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第2話
眞木の言った言葉で、オレはあの日を鮮明に思い出しその場で息を呑んだ。
そりゃ──あんな訳わかんねえキスされれば動揺だってする。………けど、違う。
「違えよ!お前のいい加減な態度にムカついてんだよ!バスケ好きなんじゃなかったのかよ。なんで部活辞めたんだよ!」
「──はっ?………なに?部活?」
眞木の声はひどく驚いている。
「ちょっと待てよ────先輩が口きいてくんなかったのって、オレがキスしたからじゃねえの?」
いつも余裕をぶちかましてるのに見たことがないくらいの動揺ぶりだ。
言うつもりなんてなかった。でももう止めることなんて出来ない。
「勝手にバスケ辞めた事に怒ってんだよ!」
眞木は頭を抱えて考え込んでしまった。まるで予想外のことが起きたような態度だ。
沈黙が落ちた。
やっぱりオレは心のどこかで言い募りたかったんだろう。
何かを勘違いしている眞木の様子に我慢できずにぶち撒ける結果になるんだから。
「────オレ、辞めてなんかねえよバスケ」
長い沈黙の後に聞こえてきた言葉は幻聴かと耳を疑うレベルで意外だった。
「え──なに言っ──」
幻聴は喋り続ける。
「あんたこの先もバスケ続けんだろ。オレも本気でもっと上目指そうと思って。でもうちの部じゃ弱すぎんじゃん。だからクラブチームに入ったんだよ」
(いやだって、それじゃオレ何のために怒ってたんだよ──)
「なんで………なんで言わねえのそういう事!」
黙ってるのが悪いだろ、そう思ってあからさまに不機嫌な声が出た。
「聞こうとしなかったのそっちだろ」
だんだん明確になってくる。……明かされてしまう。
勘違いしていたのはオレの方──じゃねえのか。
確かに何度か声を掛けられた。それを無視して姿を見かける度に避けていた。
「けど、そんな大事なことならもっと強引にでも──」
「オレはあんたに別の理由で嫌われたと思ったんだよ!執拗 く出来るわけ、ねえだろ!」
眞木の拳がマットに叩きつけられる。ボス、と鈍い音がして埃が舞った。
(それもそうか……考えれば当然だよな)
眞木の立場ならその通りだろう。
足に力が入らなくなり、壁を背に着けたままズルズルとしゃがみ込む。
目を背けていたものから正面切って乗り込まなくてはいけなくなってしまった。
『オレのこと好きなくせに、なんでバスケ辞めたんだよ』
──それがオレの本音だったんだよ。一緒に遊んでもらえなくて子供が拗ねてるような言い草だろ。
だってじゃあ、なんでキスしたんだよ、一方的に繋がりを断ち切るくらいなら。そう思っていた。
オレが聞く耳を持たなくても突っぱねても、その理由を弁解して欲しかった。
恋愛感情かって言われたら違うと答える。だけど執着してるのはオレも同じだ。
眞木は逃げるオレにきちんと向かい合った。そしてオレのは勘違いだった。認めるしかないだろ、こんなの。
「………オレ自分の事ばっかりで、お前の気持ちないがしろにしたんだよな……ごめん」
実際オレの取った態度は幼稚で自分勝手で自己嫌悪しかない。今となっては穴掘って埋まりたい。
「ごめんなんかじゃ足りねえのは分かる。だからさ、一発思いっきり殴ってくんねえかな。オレの事」
眞木が顔を上げて試すような視線を送ってくる。
「──まあ半年以上も不当な扱い受けた訳だし?鬱憤も溜まってるからな。そう言うなら遠慮はしねえよ」
「遠慮なんか、しなくていい」
そう答えると眞木がスッと立ち上がり大股で歩いてくる。オレの正面に立つと後輩とは到底思えない威圧感で圧倒する。
眞木の左手が胸倉を掴んでオレを引きずり起こした。見下ろす瞳はなんの感情も映してない。
「目、閉じろよ」
言葉に滲み出た嘲笑はひどく冷たく感じた。
覚悟を決めて目を瞑る。
あの太い腕が繰り出す威力を想像して身体が強張った。
「──オレが巴 先輩を殴れるって、本気で思ってんの」
耳元で鼓膜が震えるほどの低い声が聞こえ、唐突に息が止まるほど強く抱き締められた。
驚いて開いた目の前には、あの時と同じ鋭い視線。言いようのない悪寒に背筋がゾクリとする。
「殴らせるくらいならキスさせろ」
噛み付くように言われて必要以上に焦りが湧き出る。
「それは……違うだろっ」
「違わねえ、謝りたいんだろ。それともまた突き飛ばす?」
そう言って眞木は締め付けていた腕の力を緩めた。まるでオレに決断を委ねるみたいに。
突き飛ばそうと上げた腕がやけに重い。迷いのあるまま眞木の胸元に手を当て制服を握りしめる。
「………こんなの卑怯だぞ」
「じゃあ貰って嬉しくねえもん押し付けて、謝罪になんのかよ」
「………っ」
悔しいが眞木の言うことは正論だと思ってしまった。言葉が返せない。
「納得した?だったら口開けて」
「はあ?」
不用意に開いた隙間に向かって眞木の唇が喰らいついてくる。オレは大きなミスを犯したことに気付いたが遅かった。
頭を抱え込まれて、思い切り舌を突っ込まれる。今度は初めから遠慮の欠片もなかった。
オレの抵抗なんて少しも通用しないほど深くに潜り込んだ舌で、まさぐられて絡め取られる。
息が、苦しい。
「──っふ………は、はぁー………っ」
角度が浅くなった瞬間に顔を逸して酸素を吸い込んだ。
胸を押し返そうとした両腕を、強い力で肘の上から掴まれた。また捕らわれて唇を覆われる。
ただの一瞬もオレを逃がさない。そうでなくても身動きが取れないのに。
引き寄せるように舌を絡めて吸い込まれて、頭の芯が麻痺してくる。熱が出る前のようなゾクゾクする感覚が身体中を走る。
腕が痛いとも言えないまま奪われ続けた。激しく追い立てられるように。
何も考えることが出来ない。ただすごく熱いと感じた。
「くっそ────」
唇を離した眞木が頭の上で苦々しく呟いた。
オレは顔を上げようとしたが、後頭部を押さえられる。そのまま頭を抱かれてオレの視界は眞木の胸で埋まった。
「これ以上はオレが無理。スイッチ入ったら止めらんねえし」
抱え込まれているせいで顔が見れない。だがその声色はわざと冗談めかして言ったように聞こえる。
「眞木?」
「──先輩………」
声と共に眞木の顔がオレの頭に擦り寄せられて、そのまま肩に降りてくる。その表情は隠されたままだ。
どこか様子がおかしいと思ってから気付く。
今はただ、添えるだけの力で身体に回されている両腕が微かに震えている。
ついさっきまで、強引な態度を平気で取り続けていたとは微塵も思えない。
(────あ)
でも、そうじゃないのかもしれない。
さっきのキスは乱暴で、自分本位な衝動からに見えた。
けど本当は必死なだけ、だったんじゃないのか。
「なあ眞木」
「──なんだよ」
機嫌の悪そうな声。頑 なに顔も上げない。
(そうだとしても答えるわけねえか)
「………なんでもねえ」
オレは少しだけ笑って眞木の頭を軽く叩いた。
「これでやっと、ちゃんと言える」
「なにが」
眞木に言われて聞き返す。返事はすぐにされなかった。
オレと眞木は校門に向かって歩いている。
あれからすぐに部活の道具を取りに来た生徒が用具室の扉を開け、オレ達は無事外に出られた。
閉じ込められている間に雨は通り過ぎ、今はやわらかい日差しが雲間からこぼれ落ちている。
眞木が足を止めたのでオレも立ち止まった。
見上げると、背筋の伸びたきれいな姿勢で真っ直ぐにオレを見つめる視線と合う。
「巴先輩──卒業おめでとうございます」
「んだよ急に……全然、お前らしくもねえ」
今日、何回この言葉が交わされたんだろう。とても当たり前でありふれた、お約束の常套句。
「──でも、ありがとな」
だけどオレにとって、たった一つの特別なものに聞こえた。眞木が特別な言葉にしてくれた。
「クラブの練習が夕方からあんだけど見学に来いよ。どうせ、もう暇なんだろ」
さっきの感慨はなんだったんだよ。というくらい一瞬でいつも通りに戻った憎たらしい後輩を横目で眺める。
「送別会がある」
終わってからでも間に合うのかもしれないが、気のない声で答えてやる。
「ふーん。そんなこと言っていいの」
ニヤニヤとオレの顔を覗き込む。
「強豪大OBの中で揉まれてんだぜ。最高にグレードアップしたオレのプレー、あんたが見たくないとか、ねえな」
悔しいが、確かにそれは見てみたい。
不貞不貞 しく笑う後輩の顔と、スパンッとゴールを通るボールの映像が重なって見える。
(ああ。そういや拉致されたのってまだ門をくぐる前だったな)
少しずつ近づく校門を前に、オレはそう気が付いた。
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