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epilogue
しょぼつく目頭を揉んで片腕を回した。尋常でない夏の暑さに晴人は上半身裸のままで座卓に向かい、パソコンを叩く。じっとりと滲んだ汗が一史のものと混ざり合っている。
「暑いですね」
「そうだな」
腕を前へ伸ばし、座卓の上に置かれた煙草を引き寄せると、体勢を崩した一史が弾むような声をあげる。背中を元のように戻すと子どものように笑う。
張り付いていた体温が剥がれ、背中合わせになっていた体が反転する。肩甲骨より、やや上辺り、一瞬だけ胸の尖りが自己を主張して、直ぐに一史の自重に紛れた。
暑い。
窓の外は人を殺すような夏がまだ居座っていて、背後には晴人を欲情させる男がいる。からからと覇気のない音で扇風機が空気を撹拌する。
「俺にも、1本下さい。」
甘えを含んだ口調で煙草を強請り、差し出すとそのまま直に唇が咥える。顔のすぐ脇で赤い唇が開く。煙草を咥える。指先が少し、触れる。
「はひやっふぇうんれふは」
「事務処理」
感情を抑えた返答が態とらしい。巧く誤魔化せたか判らない。
ソフトケースを振って自分の分を咥え、火を付ける。ざらついた味が舌を撫でる。覆い被さる体の圧が高まる。
「ん。」
咥えたまま突き出された煙草にも火を付ける。一史は一瞬眉根を寄せて瞼を伏せる。
「入稿は間に合ったのか」
「まあ、どうにか。」
昨日まで慌ただしく帰宅時間どころか帰宅したかどうかすら判らない上に、煙草と疲労となんだか酸い臭いを撒き散らしていた一史は風呂に入って溜まった疲労と共に全ての臭いとちらほらと伸びるままにしていた髭を剃って晴人にすり寄っていた。締切間近だけは、髭の薄い一史の顎辺りにちょぼちょぼと髭が生える。嘗てはそれをガキ臭いと笑ったものだが、今は自分との立場の違いを突き付けられた思いが、しなくもなかった。
「暑いですね。」
「暑いな。」
他愛なく繰り返しながら一史に離れるつもりはないらしく、晴人の方もどうにもしようのない欲情を覚えながら体を離す気にはなれなかった。
「晴人さん。」
耳元で呼ばれた声に甘いものが含まれている気がした。座卓の上、細かな振動でスマホが揺れる。
その振動に一史は体を離し、晴人のとなりに膝を抱えて座った。ふたり分の煙草の煙が絡まりあって陽炎のように揺蕩う。
「はい、」
着信に対して直ぐには名乗らない。編集にいる頃から晴人はそうだった。他の記者連はネタ元にアピールするように開口一番で名前を言う。そもそもが私用の携帯と公用の携帯でさがあるのかもしれないが。
「はい、周防です、はい。」
隣に座って聞こえてくるのは多分女性だろう声だった。
2ヶ月。互いに思いを交わして、それだけの蜜月 を過ごしても変わらず胸は不安に揺れる。それを振り払う術を一史は知らない。抱えたままで、晴人に抱き締められるしか、安堵の術を持たない。仕事をしてても、時々、晴人の動向が気になる。女性関係や恋愛関係ではない。それ以前に、『生存』が気にかかる。
「ああ、そうですか、はい。ふたつき経つ前でよかったです。」
その声に耳を傾けながら、膝を抱える。ノートパソコンの画面の中には夏休みの宿題を評価するためらしい計画表が打掛けのままカーソルを点滅させていた。晴人の左手に挟んだ煙草が、じわわと短くなる。なんとなくそれが心地よくなくて、一史は目をそらして自分の煙草を喫んだ。
「俺じゃなくて、ですか?……そうですか、はい。おい、」
「はい」
急に呼ばれて耳がそばだつ。まるで晴人の声を待っていたように、返事はすぐに唇からこぼれる。
「電話」
「え。」
いいから、と押し付けられて困惑する。宛がった頬に晴人の体温の残りが触れる。
「はい、」
『一史さん?』
記憶に久しいハスキィな声。それなのに少し明るく感じるのは、一史の願望なのだろうか。
「マサキ?」
『うん。あたし、一史さん、元気?』
「うん。元気」
素直に返して、隣で晴人が肩を震わせているのが判った。確かに省みてみれば、まるで同級生の会話みたいだ。それも、中学生くらいの。
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