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058*体育祭*

 光を遮るカーテンの向こう側、晴天の下に花火が上がった。 「……あめ、ふんなかったなぁ」  暗い室内にぼんやりする頭で呟いた。  体育祭当日。自然と目が覚めた紅葉は恨みがましい顔つきで窓にぶら下がっている逆さまのテルテル坊主を見た。  小雨なら午後からできそうな競技だけ、大雨なら延期か中止。それか体育館でできる競技だけ行うことになる。どのみち雨は降らず、雲一つない青空だ。まさに運動会日和。憎々しいまでに晴れ晴れしている。  時計を見ればまだ七時にもなっていない。開会式は九時から、準備だったり係になっている生徒の集合は七時半だ。ちょうどいい時間に起きたな、と体を起こした。  寝汗でベトベトする体をシャワーで洗い流し、作り置きの冷えた麦茶を飲めば喉も潤った。  制服ではなくジャージ登校というのはとても楽でいい。短パンになるつもりはないので指定の長ズボンと半袖ジャージ、その上に長袖を羽織って一番上までチャックを閉めてしまう。基本黒メインのジャージだが袖や襟に入った学年カラーのラインと、左胸に金糸で刺繍されたローマ字で書かれた名前はとてもお洒落で気に入っていた。  対して物が置かれていないリビングで一日のスケジュールが書かれた紙を見ながら今日の動きを確認する。 「……青空とセットかよ」  機材係やらなんやらと係が並んで書かれた下に役員の名前が書いており、大体が二人ひと組とセット扱いになっている。  紅葉は生徒会業務の他に誘導係も請け負っており、誰が相方になるのか今の今まで知らなかった。まさか青空と一緒だとは思わなかったが。  青空とはあの夜――本家へ帰る直前のやり取り以降まともに顔を合わせていない。クラスは違えど寮部屋は近いのに帰ってきてから一度も会っていないとなると、青空に避けられているのだろう。  どうしたものか、と溜め息を吐く。  いつも通りの態度でいいかなぁと考えていると、「ピンポーン」とインターホンが鳴った。  こんなに早くから来客の予定はなかったはずだ。  首を傾げながら玄関に向かい、扉を開ければにっこりと満面の笑みを浮かべた親衛隊隊長が立っていた。 「おはよう白乃瀬君! お天道様もすっかり上って、絶好の体育祭日和だね!」 「……何してんですか、水嶋先輩」  嫌味なくらい満面の笑顔にこめかみが引き攣りそうになる。 「料理のできない白乃瀬君に、朝ご飯を作ろうと思って! この時間に食堂に行ってないってことは、どうせ面倒だから朝ご飯食べないつもりだったんでしょう?」  片手に買い物袋を持った水嶋は勝手知ったる様子で部屋へと上がりキッチンへ向かった。  部屋の主であるはずの紅葉は水嶋を引き留める前に「今日は一日外にいるだから、しっかり食べなきゃダメだよ」と言いくるめられてしまう。  手際よく買ってきた材料を用意する水嶋の後ろ姿に、何か手伝おうかと思いはするが家事能力が一切ない自分が手伝いに行ったところで逆に邪魔をしてしまうのは目に見えている。まだ時間もあることだし、万が一に備えて予定の確認をしてもいいかもしれない。 「何作ってんですかぁー?」 「軽くフレンチトーストでもと思って」 「わぁ、いいね。僕、朝はいつも和食だから新鮮かも」 「僕は朝は洋食って決めてるから、和食は作り慣れていないんだよね……。白乃瀬君のためだったら完璧に覚えてくるけど!」  付き合いたての彼女みたいなことを言い出す水嶋に苦笑を零し、軽く流せば文句を言われた。  水嶋の言う事を全て間に受けていては心臓がいくつあっても足りないということを学んでいるので成せる技だ。これで「覚えてきてよ」なんて言ってしまえば次の日どころか一時間後には意訳の意訳をして「告白受け取ってもらえた♡」なんて言い出すに違いない。  ガチャガチャと音のするキッチンを気にしながら、自分以外がプライベートルームにいるということにどことなく安心感を覚える。友人なんて、大切な人なんて必要ない、と頭の隅に刻み込みながらも他人のぬくもりを求めてしまう浅ましい自分に自嘲的な笑いがこみ上げてくるのだ。 「白乃瀬君」 「……ん、ご飯できたんですかぁ」 「うん。腕によりをかけてみたよ! シナモンって大丈夫だったかな? 苦手じゃなかったらかけようと思うんだけど」  粉末状のシナモンが入った小瓶を揺らす水嶋に大丈夫だと告げれば、すぐにシナモン独特の香りが漂ってくる。  水嶋は紅葉にとってとても都合の良い親衛隊隊長だった。他所の親衛隊隊長のように親衛対象を束縛せず、深入りもして来ない。引き際を見極めるのがとても上手かった。そうでなければ紅葉も、ただ自分を慕ってくれるだけの他人を私室にまで入れたりはしない。  純粋に、水嶋は側にいて心地よい人物だった。  テーブルに作りたての朝食を並べられていく。全く料理のできない紅葉からすると、料理は魔法みたいな、とても不思議なものに感じられた。材料からぱっと温かな出来立ての料理ができていく様を見ているのは凄く楽しいものだ。  いただきます、と手を揃えた紅葉を水嶋はニコニコと笑顔で見守っている。元は水嶋も料理ができず、作ってもらう側の人間だったが、紅葉の壊滅的な家事能力を目の当たりにしてからはたった半年で大体のことができるようになってしまった。自分よりも酷い人がいると、なんていう反面教師。  紅葉の家事能力の低さを知っている会計親衛隊の隊員は、紅葉の世話をしているうちにできることが増えていき、男子高校生でありながらも料理ができる生徒が多い。 「……ん、美味しい、です」 「ふふっ、なら良かった」 「先輩は食べないんですか?」 「僕は部屋で食べてきたから心配しないで」  程よい甘さのフレンチトーストは意外とお腹に入っていくもので、食パン二枚分は男子高校生にしては少ないが紅葉にしては多い方だ。  カチャリ、とフォークを置けば淹れたての紅茶が置かれる。爽やかな香りのフルーツティーだ。 「飲み終わる頃にはちょうどいい時間になるんじゃないかな」 「そーですねぇ……僕としてはここでずーっとのんびりお茶会してたいんですけどぉ」 「あはは、そんなことになったら僕が他の親衛隊員に刺されちゃうよ。白乃瀬君のジャージ姿、楽しみにしてる子多いみたいだしね」 「僕のジャージ姿なんか楽しみにしてどおすんですかねぇ」 「そりゃぁ、抜くんじゃない?」  唐突な下ネタに口に含んだ紅茶を噴き出さなかった自分を褒めたい。 「どうかした?」 「いや、何朝っぱらから̪̪̪シモい話してんですか……」 「だって男だし? 生理現象はしかたないじゃないか。それとも白乃瀬君は朝勃ちとかしない感じなの?」 「ちょっ、部屋から追い出しますよ!」 「あははっ! 初なところも可愛いね」 「……水嶋先輩はタチが悪いんですって」  美少女めいた顔をしていながら平気で下世話な話をする水嶋は、耐性はありながらも紅葉がそういう話題を得意にしていないのを知っていながら話を振ってくるものだから本当にタチが悪い。 「さて、飲んじゃったならそろそろ行こうか」 「今日の護衛は先輩なんですね」 「外に出たら桜宮君も合流するよ。……ほら、あの宇宙人、一昨日から学業復帰でしょう? 何があるかわからないから、基本二人以上が白乃瀬君の護衛につくことになるから。あ、お仕事の邪魔はしないから安心してね」 「それは、心配してないですけど」  日之が謹慎から復帰して、元々厳しかった親衛隊の護衛がさらに厳重になったのは少しだけ息がしづらかった。  曖昧に笑い返して、空になったティーカップをシンクに下げる。 「さて、行きましょーか」  食器くらい洗えるようになりたいけれど、本家的には何もできない方が嬉しいようだ。独り立ちできるようになってしまえば困るから、紅葉は意図的に、壊滅的に不器用でひとりじゃなにもできないのだ。  左腕に抱きつく水嶋を連れて部屋を出る。しっかり鍵がかかったのを確認して、エレベーターに乗った。  時間は集合の十分前。これなら歩いても間に合うだろう。 「頑張ろうね! 白乃瀬君」  今日一日、何事もなく過ごせるように。杞憂でなければいいのだが、晴天の青空だというのに紅葉の心は曇りに曇っていくばかりだった。

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