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第112話 八重むぐらしげれる宿の
「煙草買ってくる。金ちょうだい」
そう言って出て行ったきり帰ってこない奴を待つのに疲れて、二人で暮らした部屋を出た。
放浪の果てに縁もゆかりも、あいつとの思い出も何もない土地にたどりつき、ひどく古くて安い空き家を買った。
草ぼうぼうの荒れた庭が我が身を見ているようで愛しくて悲しくて、なんとなく放置したまま三ヶ月、季節は秋になりセイタカアワダチソウが随分と生い茂った。そんな中を分け入ってくる男が一人。
「あんた都会もんだから、草むしりもしたことないんだろう。手伝ってやるよ」
彼もまた別の土地からここに移り住んだのだと言う。俺との違いは、目指す農法を実践すべくやってきたという点だ。それでも同世代で同じく独り身の俺がこの地に定住を決めたのがよほど嬉しいのか、引っ越し当初から何かと世話してくれていた。そして今日もまた、頼みもしないのにせっせと庭の手入れをしはじめる。
ああ、こうしてみると、横顔が少しあいつに似てるな。俺が最初に惚れた横顔。
これでまともに働いてくれたら完璧に理想の男なのにと思ってた、あいつに。
「そんな生っ白い顔色して、メシは食ってるのか。うちの野菜持ってきてやったから食えよ。料理はできるか?」
仕事もせずぶらぶらするなら食事の支度ぐらいしてくれたらいいのに、と思ってた。
「なんだ、そんな情けない顔して。さてはホームシックか? 話し相手ぐらいなら、いつでもなってやるぞ」
せめて優しい言葉のひとつでもかけてくれたら、好きなままでいられたのに、と。
――そう、こんな人だったら、きっと、もっと好きになれた。
「じゃあな、ちゃんと食えよ」
ひと仕事終えて帰ろうとする背中に声をかけた。
「あ、ありがとう。あのさ、この野菜でなんか作るんで、一緒に食べない?」
「おう、それはありがたい。あんなこと言ったけど、実は俺、料理は苦手で」
そう言って笑った顔は、あいつには全然似ていなかった。
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元歌
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八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり
(恵慶法師)
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