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030*二年Aクラス*
「お兄ちゃん、バイバイ」
ひとつ年下のあの子は笑顔だった。
「ぼくね、『――』と早く一緒になりたいんよ」
いつも笑顔で、あの子の幸せを願っていた。
「お兄ちゃん」
『渡さない』
可愛い笑顔の、その影でいつも聞こえていた。
『この子は渡さない。愛してくれるんだ。愛してるんだ。お前らなんかに、お前らなんかにこの子を渡すもんか。奪うなんて許さない。絶対に許さない』
まるで呪詛だ。あの子の周りを取り巻き、黒々とした靄を放っている。
『絶対、渡すもんか』
バッと目を覚ました四月一日 は額から流れ落ちた汗を手のひらで拭い、見慣れた天井を見つめてぼぅっと目を瞬かせた。
呼吸は乱れ、悪すぎる寝覚めに眉間にシワを寄せて溜め息を吐く。
「ヤな夢……」
言葉を吐き捨て、気怠げに体を起こした。
汗でべたつく体を流そうとタオルを持って共通スペースに出る。壁掛け時計に目を向ければまだ四時を過ぎたばかり。
(朝から最悪すぎ。なんでいまさらあんなん見なあかんねん……気分わっる)
登校の準備するにも早すぎるし、二度寝するにしても中途半端だ。
普段じじい並に起床の早い相棒も起きておらず、睡眠欲の強い四月一日にしてみれば最悪の一言に尽きる。
ひとつ溜め息を吐き、近くのソファーを軽く蹴り上げた。
久しぶりの教室はなんだか懐かしく感じられた。
「白乃瀬! ひっさしぶりだなぁー!」
「おひさぁー。いい加減授業にも参加しないとって思ってねぇ」
「だよな。俺らも心配してたんだぜ水嶋先輩なんて休み時間になるごとにお前のこと心配して教室まで来てたんだぜ。見るからに目潤ませて泣きそうだったし」
「マジか」
「マジマジ」
窓側の一番後ろ、いわゆる主人公席が白乃瀬の席。椅子を引いて座れば、前に座っていた友人が明るい笑顔と共に声をかけてきた。
七竈 という覚えやすい名字の割に難しい漢字をしたクラスのムードメーカー的存在である。
「七竈くぅーん、ぼく言ったよねぇ? 白乃瀬様が来たらすぐに連絡しろって。何ぼくを差し置いて白乃瀬様と話してんのぉ? 馬鹿なの? 死ぬの? ねぇ、死ぬの? いやむしろ、死ね。大丈夫、そこの窓から飛び降りれば即死だから多分」
「水嶋先輩!? 酷くね!? てか酷くね!?」
「飛び降り失敗してもグロくてエグい感じになるだけだから安心して逝っていいよ」
「話しきいてないぞこの人!」
いつの間にか現れた水嶋がクラスの親衛隊員に笑顔を振りまきながらやってくる。
やはりこのクラスは居心地よく感じられた。理事長に無理言ってクラスを変えてもらって正解だったと、心の中で再確認する。
白乃瀬の所属する二年Aクラスの生徒は特別視をせずに普通に接してくれる。
もともとSクラス所属だった白乃瀬は生徒会入りを承諾するかわりにAクラス落ちしたい、とわざわざ理事長に直談判しに行った。Sクラスの生徒は無駄に高飛車でプライドが高く、何かあるたびに媚びる目を向けてきて煩く、性にあわなかった。
だから、クラス落ちを選んだ。
Aクラスは打倒Sクラスを掲げていることもあり、ひとりひとりが集中し、しんと静まり返った中で授業が進められる。
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