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 四時間目は数学で、平和で平穏だった教室の雰囲気が突然崩壊した。  遠慮なしに扉が勢いよく開かれ、ズンズンと教室に宇宙人こと日之が入ってきたのだ。 「紅葉! 遊びに来たぞ!」  珍しく取り巻きを連れていない日之は真っ直ぐに紅葉へ視線を向けた。  それに気づかないふりをして、黒板に文字を書きかけだった教師にゆるりと笑みを浮かべる。 「せんせぇー、授業続けてくださぁい」 「……白乃瀬もそう言ってることだし、編入生はスルーだぞ、スルー。変に反応すんじゃないぞ。打倒Sクラスだけ考えとけ。あー……んじゃあ教科書五十二ページの一番上、公式んところ中居読め」  入り口に佇む日之を一瞥した教師は気持ちを切り替えるように小さく息を吐き出して生徒を指名する。  教科書を持って立ち上がったのは頼れるクラス委員長だ。 「はい。えーっと……春も徒然、暖かな――」  スラスラと詰まることなくお手本のような読みを披露する中居だが、今は数学の授業である。決して古文、徒然草などではない。  当然の如く教師のストップが入り、中居はメガネを押し上げて不満の表情を作った。 「……何ですか宮野先生」 「中居それ古典だから。今は数学の授業だから。俺に喧嘩打ってのか?」 「先生、教師という聖職者としてその言葉遣いはないと思います」 「お前のせいだろーがっ!! てかお前さ、速弁してんだろ? おかずナポリタンだったろ? そうなんだよな? 口についてんだよ何歳児だよ中居ぃ!」 「ナポリタンじゃありませんっ! トマトソースです!! 俺はピチピチの十七歳です!!」 「変わんねーよ! しかも授業中食ってんじゃねぇし!! 地味に旨そうな匂いで集中できねぇだろぉが!! 俺だってピチピチの二十八歳だバカ野郎!!」 「バカって言う方がバカなんですよ先生のばぁーか!」 「はい今バカって言ったー! 中居もバカ決定ー!」  ツッコミ所のありすぎる二人の応酬にクラスメイトは「またか」と呆れを露わにした。  一年の頃から恒例となっている数学教師宮野対クラス委員長中居。同族嫌悪なのかなんなのか、この二人は顔を見合わせるたびに子供のような喧嘩のやり取りを交わすのだ。 「まぁた始まったぜ。恒例のみやっさんバーサス委員長!」 「二人も飽きないよねぇ……授業のたびにおかず談議してさぁ」  紅葉は前の席の七竈と雑談を交わしながら口喧嘩の行く末を見守る。これまでの戦歴は二百七十二戦二百四十一勝二十一敗十引き分け。因みに、中居の戦歴である。宮野が勝てたことなんて半分にも満たないのだ。  今回も中居が勝つのだろうなぁと思いながら見ていると、どうやら当たったようだ。教師一イケメンと呼ばれる顔を思い切り顰めて悔しげに中居を睨みつける宮野の目が微妙に潤んでいるのは気のせいだろう。  守銭奴の放送委員は「どっちに賭ける?」と周りの生徒と金を賭けて遊んでいる。  勝敗はついたにも関わらずヒートアップするおかず談議に授業なんてそっちのけだ。もはや日之なんてクラス全員に総スカンを食らっている。  あえて、だ。誰かが日之にちょっかいをかければ俺も僕もと自分もちょっかいをかけたくなる。親衛隊の制裁のようなものではないにしろ、今現在の不安定な状況をさらにかき混ぜるような状況になるのは目に見えている。自覚しているからこそ、宮野の最初の注意を紅葉を含めクラスメイト全員が律儀に守っているのだ。――もっとも、そんなことを知るはずもない日之が大人しくしているわけがなかった。 「無視すんなよっ!!」  叫び怒鳴った日之の声と共に鳴り響いた突然の破壊音に教室はしぃんと静まり返り、誰もが視線を入り口に集中させた。  そこにあるはずのスライド式の茶色の扉はどういう原理か折れ曲がり、吹っ飛んで床に転がっている。 「なんで無視すんだよ! 友達を無視するとか、悪いことなんだぞ!!」と、いつもの自分勝手な言い分に対し、クラスメイト達は言うとコソコソと近い者同士で言葉を交わしながら日之を見やった。 「え? 友達?」 「誰と誰がぁ?」 「扉吹っ飛ばすの見たかった……!」 「俺は見た。クッソワロタ」 「てかさ、アノもじゃもじゃ一年でしょ?」 「あ、それ僕も思った!」 「先輩に敬語使んないとかどんだけって感じぃ」 「ありえないよね!」 「俺と先生の談議を中断とかいい度胸してるなぁ……」 「あんなんじゃ社交界出てから潰されるでしょぉ」 「むしろ潰されろ」  好き勝手交わされる言葉に思わず苦笑いすれば七竈が不思議そうに視線を向けてきた。 「皆辛辣だよねぇ。日之君可哀想ー」  無言で見つめるのも可笑しいかと思い、半笑いで返事をすれば苦い顔で「お前が言うな」と言われた。  声音には嘲りが含まれており、それに気がつかないほど七竈も鈍くはないのだが日之はそうでもないらしい。 「こ、紅葉……っ!」  助けを求めるかのように肩を震わせてこちらを見る日之に笑いそうになるのを我慢する。任せたとばかりに紅葉を見るクラスメイトに溜め息を吐いた。

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