けるの?誰がαで誰がβなのかなんて、パッと見で認識できないはずよ。それに他人に種別を教えるのはタブー、他人に種別を問うのもタブーよ」 「んだよ、マジで俺ってお先真っ暗じゃねーか……。せめてΩじゃなければな……」

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