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肩肘で晴人の肘を突く。突いて、背中を向けた。
「どうしたの?電話、していいの?」
『うん。新しい家、決まったから。職員さんにいいって言われたから。』
ならば、晴人が話していたのは職員のなのだろう。背後でむずむずと動く気配がしたが、そこに背を預けず、姿勢を正した。
一史の知っている施設では外部への電話も禁じられていた。加虐者である保護者に被虐者である子どもが連絡してしまうことを防ぐためだ。仕方ないといえば、仕方ない。子から、親への愛情というのは、洗脳に限りなく近い。それを振り払うには、隔絶が必要だ。
「そっか、決まったんだ。」
安堵と、なんといえばいいかわからない感情がこみ上げた。同じ経験をしながら、自分には彼女に教えられることがない。新しい家庭では自分は余所者になる。しかし、自分で余所者だと認識して行動すると、その距離感に気づかれたとき、新しい家族は期待を裏切られたような顔をしたり、よそよそしくなったりする。逆に、無理になじもうとすると、拒絶されたり、変に恩を着せられたりする。一事が万事、そうではない。それくらい判っているのだが、次の句を選べずに、口ごもる。
『父方の、お祖母ちゃんだよ』
一史の心配を察したように、マサキはやわらかく笑った。声でも、笑顔は伝わるのだと、一史は小さく溜飲した。
『あったことなかったんだけどさ、お父さん、駆け落ちみたいにしてあの女と一緒になったんだって。お父さんが死んだことも知らなくてさ。』
「会った?」
『うん。』
実の母親を『あの女』と表現したマサキのささやかだが、確かな拒絶に胸が痛くなる半面で、彼女の強さがいとおしかった。
彼女は、拒絶どころか媚びて縋ることしかできなかった自分とは、違う。
『会ったよ。通りであの女と違う顔してると思ったらさ。あたし、若い頃のお父さんそっくりなんだって。お祖母ちゃんあたしのこと抱きしめて泣くんだよ。辛かったね、頑張ったねって、逃げてきて、えらかったねって』
逃げたのに褒められるってさ、なんか変だよね。
自虐的な言葉なのに、マサキの声は明るくて、少しだけ震えていた。自分を『子ども』として受け入れてくれそうな場所に、彼女はちゃんと、手を伸ばしてる。
『ねえ、一史さん』
「うん」
『ありがとう』
「え。」
『あの時、マナトを養子にするっていわないでくれて。』
その言葉の真意をつかめないままで、マサキは職員に促されたらしく、また連絡するとだけ残して保留音に変わった。言われた言葉を反芻しながら、一史は首をかしいでいた。
「どうした」
「電話、保留になりました。」
携帯を差し出しながら首を傾ぐ。晴人は携帯を受け取り、耳に当てて暫し黙った。
「あ、周防です。はい、ちゃんと話せたみたいで。」
パソコンの画面を見たままで、晴人は事務的な声を出す。その隣で膝を抱え直し、煙草に口を付けた。フィルター付近までちびた煙草は、焦げ臭い匂いがした。
「マサキ、なんだって?」
通話を終えた晴人が、殆ど無くなった煙草を灰皿に押し付ける。同じ動きで煙草を揉み消して、また、膝を抱える。マサキの言葉の意味を相変わらず探して、思い付かなくて、膝に頬を付ける。
「礼を、言われました。」
「礼?」
「はい。マナトを養子にしないでくれて、ありがとうって。」
「ふぅん」
新しい煙草を抜き出して、晴人は火を付ける。ふんわりと煙が漂う。飯を食うか問われ、スパゲティが食いたいと答えた。立ち上がる瞬間に、晴人の掌が頭を包んだ。
「マナトは、あいつにとってアンカーだったからな」
繋ぎ止めるもの。その場に。
それは、自由を奪うもので、感謝されるものじゃないはずだ。
一史はマサキに事実を伝えて、そのアンカーの引き上げを拒否した。マサキはどこにも行けない。マナトのそばから、離れられない。
「マナトがいなくなったら、生きる意味だってなくなる」
台所からの声に耳がそばだつ。アンカーがなければ、どこにでも行けるんじゃない。アンカーがなければそこに留まることもできないんだ。
耳の奥で水が鳴った気がした。
沈んでいく、白い乗用車と、運転席の影を眼間に見た。自分は、アンカーには、なれなかったのか。
「おい。」
沈黙に声を掛けられて顔をあげる。晴人が、見下ろしている。鼻の頭に汗をかいていた。
「はい。」
「お前、服、着ろ」
過去に引き摺られていた耳に歯がぶつかる。服を着ろといいながら晴人の指は既に一史の胸の尖りにかかっている。
「そんな格好で憂い顔なんてされた日にゃ、滅茶苦茶にして俺のことしか考えられなくしたくなる」
どんな理屈だと思いながらじっとその眼を見つめた。
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