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第100話 メイドと野獣 *「その恋の向こう側」番外編

 夏休みが明けると、早速10月末に行われる文化祭の準備が始まった。まずは実行委員を決めて、彼らを中心にクラスの出し物を決める。和樹たちの高校では、受験に重きを置く3年生と、初めての文化祭に戸惑う1年生はあまり大がかりなことはしない傾向にある。出し物が一番バラエティに富んで、準備に余念がないのは、和樹たち2年生だ。  和樹はD組だった。2年生は志望校によって、大まかに理系と文系、そして国立と私立とでクラス分けがされている。D組は文系、国立志望と私立志望が半々のクラスで、3分の2が女子だ。一方の涼矢は同じく文系ではあるが、国立志望者で固められていて、理系科目もフルに履修している生徒が多いF組だった。若干男子のほうが多い。 ------------------- 「劇やろうよ。アラジンみたいな、ミュージカル。」クラスでも発言力のある女子の鶴の一声で、D組は劇に決まってしまった。このクラスでは、少数派の男子の意見が通ることはほぼないに等しい。さすがにミュージカルは無理だと却下されたものの、「美女と野獣」を演じることになった。 -------------------  涼矢のいるF組はまったく逆で、男子からの「食い物屋やろうぜ。」という意見が賛成多数で可決された。それでも半分近くを占めている女子は、D組の男子ほどには弱い立場ではなく、男子の支持が多かった「中華まんの店」を含むいくつかの提案の中から、女子の大半が支持した「スイーツカフェ」が勝利した。  すべてのクラスの出し物が決まったところで、再度の作戦会議が始まる。 「D組、『美女と野獣』やるんだって!」 「えぇー、いいなあ。絶対そっちのほうが目立つよね。」  そんな会話がF組の女子の間からも持ち上がった。 「そうだ! うちら、メイドカフェにしない? お揃いの可愛い制服にしてさ。」 「でも、私、メイド服なんて似合わないもん、やだあ。」  D組に勝つためにはただのカフェではダメだというところでは意見は一致したが、「メイドカフェ」のアイディアが出た時には、会計、調理、ホールなどの各担当は既に決まってしまっていたから、特にホール担当の女子から不満の声が挙がった。 「それに男子もいるからさ、ホール係。」  そんな言葉が決定打となり、この案は却下された。……はずだった。 「じゃあ、男子が着ればいいじゃん、メイド服。」 「それ超面白い!」 「女子はどうすんの。」 「女子は逆に、執事っぽい格好するというのはどう? 黒いパンツスーツなら揃えられるだろうし、それを少しアレンジすればなんとか行けるんじゃない?」 「もうすぐハロウィンだし、仮装っぽくていいかも。」  男子は女子の間でそんな提案が盛り上がっているとはつゆ知らず、その後の企画会議で突然そんな意見を聞かされる羽目になったのだった。女子は根回しして意見を固めていたのに対し、寝耳に水の男子はそんな作戦など立てているはずもない。困るのはホール係の男子3人だけで、その他の男子はどちらでもいいと女子に迎合したものだから、そのままその提案が通ってしまった。  そして、ホール係の男子3人には、田崎涼矢が含まれていた。 -------------------  美女と野獣。主役の美女役は、取り巻きからの推薦で、劇をやろうと提案した本人が務めることになった。野獣役は立候補も推薦もいなかったから投票制になったけれど、結果は開票するまでもなく分かりきっていた。学年でもイケメンの誉れ高い都倉和樹だ。 「でも、出番のほとんどは野獣の姿なのよね。」脚本担当者が呟く。 -------------------  夏が過ぎて大きな試合はない時期だが、学校には室内プールもあり練習はある。ロッカールームで雑談に興じながら、誰かが「和樹、王子様やるんだって?」と言った。 「ああ、うん。つっても、王子は最後の場面だけでさ、あとは被りものみたいなのつけるんだってよ。」 「イケメンの無駄遣いだな。」 「まったくだよ。」 「イケメンは否定しないのか、コノヤロー。」  そんな会話でみんなが笑う。涼矢も目立たぬようにそっと笑った。 「んで、こっちは女装なんだもんなぁ。」  和樹に話しかけていたスガッチこと須賀が涼矢に話を振った。須賀は涼矢と同じF組だ。 「え、マジで。」和樹が笑った。 「メイドカフェやるんだよ、うちのクラス。男女逆転で、女が男装して男が女装するんだってさ。」同じくF組のモモネンこと百音(ももね)が言った。女性的な名前だが、涼矢より大きく190cm近い。 「それは聞いてたけど、モモネンがメイドやんの?」 「いや、俺とスガッチは調理のほうだからやんない。ホール係なのは、そうだな、水泳部では涼矢だけだな。係が決まってからそうなったから、災難だったよなぁ、涼矢は。」 「田崎が。」和樹はまじまじと涼矢を見た。涼矢は反射的に視線を避けて、うつむいた。 「こんな大女のメイドがいたら、化けもんだよなあ。」とスガッチが笑う。 「そうかなぁ。」と和樹が言う。思いがけない言葉に、涼矢はつい顔を上げた。和樹はじっくりと上から下まで眺めて、言った。「逆にハイヒール履いて、背筋ピーンとして、超ロングのウィッグつけたら、スーパーモデルみたいで格好いいかもよ? アジアンビューティーを売りにしてるカリスマモデルにだって、こんな雰囲気の人いるし。」 「お、さすがモデルの母親がいる人は目の付け所が違うね。」とモモネンが冷やかした。 「おふくろがそんなのやってたのなんて大昔の話だよ、今はただのオバハン。」 「えー、だったらうちの母ちゃんと取り替えてくれよ。」 「そういや、その母ちゃんだって、背高くなかった?」 「高いよー、170cm超え。バスケやってたんだ。」 「だからおまえもそんなデカいんだ。」  そんな話をしながら、着替えを終えた彼らはプールサイドへと向かっていく。その後ろ姿を涼矢はしばらく見送ってから、少し遅れて、同じ方向へと向かった。 -------------------  ハロウィンが近い土日に、文化祭は開催された。一日目は何が何だか分からないままに過ぎた。二日目になると少し余裕が出来て、空き時間には他クラスの様子も見に行く時間ができた。  涼矢がD組の教室に行くと、もう終わりかけだし、それ以前に満員で立ち見をするスペースもないと言われた。それでも、ちょっとだけでもと粘っていたら、人の頭越しに少しだけ見えるポイントを見つけた。相手役は見えない。和樹の「被りもの」だけがチラチラと隙間から見える。一瞬の暗転のあと、その被りものが外された。 ――王子様だ。  そんなことを思い浮かべて、自分で自分が恥ずかしくなる涼矢だった。 ――どうしよ。やっぱかっこいいや。  それでも和樹から目が離せなかった。  高校の文化祭だから、ラブシーンと言えど大したことはしない。最後に遠慮がちに肩に手を置くまでだった。それだけなのに、垣間見える女性の肩の華奢な曲線に、涼矢は少し落ち込んだ。 「今日は見に来てくださって、ありがとうございました。」  一応カーテンコールらしきこともするらしい。和樹がそんな挨拶をするのも見えた。一礼して、また頭を上げ、観客席を見渡す和樹。その時、一瞬だけれど、涼矢と目が合った気がした。更には、笑いかけてくれたようにも見えた。涼矢はそれに笑い返すことができなかった。そのまま背を向けて、自分のクラスに急ぎ足で戻った。  化粧して、ロングのウィッグをつけて、安っぽいメイド服を着て、サイズの合わないパンプスを履いている自分を見られるのが、いたたまれなかったからだ。 -------------------  本当はハイヒールを履きたかった。スーパーモデルみたいになりたかった。女装したかったわけじゃない。和樹のかけてくれた言葉が本当だったと証明したかったからだ。でも、さすがに30cm近いサイズのハイヒールはなかなか手に入らなかった。ネットショップで見つけても、それはある種のプロ仕様で、やたらと高額だった。とはいえ田崎家の経済力から言えば買えない値段ではなかったのだけれど、そういった費用は個人負担ではなく、クラスメートで頭割りすることになっていたから、勝手に買うこともできなかった。結果、女性にしては大柄な、モモネンのお母さんの「捨ててもいいから」というお古のパンプスが回ってきた。それでも少し小さくて、かかとを踏みつぶすようにして履くしかなかった。メイド服だって、パーティーグッズ売り場の安物を少し直しただけだったし、ウィッグだって同様だった。  メイクは。  メイクだけは、そう悪くないはずだった。美容系の道に進む予定の女子が、気合を入れて施してくれたから。仕上がった時にその場にいた女子たちは「わあ、きれい」「すっきりした顔立ちだから、化粧映えするのね」「あたしより美人じゃん、やばっ」「お肌つるつる~、羨ましい」と口々に褒めてくれたのは、お世辞ではないと信じたい。そう言えば、その仕上がりを自分ではまともに見ていなかったのだけれども。最後に手鏡は渡されたが、恥ずかしくてろくに見なかったのだ。 -------------------  教室に戻ると、「あっ、田崎くん戻ってきた!」と急かされた。自分のシフトにはまだ30分ほどあるはずなのにおかしいと思っていると、ひとつ前のシフトの子が怪我をして抜けてしまったのだという。だから悪いけれど、2人分のシフトをこなしてもらえないか、ということだった。 「別にいいけど。」  和樹の「王子様」姿を見ることができたから、他のことはどうでもよかった。自分の格好は恥ずかしいままだけれど、考えてみれば一番恥ずかしくないのは、この場にいることだった。  そこからは余計なことは考えないで、ただ黙々とスイーツとドリンクを運んだ。一緒に記念写真を撮ってほしいと言われれば渋々ながら応じた。その素っ気ない対応が逆に受けて、わざわざ涼矢を見に来る女の子も何人かいるようだった。  少し疲れを感じて、教室の時計を見た。あと10分。それでこの格好もやめられる。  そう思った時、「間に合ったー。」という声が聞こえた。和樹だった。和樹はズカズカと入ってきて、涼矢が呆然と突っ立っているすぐ近くの椅子に座った。「着替えたり、化粧落としたりしたら、結構時間かかっちゃってさ。ここ、メニューどんなのがあるんだっけ。」 「……まず、入口のところで食券買って。」 「あっ、そうか、ごめんごめん。」和樹は慌てて入口に戻り、そこの係にも謝りながらクッキーと紅茶のセットを注文すると、元のテーブルに戻ってくる。「ほら、猫背じゃだめだってば。背筋ピーン!」  そう言われて、思わず言うとおりに背筋を伸ばす涼矢だった。間もなく和樹のオーダーが用意できたと声がかかって、涼矢はそれを運ぶ。 「クッキーと紅茶です。」とりあえずマニュアル通りのセリフを言いながら、和樹の前にそれらを置いた。紅茶は紙コップで、クッキーは紙皿に3枚ほどのっているだけのものだ。  和樹は涼矢の顔を見上げて言った。「さっき、挨拶した時、そっち見たの、分かった? その後すぐどっか行っちゃったけど。」 「……分かんなかった。人いっぱいいて、よく見えなかったから、すぐ出てきた。」 「そうか、残念。」 「ごゆっくりどうぞ。」マニュアル用語で誤魔化して、その場を立ち去ろうとしたその時に、和樹が言った。 「やっぱ美人じゃん。」 「え。」 「スーパーモデルみたい。」 「……でも、こんな。ドンキとかの、やすっちい。」涼矢はしどろもどろになる。 「確かに、服と靴は惜しいよね。」和樹が声をひそめて言う。「俺の相手役なんか、すっげえ厚化粧でさ。ミュージカル好きみたいで、普通教室だってのに、ばっちり舞台メイクなんだもん。今の田崎のほうが全然きれい。」 「馬鹿言うな。」涼矢は逃げるようにして和樹から離れた。  教室はパーテーションで客席と準備するスペースを区切ってあって、涼矢はそのパーテーションの裏に入った。 「俺、もう、上がっていいだろ。」まだ5分ほど残していたけれど、ほぼ2人分こなしたのだからもういいだろうと思った。 「うん、次の子入ったから、大丈夫。ありがとね。あ、これ、クレンジング。メイク、水じゃ落ちないから。」  そのまま教室を出て、トイレで着替えた。最後にメイクを落とそうとトイレの鏡を見た。  見たこともない顔がそこにあった。ウイッグも取り払った短髪に、化粧を施された顔は、男でも女でもなく、みんなが言ってくれたような美人にも見えなかった。本来の肌より白く塗られた顔は、むしろ道化みたいだと思った。  本当にきれいと思ってくれたんだろうか。  きれいな女だったら愛してもらえたんだろうか。  良い服を着て良い靴を履いても、男ではだめなんだろうか。  素の自分でも愛される夢を見てはいけないんだろうか。  気が付いたら涙が溢れていて、鏡の中の白塗りの男は、益々道化のようで、涼矢は慌ててメイクを洗い流した。洗い流してから、水滴を拭うタオルを持ち合わせていないことに気付いた。 「お、また会った。」  今一番会いたくない相手が現れて、涼矢はビクッと身を硬くした。 「なんだよ、タオルねえの?」和樹はバッグからタオルを出した。「これでいい? 俺がさっき使った奴だけど。」くんくんと鼻を近づける。「だいじょぶ、そんなに臭くない。」  涼矢はそのタオルで顔を拭いた。「サンキュ。……洗って返す。」 「いいよ、そんなの。逆にめんどくさい。」和樹はタオルを引っ張って取り返す。それからまた涼矢の顔をじっと見た。「おー、さっきの美人もいいけど、やっぱ見慣れた顔のほうがいいな。」そんなことを言いながら、小便器のほうに向かった。 「タオル、ありがと。」もう一度そう言って、涼矢はトイレを後にした。 ------------------------------------- この話は、「その恋の向こう側」666話記念作品として書きました。 和樹と涼矢が高校2年生、別々のクラスにいた頃の話です。 「666」は映画「オーメン」でもお馴染み「獣の数字」として不吉の象徴とも言える数字です。と言っても非キリスト教徒の身としては、単純にゾロ目でめでたいというのもありまして、更に言いますと、これが「掌編」の100話でもある。 というわけで、そう不吉な話にもしたくない。 結果、「獣」成分は「美女と野獣」を演じる、というところにちょっぴりこめるにとどめまして、一方では「和涼のハロウィン仮装」のリクエストなんぞもいただいておったものですから、少々時期がズレましたが、その要素も入れ込みました。 結ばれる以前の話なので、切ないところはありますが、総じてはこの後の2人の関係を明るく暗示できていればいいなと思いながら書きました。

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