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第1話
『卒業おめでとう』
黒板いっぱいにチョークで書かれた文字をオレは出来るだけ無心で眺めた。
その隅に『お別れ会:15時、駅前のカラオケ集合』と書いてある。
オレはまだ行くかどうか決めてない。
バスケ部にも顔を出してくれと後輩達から言われている。バスケは高校生活のほとんど全てと言えたし、元キャプテンとしては行かなくてはいけないのも分かってる。
──どれもこれも気が進まない。
覚悟は出来てたはずなのに。
当日を迎えて晴れ晴れしい気持ちよりも、なにかが欠けてやるせない感情の方が強い。
今日高校を卒業したら、ここにいるほとんどの奴らとは、多分もう会うことはない。
(それにあいつにだって、もう二度と………)
まだ引き摺ってる。奴だってきっと、忘れているだろう事を。
部活には春休み中に改めて卒業生を誘って行こうと決めた。
送別会にはまだ時間がある。一旦、帰ってから考えても遅くない。
着替えに帰ると友達に伝えると、何か察したのか友人たちには「オッケーオッケー。また後でなー」とやけに明るく言われた。
これで最後かもしれないから、すれ違うクラスメイト皆に声を掛け出口へ向かう。
一度だけ振り返って周囲の空気を吸い込むとオレは教室を後にした。
──校門まで来て足を止める。
自分ルールで、今決めた。この門を出たら卒業だ。きっちり、気持ちを切り替えてやる。
頭の中で、聞き慣れた試合終了のブザーが鳴り響く。後は一歩足を踏み出すだけ。
目を閉じて右足から上げる。地面に足が着く前に、ぐっと腕を引かれて後ろに引き戻された。
「────っ」
デカイくてゴツい手にその腕力。生意気にも頭一つ分上からオレを見下ろす気配がしている。見なくたって誰だか分かる。
わざとゆっくり後ろを向いて見上げたのは、誰よりも待っていた──そして一番会いたくない顔だった。
──眞木綾斗 。バスケ部だったひとつ下の後輩。
「あんたに話があんだよ」
オレはこいつに腹を立てている。先輩を先輩とも思わないこの尊大な態度にじゃない。そんなのは今更だった。
「………オレには、ねえよ」
掴まれた腕を振り払う。その腕を倍の力で掴み返された。
「痛って──離せよ、バカ力」
「ハナシ聞けって言ってんだろ」
「話すことなんか、なんもねえ!」
もう一度振り払おうとするが上手くいかない。眞木の舌打ちが小さく聞こえた。
「いいから来いよ──抱きかかえんぞ」
オレを睨んで物騒な言葉を低く響かせる。本気でやりかねない。
ため息を吐いて空を仰ぐと鼻先にぽたりと雨粒が落ちてきた。厚い雲が風に流され迫っている。すぐに本降りになるだろう。
諦めるしか無いようだ。
「どこ行くんだよ?」
「──人が来なきゃ何処でもいい」
そう言ってオレを引き摺って行ったのは体育用具倉庫だった。
逃げねえと言っても腕を離さなかった眞木は倉庫の中にオレを放り出した。よろけたオレが睨むのにも構わず、乱暴な仕草で鉄製の扉を後ろ手に閉める。ガシャンと、外で錠が降りた音がした。
「お前っ、そんな荒っぽくやるからカギ閉まったんじゃねえの!?」
オレは扉に飛びついて引いてみたがやっぱり開かない。
「馬鹿、どうすんだよ」
薄暗くて良く見えないが眞木は嗤ったように見えた。
「別にどうも?あんたが逃げられねえだけだろ。好都合じゃん」
扉から離れていき眞木は丸まったマットの上にドスンと座った。採光窓から差す光に照らされオレを見上げている。
面と向かって話すのは夏ぶりだ。去年より髪が伸びて黒髪が輪郭を縁取り、面差しが少し大人びたように感じる。
口調よりもずっと真剣な眼差しを捉えて、オレもその場で向き合った。
「──話ってなんだよ」
「あんたが無かった事にしようとしたって、オレはこのまま終わらせるつもりなんかねえんだよ」
「はあ?」
眞木が何を言い出したのか、本当に分からなかった。思っていたのと展開が違う。
「──冗談なんかじゃねえ。オレは真剣にあんたのこと考えてた」
「お前………何のこと言ってんだよ」
「分かってんだろ?あんたが引退した日の話だよ。もう、今日しか残ってねえじゃん。オレだってもっと早く話したかった──けどこの9ヶ月、あんた逃げっ放しだったじゃねえか」
「それはお前が────!」
逃げたと言われてカチンと来た。とっさに言い返すのを眞木の低い声が遮る。
「キスしたからだろ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
3年生の部活最終日。オレ達は夏休み前に引退だった。
インハイまで勝ち残ればもっと続けられた。けど弱小チームのうちでは地区予選に残る事すら難しい。
部内では最後に1・2年対3年の引退試合が行われるのが恒例だった。
試合は残り数分のところで3年の1点リードと僅差の接戦となった。
現役生には先輩に花を持たせたいという思い、3年生は最後の勝負を勝ち越して終わりたいという期待、そういう気持ちが働いたんだろう。とにかく猛攻を掛けるべきラスト1分、現役生チームがシュートを打たなくなった。
だが眞木にボールが渡った。
そんな両者の馴れ合いのような雰囲気を、奴は意にも介さなかった。一瞬の隙も逃さず強気なシュートを放つ。
眞木の手をボールが離れた瞬間、終わりを告げるホイッスルが鳴り、その余韻も消えやらぬままボールはゴールに吸い込まれていく。スリーポイントのブザービーターだった。
オレ達の引退試合は逆転負けに終わった。
元々部内で浮いた存在の眞木に激励の言葉はなく、寧ろ白々しい空気さえ流れていた。
「普通あそこであんながっつく?」
「ホント空気読めねえ奴だな」
そんな声が聞こえてくる。
でもオレには分かった。分かったと思っていた。最後の試合だからこそ眞木は手を抜きたくなかったんだ。
オレはキャプテンとしての仕事を締めくくるつもりで皆に向かう。
「お前らなに言ってんの。これぞバスケっていう最高の試合だったじゃん!素直に感動しろよ、今の凄かったって。次の世代に期待が持てて良かっただろ!」
そして眞木に手を差し出した。オレの手をジッと見つめて眞木は動かない。
「最後まで本気でプレーしてくれてありがとな。嬉しかった」
そう言ったと同時に眞木に強く手を掴まれ、そのまま体育館の外まで引っ張って行かれた。
「おい!?なんだよ。うわ、外すごい土砂降りじゃん。何やってんだよ眞木!戻ろうぜ」
真っ黒な空に雷鳴まで鳴り響く夏の豪雨だった。
ほんの1歩前すら良く見えない。声もかき消されそうだ。
「オレ、いつもあんたの背中追いかけてたよ。先輩が居たからここでやってた。──でも、まあ踏ん切りついたわ」
「え?なに?よく聞こえない!」
オレが大声を上げると眞木の口元が微笑んだ。
そのまま顔が近づいてきて、あれ、近くねえ?と思った時には唇が重ねられていた。
オレにとっては初めてのキスだった。想像していたよりずっとその感触は柔らかい。
少しだけ触れてから眞木が身じろぎして、離れて行くのかと思った。
そうじゃなかった。
ほんの僅かに顔を離した眞木が熱っぽく吐息をはき出した。
「──っは、先輩──」
追い詰められたような、やけに苦し気な声。
前髪の隙間から覗く目が睨んでいるように鋭い。いつもと違う強い視線に射抜かれたオレは背筋がゾクゾクして動けない。
それからぐいっと強く腰を引き寄せられ、さっきよりも力強く唇を押し当てられた。片手がオレの後頭部を押さえて更に深く口づける。舌を出して舐められると体が勝手にビクリと震えて、怖くなったオレは眞木の胸を突き飛ばした。
「……っざけんなよ!冗談のつもりならタチ悪いぞ!」
眞木はオレを見つめたまま何も言わなかった。
それから数日はさすがに悩んだが、それも束の間だった。
後輩から「眞木が部活に来なくなった」と聞かされたから。
理解出来なかった。許せなかった。
信じていた仲間に裏切られた──というのがその時の感情に一番近いかもしれない。
(あんなに才能があって、それはオレが羨ましい程で。オレにはどんなに努力したって届かないものを持っていて。それをあっさり捨てやがって。オレはお前とプレーするのがすごく楽しかったのに──お前は違ってたのかよ!)
理由を問い詰めたかったが、そんな恨み言を言ってしまいそうで嫌だった。
(眞木が自分で決めたことだ。オレが何を言っても仕方ない)
でも傷付いている自分を素直に認めることも出来なくて、オレには眞木の存在を頭から消すしかなかった。
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