31 / 82

029

 逃げようにも神原に手首を握られ、連行される形で風紀室の前までやって来てしまった。放課後ということもあってかすれ違う生徒はいなかった。  生徒たちを律する立場にある神原に親衛隊はないが、非公認ファンクラブが存在しているのは学園中で有名な話。誰がファンクラブ会長だとか誰それがファンクラブ会員だとか噂は絶えず、真しやかに囁かれている。  もし自分がただの一般生徒で、神原が風紀ではなかったら、どうなっていたのだろう。ふと、そんなことを思った。  神原のお気に入りが白乃瀬というのは全校生徒知っていることだが、その中には白乃瀬のことを良く思わない生徒もいる。高校からの入学でランキング上位にして生徒会入り。容姿端麗成績優秀、運動のほうは少し難があるけれど実家も申し分ない上級家庭。白乃瀬親衛隊は白乃瀬が入学してすぐに設立され、神原も風紀委員会に入る前は親衛隊があった。かなりの過激派だったらしく、風紀委員になったとたん解散を命じられたが、裏では今も当時の親衛隊員が神原に近づく生徒を制裁していると聞く。 「適当に座ってて。白金君と朔連れてくるから。田代君、紅葉君に飲み物出してあげて」 「了解しました」  連れられて入った風紀室は成金かと思わせるくらい豪華な生徒会室とは違い、シンプルで優雅な造りをしている。 「会計さんは紅茶でよろしいですか?」 「あ、すぐに帰るから」 「そういうわけにもいかないんです。委員長の命令は絶対ですから」 「……じゃあ、紅茶をお願いするよぉ」  出た、委員長命の風紀委員会。  風紀委員、別名神原風璃の狗。統率のとれた動きと、あまりにも神原に従順すぎるその態度からいつしかそう呼ばれるようになっていた。  設備されているキッチンで風紀委員がお湯を沸かすのを横目に、応接室内を見回す。  風紀室は入ってすぐにテーブルを挟んで三人掛けのソファが向かい合わせにある応接室と、その奥の扉をくぐった先にある委員室、さらに奥には仮眠室と懲罰室がある。  いつも来るときは生徒会役員の仕事としてだから応接室よりも委員室のほうがなじみ深く、こうして応接室でゆっくりするのはなかなかないことだった。  戻ってきた神原は借りてきた猫のようにおとなしく、キョロキョロ周りを見回している白乃瀬を不思議そうに見る。 「なにしてるの?」 「ぁ、や、えーっと……風紀室、なにげにこうやって居座るの初めてだなーって思って」 「あぁ、確かにネ。紅葉君たらここ来てもすぐに帰っちゃうんだもん」  ふたりに遠慮したのか紅茶を置いた風紀委員は神原に一言断って奥の委員室に行ってしまった。 「紅葉君」  二人きりになったとたん密着するように真横に座ってきた神原の腕が腰に回り、密やかで官能的な艶を帯びた声で名前を囁かれる。  ぞわりと鳥肌が立った。 「……あの、神原さん? ちょっと、この体勢は」 「ほら紅葉君。前に言ったでしょ? 名前呼びしなきゃお仕置きしちゃうぞって」 「いや、でも、あれは冗談って!」  ずりずりと体重を押しかけられ、整った綺麗な顔から離れようとすればのけぞる格好になってしまう。  いつもと雰囲気の違う、なんとなくだが甘えられているような神原に苦笑し、思考の端っこで「甘えたな風璃さん可愛い」とか思ってしまったことに頭痛がした。言葉と雰囲気に流されている気がしてならない。  肩に顎を乗せられているせいで、神原の低すぎない声が直に耳に響き渡り、そのたびに背筋が震えるような感覚に苛まれた。 「心配したんだ」 「……ご、めんなさい」 「紅葉君がいなくなって、俺、……」 「……?」  急に黙り込んでしまった神原に首を傾げる。 「風璃さん?」  不安定に揺れる赤い瞳は真っ直ぐに白乃瀬を見つめていた。  綺麗で大きい手が頬を撫で、首筋、鎖骨へと滑っていく。 「紅葉君、すき」  紡がれた言葉に目を見開き、息を呑んだ。 「どういうっ……!!」  どもりながらその言葉の意味を問おうとした白乃瀬の声は、言わせないというように露わになった首筋に噛みついた神原に食べられてしまう。  肉を裂く鋭い痛みに顔を顰め、小さな喘ぎが口から零れた。 「か、ざりさ……痛いって!」 「……ん」 「!」  一応声は聞こえているのか、ペロペロと傷口を舐め始めた神原に今度こそ白乃瀬は慌てた。  ぷつりと湧き出てくる血液を舌で舐めとり、尖った犬歯を傷口に突き立てるのだからたまったものじゃない。抉られるリアルな感覚に痛みが増して涙が頬を伝う。  マゾヒストではない白乃瀬が痛覚に性的快感や喜びを感じられるはずもなく、ただただ痛いという事実だけが残る。唾でもつけておけば治ると昔ながらによく言うが、これでは治るものも悪化する。  いっそマゾヒストだったら楽であったかもしれない。 「ぃ、やぁ……っ風璃さ、それ、いたっ痛いから……!」  服の上からでもわかるしっかりと筋肉のついた胸板を叩いて抗議をすれば、一瞬だけ赤い瞳が白乃瀬を写した。それに気づかない白乃瀬はポロポロと絶えず涙を流し、痛みに堪えた表情をしている。  わざとらしく水音を立てるように傷口を舐めて見せれば、羞恥に顔が真っ赤に染まった。  溜め息と、油断すると溢れそうになる声を我慢して、誰か助けが来るのを心の底から願った。  切なる願いが届いたのか、扉を吹き飛ばす勢いで青空が現れた。腕には白金が抱きついて、否しがみついている。 「俺の白乃瀬誑かすな」 「青空ぁぁぁあ! せっかくいいところだったのになんてことを!! でも嫉妬攻めうまい!!」  何とも言えない空気に助けを求めておきながら溜め息を吐きたくなった。 「紅葉君、朔君も心配してたんだヨ」 「あー……ごめん、青空」 「キスさせてくれたら許す」 「お前歪みないな!」  近づいてくる青空に神原を盾にしていれば、今までブツブツと呟いていた白金が突然大声を出した。 「……グッジョブすぎるだろぉぉぉがぁぁぁっ!!」 「はぁ?」 「なにそれ、なにその若干押し倒されかかってる体勢!! さすが白乃瀬! 誰も委員長とフラグが立たないっていうか立てられないと思ってたけどさっすが白乃瀬!! お前ならやれると思ってた! 信じてた! 生で見れるとか腐のつくお姉さんお兄さんに申し訳ない!! 今なら空も飛べ……いや! 今なら某ラノベ代表のハーレムお兄さんの如く素晴らしいスライディング土下座ができると断言するぜ! できればそこからRのつく深夜な方向に行きませんか!? むしろイキませんか白乃瀬さん!? フラグハンターにしてフラグ建設者なお前ならできるよ、な!? そしたらビデオカメラ持参で見に行きますけどなにか! てか俺を心配させたんだからそれくらいしやがれ!!」 「いや、しないし」 「自分で建てたフラグを自分で折る、だと……!?」  白金の病気――マシンガントークが落ち着くのを見計らい、新入生歓迎会で白金と別れた後になにがあったのかを簡潔かつ省略して説明をし、詳しくはまた今度、と言えばあきらかに不満な顔をされた。  未だ納得してない白金がグチグチと言いながら白乃瀬の鎖骨の手当てをしてくれる。耳が痛いなぁと思いながら、手当てしてくれるのだからと大人しく無言を貫く。  元凶の神原はと言えば仕事があるからと早々に奥へ引っ込んでしまった。  手当てとは言っても消毒して鎖骨に大きな絆創膏を貼るだけなのでそれもすぐ終わり、白金提案で少し早いが三人は昼食を食べに食堂へとやってきた。 「こっ、こんにちは白乃瀬様っ!」 「うん、こんにちはぁ」  食堂に足を踏み入れれば、そこらかしらで男子校にも関わらず黄色い喜声が上がり、親衛隊隊員が近くを通るたびに声をかけられる。  白乃瀬親衛隊は比較的小柄な、いわゆる受け身の隊員が多いが、がっしりとした体躯の体育会系も三割四割と少なくはない。甲高い声に混じって野太い嬉声が聞こえたりすると思わず苦笑いがこぼれることもよくある。自分が女役に見られているのかと思うと、なんとも複雑だ。 「煩い」 「まぁまぁ。そんなこと言わないのぉ」 「だって……」  青空の呟きが聞こえてしまったようで、周りに座っていた数親衛隊が口に指をそえて「しぃーっ」とやってる。静まり返ったりはしないものの、先ほどよりは周りのざわめきが減ったことに感謝した。 「白乃瀬? 上に行かないのか?」 「あぁ、うん。だって、今行って会長たちが来ちゃったらものっすごぉーく気まずいんだよねぇ」 「何かあった?」  食堂に入ってすぐのところにある二階の役員専用フロアに行くための階段を上らず、一般フロアに入った白乃瀬のいつもと違う行動にすぐ白金が聞いてきた。 「実は僕ぅ――日之君と副かいちょーたちに喧嘩売ってきちゃったんだぁ」  語尾にハートがつきそうなテンションだったと後に白金は語った。

ともだちにシェアしよう!