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やってしまった。
薄暗い室内。乱れたベッドと、床に落ちた服が全てを物語っている。
布団の中で丸くなる紅葉は、背中に感じるぬくもりに口元を緩ませるが、すぐに出そうになった溜息を飲み込んだ。
股関節と後孔の違和感にこれは現実だと言わざるを得ない。
紅葉にとって、神原風璃という人はヒーローみたいな存在だ。いつも、困っていると真っ先に助けてくれる。
さらさらと流れる白銀髪は、太陽に透けるとキラキラ輝く。赤茶色にも、紅茶色にも、赤色にも見える瞳は、鋭い光を湛えているのに、紅葉を見る時だけは甘く砂糖がとろりと溶けて笑みを浮かべる。
男の人らしい節くれだった手が体に触れるのを思い出して、ひとりでに顔を赤くした。
「こーよー君、おはよ」
心地よい低音が耳を滑る。
後ろから逞しい腕に抱きすくめられる。
「ん……おはよう、ございます。かんばらさん」
「こら、名前で呼んでって言ったろ」
「……かざりさん」
眠気と人の体温の心地よさに、肌がじりじりと痺れる感覚がする。
神原に触れられた箇所がところどころ赤くなり、白い肌に映えて目立った。そのうち、火傷みたいになるだろう。
大切な人を作ったらいけないのに。心の中で大祖母様の言葉が繰り返される。神原と触れ合うたびに、身を引き裂かれそうな痛みが伴う。息苦しくて、水に沈んでしまいたくなる。
酸素を求めて、はくり、と口が開いた。
「もう少し寝よう、紅葉君」
ちゅ、とうなじにキスをされる。そこから甘い熱が広がった。
胸に引き寄せられると、とくとくと心臓の音が聞こえた。生きてる、音がする。だからなおさら罪悪感に苛まれた。
僕みたいなのが、この人と一緒に居ていいんだろうか。
今はただ、神原の優しさに甘えてしまう。一緒になったって、恋人同士になったって、ずっとは一緒にいられないのだ。全てを話せない自分が悔しい。大祖母様のお人形でしかない自分が苦しかった。
「……眠れない?」
「――僕と、風璃さんは、その……恋人同士になったの?」
「……紅葉君は、俺と恋人関係は嫌?」
まただ。風璃さんはずるい聞き方をする。嫌かそうじゃないかなんて、聞かれたら嫌じゃないって答えてしまう。
無言わわどう捉えたのか、神原は抱きしめる腕に力を込めた。けれど優しく、ぎゅ、とぬくもりに包まれる。
「紅葉君、俺は君が何を隠してようが、世間の目が厳しかろうが、俺は紅葉君と添い遂げたいよ」
耳の中に素直に滑り込んでくる声をずっと聞いていたい。
荒波を立てる心を落ち着かせるように、手が髪を梳き、頭を撫でてく。
「俺は、君を繋ぎ止める杭にはなれないか? 空気に透けて溶けていなくなってしまいそうな紅葉君を、繋ぎ止めておくことはできない?」
「……無理、だよ。だって僕、家を継がないといけない」
「継いだら、俺と会ってくれないの?」
「そうじゃない、そうじゃないんですっ……家を継いだら、僕は家のずっと奥にしまわれて、外に出ることができなくなるんです」
白乃瀬の業を担う役目だ。神嫁として、神様と溶け合い混じりあって自我なんてなくしてしまう。
それが、紅葉のお役目だ。
徒人に理解してほしいとは思わない。紅葉だって、納得はしてるが理解していない。どうして僕なんだろう、という問いかけは特別感っくの昔に辞めた。
弟が帰ってくるまでがタイムリミット。秋夜は目付け役。すべてが息苦しかった。
――母は、役目を放棄して子を成した。外からやってきた父は、物心着く頃にはいなかった。怒った神様に連れていかれたのだと、古い人々は言った。
風璃さんに、そうなってほしくない。この体はすでに半分神様のモノになってしまっている。どうしたらよいのだろう。どうしたら、最善なのだろう。
「紅葉君は、難しく考えすぎなんだよ」
そっと、目元を覆われる。手のひらの内側は真っ暗だ。
「今は一緒に眠ろう。そうすれば悪い夢も見ないさ」
肩から力が抜けた。――やっぱり、風璃さんは凄いなぁ。
この人と家族になれたら、どれだけ幸せだろう。
家族というコミュニティに期待をしていない紅葉に、そう思わせる神原はとても影響力があった。
好きでたまらない、愛が溢れ出る。紅葉への恋情が溢れ、体現する神原に結局絆されてしまっている。体を暴くことさえ許して、今だって、じりじりと肌が熱いのに触れることを許している。
――この時間が永遠に続けばいいのに。
初めて、そんなこと思った。弟が帰ってこなければいいと。
だから、これは罰なのかもしれない。骨に沿って浮かぶ鱗みたいな痣を見て、紅葉は静かに涙を流した。
タイムリミットは間近だった。
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