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 これは、いけない。  目を逸らしても網膜に焼き付いて、所有の証明をするようだった。この体は誰のものか、この背中にしがみついて良いのは誰なのか、それを示しているように思えた。  無欲と諦めの良さを装った自分の本性の証。  このまま流されてしまえば、もうどこにも行けなくなる。行きたくなくなる。  「でも、マサキの言ってた『責任取れ』って……」  「……性的な関係はないぞ」  「その発想は正直早い段階で消えましたね。」  一瞬浮かんだには浮かんだが、それよりも営利誘拐の共犯者のほうがしっくり来たことは言わないでおいた。第一、同僚だったときの晴人は年上の女性を好んでいたし、上司とそりが合わなくなり、自ら辞表を出してからの晴人は女性関係以前に生きることすら放棄するような状況になって行ったのだ。そのころの晴人と、マナトの年齢は合致してしまう。  廃人と成り果てて人間性すら失いアラヌ関係をマサキと結んだとはどうにも考えられない。ジゴロかヒモのような自暴を犯して出来た子供だというには、晴人の精神状態的に無理があった。  晴人は体を裏返して仰向きになり、一史の横に寝転んだ。どうにか、無断欠勤の可能性は防げたらしい。  「別に、『お前もただのガキなんだから、一緒にやればいいだろう』って言っただけだ」  「何を?」  「部活」  腕を組んで枕にし、まっすぐに天井を見た瞳は薄明の中に光って見えた。黒い水面に射す光のようだった。  「解散した後に、マナトを預かってバット、振らせて見たんだ」  いつもフェンス越しにこちらを見ていた細い体が、女子生徒だとも判らなかった。ただ異様なほど大きな目で、晴人を見、促されるままに赤ん坊を預けて、バットを受け取った。  「腰の入った、いいスイングをしたんだ。聞いたら、父親に教わったといっていた。今のではなく、亡くなった父親だそうだ。」  亡くなった父親、という言葉に胸がざわめいた。その共通項が、自分と、マサキを共鳴させたのかもしれない。  「週末は、一緒にやれといった。保健医にも出勤してもらって、マナトを預けられるようにしたんだが、まさかうちにくるとは思わなかった。」  しょぼしょぼと目をこすり、晴人の声が小さくなる。もうじき夜が明けるのに、今になって再び睡魔が訪れたらしかった。もう一度目を擦って、晴人は一史にの方を向き直る。  「悪かったな、巻き込んで」  額に、唇が触れる。やっぱり晴人は思っていた以上に、甘い。甘やかすのも好きだし、甘えるのも好きなのだ。お互いの気持ちを承認しあった今でなければわからなかっただろう。  「いえ、」  迷惑だとは、感じていない。ただ、思い出してしまった自分の強欲さに、戸惑いと、恐れを感じてはいる。未来(さき)を思えば心臓が震えるほどに恐ろしく、脳の心から凍えるように苦しくなる。そこから目を逸らそうとした脳が、バットを振るマサキと、マナトを抱えたまま、マサキに目を向ける晴人を想像させた。  ああ、そうか。  それは、新緑の光を浴びた穏やかな休日のようだった。  昔、気が遠くなるほど昔、パドリングしながら父親の背中を追ったときのまぶしさを思い出した。  「……マサキは、父親が欲しかったんですね」  確かにそれは、恋ではない。恋よりももっと幼くて、切実で。  「自分とマナトを守ってくれる、強い人が」  マサキは、それを手に入れることが出来るだろうか。幼い頃に亡くしてしまった人をもう一度この世に呼び戻すことは出来ない。  「じゃあ、お前には母親を求めたのか。」  「え?」  「マナトの扱い、あれを見たら確かに安心して自分は子どもでいられるだろ?」  「それは、あまり嬉しくないような……」  あの時、マナトを養子にして欲しいといったのは、そういうことだったのか。小さな狭い部屋で、子どもたちの発育を心配して、外で煙草を吸う父親と、赤ん坊を寝付かせながら一緒に食卓を囲む母親。  ささやかで手に入れることの出来なかった、失ってしまった『子どもでいられる場所』をマサキは求めていた。  「オカマ扱いだしな」  「そもそもオカマの定義がわかりませんよ。」  「同姓に好意を寄せるという点で、違いはないというなら、俺も同じだ。」  正直、オカマでも炊飯ジャーでも何でもいいがな。  呟いて、晴人は携帯に手を伸ばす。  「うわ、」  アラームをセットして布団を掛けなおし、その強い腕で一史を抱き寄せる。  「セックスは諦めた。取り敢えず抱えて眠るくらいは、させてくれ。」  眼前に迫った胸は、情事の痕さえ見えないほどに近すぎた。

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