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第7話 寝顔 *「その恋の向こう側」番外編
*自傷行為表現があります。
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初めて彼の寝顔を見たのはいつだったか。
初めての夜も、それから何回か会った後も、軽薄そうな外見に似合わず、彼は隙を見せなかった。ことが済んで、あとはそのまま寝るだけという段になると、見たい映画があると言い、テレビの前に陣取って長編映画を見始めたり、「もう一度シャワーしてくる」と言って、バスルームに消えたきりなかなか戻らなかったりして、毎回、先に俺が寝落ちした。翌朝、俺が目覚めた時には、大抵床に新聞を広げて熱心に読んでいる。それが靴のまま歩き回るホテルの部屋でも同じで、清潔とは言い難いカーペットでも直に座りこんで、文字通り端から端まで文字を追う姿は、鬼気迫るものさえ感じさせた。
「おはよう。」と声をかけるとビクリと肩を震わせて、一瞬怯えた表情で俺を見上げるのも、いつものことだった。まるで悪事を働いているのが見つかったかのように。
「新聞、好きなんだな。今は新聞を取らない家も多いって聞くけど。」
「うん。うち、新聞取ったことない。」
「今はネットでなんでも情報が入ってくるからな。でも、俺は長年の習慣でなんとなくとっちゃうんだよな。あとほら、野球のチケットとか洗剤とか、もらえるし。」
「そうなんだ。」
新聞購読の経験がないと、そういう知識もないのか。などと、こんなところで、ジェネレーションギャップを感じたりする。と言っても、こいつ、いくつなんだ。高校生だろ。高校生って、18歳……?
「哲、おまえ、本当は何歳だ?」
「……16。」
「うぇっ。」変な声が出た。
初めて顔を合わせたのは何か月か前のゲイバーだ。19だとぬかしてたが、それが嘘なのはすぐに見抜けた。そして今日、初めて日のあるうちから待ち合わせて、そうしたらこいつ、学校から直接来たって、制服着てきやがった。でも、16って。……マジかよ。
「倉田さんは何歳?」
「10コ上だよ。おまえ、店じゃ19って言ったよな?」
「18歳未満は入店できないって書いてあったから。オマケで1歳足しといた。」
「バレバレだっつの。」
「でも、店には入れた。」哲は俺に近づいて、俺の首に手を回した。「倉田さんにも会えたんだから、いいじゃん?」
「まったく、困った奴だな。」俺は哲の手首を握ろうとした。指先が引っ掛かって、哲のシャツの袖がめくれた。
そして、俺は見た。手首から肘の内側にかけての、無数の傷。「て、哲。これっ……?」
哲は慌ててシャツを戻した。思えば、哲は上半身をはだけるのを避けていた。服を着ているままのほうが燃えるとか言って、すべてを脱ぐことはなかった。いや、それでも鎖骨や胸や臍や……そういった箇所は散々見たし、触れもした。嫌がる様子はなかった。
俺はようやく悟った。避けていたのは上半身を露出することじゃない。腕だ。この傷を、哲は見せまいと思っていたんだ。
「汚いもの、見せて、ごめん。」哲はうつむいた。
「誰かにやられたのか?」
哲は首を横に振った。
「……自分、で?」
哲は静かにうなずいた。
「痛く、ないの?」
「痛いよ。痛くないと意味ない。」
俺はシャツの上から、そっと哲の腕をおさえた。撫でたら痛むかもしれないから、動かすことはしないで、ただ、そっと。
「今は痛くないよ、最後にやったの、一昨日だし、もう、痛まない。」
「一昨日。」一昨日の傷が、痛まないなんて、嘘だ。かすり傷じゃないんだ。
「平気だから。気にしないでよ。」
「なんで、そんなこと。」
「……そうしないと、眠れない、から。血が流れてるって分かんないと、眠れない、から。」
「ゆうべは? 昨日は、ちゃんと寝たか? 俺先に寝ちゃっただろ。今もおまえ、新聞読んでた。少しは、寝たのか? 昨日は?」
「そんなこと、倉田さんには関係ないし。」
「馬鹿か、おまえは。」たまらなくなって、俺は哲を抱きしめた。俺は哲より背も低いチンケな男だけれど、哲は俺よりもっと華奢で、折れそうな体をしていた。何もしなくてもそんななのに、それを更に傷つけて。そんな傷にも気づかずに、俺はこいつのすぐ隣でお気楽に寝ていたと言うのか? 16の子を抱くだけ抱いておいて?
「痛いよ。」
「やっぱり痛むんじゃないか。」
「傷じゃないよ、抱く力が。」
「痛けりゃ眠れるんじゃないのか。」
「そんな……。」哲が俺を押し戻そうとしていた手の力が、ふと、抜けた。
「こうしてたら、少しは眠れるんじゃないのか?」
「……そうかもって言ったら?」
「眠ればいい。今日は休みだし、いくらでもこうしててやるよ。遠慮するな。」
哲は俺の胸に額をこすり付けた。表情は見えない。しばらくそうして俺に体重を預けた。「……ベッドで、横になってこうしてくれたら、眠れるかもしれない。」
「うん。じゃあ、来い。」
俺は哲を抱き寄せるようにして、ベッドに誘った。でも昨夜とは違う意味だ。
哲は俺の腕の中で、胎児のように丸まって、目をつぶった。その肩を抱き、背中を抱いた。時折頭も撫でてやった。
いつしか寝息が聞こえてきた。
初めて見た、彼の寝顔だった。
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#うちの子版深夜の60分一本勝負
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