160 / 160

第160話 「おかえり」 *「その恋の向こう側」番外編

「ごめん」  玄関を開けるなり、和樹が言った。「ただいま」を言うより先に謝るな、と涼矢は思ったが、口には出さなかった。その代わり、こっちも「おかえり」を言わないでおく。 「何が」 「閉店に間に合わなくてさあ」 「だから、なんの話」 「ごめん。今年、なんもないわ、誕プレ。一応言うと、予約はしてた。帰りに取りに行くつもりで」 「配送にすりゃいいのに」 「味気ないだろ。俺から手渡したかったの。……って、手ぶらで言っても説得力ないな」 「手ぶらじゃなくない? それは?」 「ああ、これ? はい」  和樹が差し出したのはスーパーの袋。反射的にそれを受け取る。 「重っ」 「ビール入ってるから」 「ビール」 「一応な、乾杯ぐらいはしたいなってね。スーパーしか開いてなくて」 「なんだ、ちゃんとあるじゃないですか」 「あなたさまの誕生日ですから」  そう言って、和樹は少し笑った。  七月七日。駅前には今年も笹が飾られていたし、スーパーの入り口にも短冊を書くコーナーができていた。先に帰宅した涼矢も、それを横目に見ていた。この町で暮らし始めてから毎年見る光景だけれど、短冊を書いたことはない。たぶん、和樹も。  袋の中はビールだけではなかった。焼き鳥のパックと、枝豆と、冷やしトマトと、割引シールの貼られた惣菜。それから、六缶パックのビール。いつも二人で飲んでいる、普段使いの発泡酒ではない。 「ケーキ屋は当然閉まってるし、スーパーのも売り切れてて」 「いいよ、別に」 「コンビニのプリンなら買った」 「固いやつ?」 「固いやつ。おまえ、そっちのほうが好きだもんな」 「サンキュ」  何か忘れている気がする。そう思いつつ和樹と乾杯した瞬間、思い出した。 「ああ、そうだ」 「なに」 「おかえり」 「今かよ」和樹は笑う。「はい、ただいま」  今さら、短冊に何を書けというのだろう。  一番の願いは、もうとっくに叶ってしまったというのに。 (おわり) #本編「その恋の向こう側」→https://fujossy.jp/books/1557 7/7は涼矢の誕生日。

ともだちにシェアしよう!