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第62話 指切り *「クリスマス・イルミネーション」番外編
智哉と3年ぶりの、そして2度目の夜。智哉の右半身の動きはやはりどこかぎこちない。それでも、最初は単に極度の緊張のせいだろうと思った程度には、動いていた。
智哉のシャツのボタンは俺が外した。肌着は着ていなくて、素肌が現れた。そのまま袖から脱がせようとすると、智哉は少し後ずさり、自分で脱ぐよ、と言った。見ていると、シャツの右袖を抜くのはまともに動く左手を添えられるから問題なくできた。反対の左袖を抜く時のほうが時間がかかる。俺が手を貸そうとすると智哉はそれを拒否した。
「今の僕をちゃんと知っておいてほしいんだ。」
ぎくしゃくとしか動かない右手を必死で動かして、体全体をひねって、どうにか左袖を抜いた。床に落ちたシャツはわざわざ右手で拾う。突然弾かれたように腕がピンと張りつめて、シャツを落とす。それをもう一度拾い、ソファに置いた。
そんな様子を俺に見せて、俺に自分のしたことを思い知れと言いたいのか。俺が狼狽えて立ちすくんでいると、智哉はにっこりと微笑んだ。
「こんな僕じゃ嫌? それとも、僕がかわいそう?」
「ちが、違うよ。そんなんじゃない。ただ、俺は……俺が、おまえを、そんな風に。」
「僕は今、人生で一番幸せだよ。瞬が、こんな僕を、まだ好きでいてくれるんだったらね。」
「好きだよ。当たり前じゃないか。でも、智哉は。」俺はたまらず智哉を抱きしめた。「智哉、本当に俺を許してくれるのか?」
「許すも何も、瞬は悪いことなんかひとつもしてない。」智哉の腕も俺の背中に回される。初めに左手から。少し遅れて、右手が。「違った。1個だけしたね、悪いこと。僕に黙っていなくなったこと。……ねえ、もう、どこにも行かないで。一人にしないで。そしたら僕は世界一幸せになれる。」
「どこにも行かないよ。智哉と一緒にいるよ。」
「僕、もっと頑張るから。もっと右手も右足も動くように、頑張るから。約束して。」
「もう頑張らなくていい。そのままでいいよ。ちゃんと約束するから。」
「ううん、頑張る。だって瞬と同じ速さで歩けるようになりたいし。今日だってね、瞬を追いかけるの、すごく大変だったんだから。瞬、歩くの速いんだもの。去年も一度、瞬が来たの分かったんだ。でも、その時は今よりもっと歩くの遅くて、玄関まで行くだけで時間がかかっちゃって……。今年は、追いつけた。途中の信号が赤だったおかげもあるけどね。」
じゃあ、智哉に合わせてゆっくり歩くよ。そう言いかけて、やめた。智哉はそんな風にされたいんじゃない。普通に、俺と並んで、歩きたいんだ。3年前と何ひとつ変わらない、まっすぐな目がそう言っていた。好きじゃないピアノでも真剣に取り組んできた。大怪我からも自力で立ち直った。大学に入りなおすことまでして、新しい勉強も始めた。智哉はいつでも、まっすぐで、ひたむきだった。
「分かった。」と俺は言った。
「うん。じゃあ、約束しよう。なんて言うんだっけ、こういう時にするの。僕、小さい時日本にいなかったから、そういう日本語が抜けてて。握手じゃなくて、指? 指、結び? 違う、ええと。」
智哉は右手をぎくしゃくした動きでグーパーさせながら、考え込む。
「あ、指切りのこと?」
「そう、それ。」智哉の顔がパーッと明るくなる。
俺は右手の小指を立てて、智哉の胸元に差し出した。智哉も同様にする。しようとした。けれど、小指1本だけ立てるというのがひどく難しいようだ。それでも俺は、左手に変えたりはしなかった。智哉もそうしろとは言わない。
だいぶ時間をかけて、右手首を左手で押さえて、ようやく小指が立った。俺がそこに自分の小指を絡めると、智哉の小指も僅かながら曲がった。
「ずっと一緒にいて、智哉を一人にしないって、約束する。」
「右半身のリハビリ、まだまだ頑張る。」
お互いにそう宣言した。
「ゆーびきーりげーんまん。」と俺は小声で歌うように言った。
「ゆーびきーりげーんまん。」智哉はさすがに音感がいいのか、一度聴いただけで同じメロディで歌った。
「うーそつーいたら、はーりせーんぼん。」
「うーそつーいたら、はーりせーんぼん?」智哉の語尾が少し上がった。メロディではなくて、歌詞の「針千本」のほうにギョッとしたらしい。俺はクスッと笑いながら続けた。
「のーます。」
「のーます。」
「次、一緒に。ゆーび、きった。」
俺はここだけゆっくりめにして、智哉と息を合わせ、一緒に「指、切った。」と歌った。
「針、ニードルの針?」
「そう。」
「針を千本、飲むの?」
「そう、智哉が頑張らなかったら、俺が智哉に飲ませる。」
「怖いなぁ。でも、逆の時は僕が瞬に。」
「それはないから。」俺は智哉を真正面から見つめた。「絶対一緒にいるから。」
智哉は、俺の顔と自分の右手を、嬉しそうに交互に見る。
俺は智哉の右手を取り、その小指にキスをした。
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#うちの子版深夜の60分一本勝負
#本編「クリスマス・イルミネーション」→https://fujossy.jp/books/189/
恥ずかしながら、本編は小生の処女作。
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