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021
パンッと、場の異様な空気を切り替えるように手を鳴らす音が響き渡った。
「はい、そこまで」
いつの間に現れたのか、食堂の入り口に神原がいた。
落ち着いた雰囲気で、長い足を動かしこちらに歩いてくる神原を見て日之は視線をうろつかせてたじろぐ。
「か、風璃……!」
「大丈夫? 白ちゃん?」
茫然自失とした紅葉はゆるりと頬を撫でられるまま、琥珀色の瞳に神原を捕らえた。
柔らかな色を含んだ瞳が笑みに歪められ、呆然とする紅葉を映し出す。
「神原、さん?」
「そう、俺。大丈夫だよ。安心して。俺がなんとかしてあげるから」
こくん、と頷いた紅葉を「いい子、いい子」と頭を撫でつけ、五月蝿く喚く日之を見た。
「会計と会計親衛隊と宇宙人が食堂で正面衝突しています!」と部下の風紀委員から連絡が回ってくる前から嫌な予感がしていた。
白乃瀬紅葉が日之に興味がないことなんて全校生徒が知っていることだ。だから紅葉の親衛隊は波風を立てず、沈黙を保っている。
けれど日之太陽はそうもいかない。
学園中の見目麗しい人気生徒を片っ端から虜にして、親衛隊を煽るようなことばかりを口にしては敵を増やしていく。そんなイケメンホイホイが紅葉に構わないはずがない。
連絡を受け、急いで食堂へやって来れば嫌な予感は大当たり。
困惑する生徒たちと、牙を剥いた紅葉の親衛隊、癇癪を起こして喚くトラブルメーカーと、怯えた目で日之を見る紅葉。
思わず舌を打った。後ろをついてきた委員が肩を震わせた。あとで怖がらせたことを謝らないと。アフターケアはとても大切だ。
お気に入りの人形を傷つけ壊されたような苛立ちが内側を支配した。笑顔を浮かべてはいるが、その内心、怒りで煮えたぎっている。
神原の中で白乃瀬紅葉は特にお気に入りだった。身内と友人とその他に分類をされている神原の中でもこの子は特別枠。身内にも友人にも分類されないさらに上の枠に入っていた。
「さっきも問題起こしたばっかだってのに、よくもまぁ次々と問題を起こせるよね」
つい、言葉の端に棘が出てしまう。
「問題なんか起こしてねぇよ! なんで風璃はそんなヒドいことばっかり言うんだ!」
「酷いこと? 俺は当たり前のことしか言ってないけど」
「あ、わかった! 俺が紅葉とばっかり話すから、嫉妬したんだろ!?」
マトモな会話が出来ないことを早々に悟り、短く息を吐いて日之の後ろにいる生徒に言葉を投げた。
「こういうことが起こらないようにと思って、君たち二人に毬藻を預けたんだけどなァ。黒崎、坂巻」
「……俺だって、まさか太陽が会計様に話しかけに行くだなんて思ってなかったんですよ」
肩を竦めて言い訳をしたのは黒髪のほうだ。銀髪のほうは眉間に皺を寄せて日之を見ている。
「でも、任されときながらこんなことになったのは俺の責任です」
「そうだね。だから早くそのうっさいの回収してってくれる?」
「人使いが荒いっすね……太陽、そろそろ行こう。飯食う時間なくなるぞ」
まだこちらを見て騒いでいる日之の腕を掴むと、反対の手で銀髪の腕を掴んで颯爽と食堂を出て行ってしまった。
その間も日之の視線は紅葉に注がれており、面倒臭いことなったと溜め息を吐く。
「ねぇ水嶋ぁ」
「何?」
鋭い眼差しでこちらを見てくる水嶋は警戒心に満ち溢れ、今にも猛毒を持つ牙で噛みついてきそうだ。
「相変わらずの忠誠心だなァ」
「当たり前。僕らにとって神原も白乃瀬君に影響を与えるひとりだからね」
そう。理由は何にしろ、神原は白乃瀬親衛隊から警戒されている。
彼らは白乃瀬紅葉を守る。紅葉に悪影響を与えるものがあれば、徹底的にそれを彼から遠ざけた。
今まで日之との接触が無さすぎたのも、親衛隊が裏で活躍し、根回しをしていたから。そしてそれを紅葉も知っているから、ご褒美をあげる。
親衛隊がどれだけ動いても遠ざけられない『悪影響』、それが神原だった。
神原は特別枠に白乃瀬紅葉を設け、紅葉もまた他とは違う扱いを神原風璃にする。水嶋だけではない、隊員のほとんどが悪影響だと直感した。
神原から離れるべきだと水嶋は言うが、紅葉は困った笑顔で「ごめんね」と言うばかり。
今だって、紅葉は神原に縋っている。
彼が頼りにするのはいつだって神原だ。『あの時』からずっと。
もし、『あの時』紅葉をはじめに見つけたのが水嶋だったら、今僕を一番に頼ってくれていただろうか。
「白ちゃんもらっていくよ?」
「わざわざ聞かないでよ。神原が憎くなるじゃん。……僕はお前と友人でいたいんだよ」
「……ははっ。そっか。白ちゃん、行こっか」
ぼんやりとその様子を見ていた紅葉は急に話しかけられて我に返ったと言うように目をぱちくりと瞬かせた。長い睫毛が震えて琥珀に影を落とす。
無言で頷いて、一瞬だけ迷う素振りを見せて水嶋と桜宮を見た。
「今度の、親衛隊会議に……」
まだ頭の中は混乱しており、うまく言葉が出てこなかったがそれだけでふたりには伝わったようだ。
柔らかい笑顔で「待ってるね」と返事をもらい、神原に手を引かれるまま紅葉は二階席へと姿を消していった。
華奢で細い背中が見えなくなるまで見送って、浮かべていた笑顔を消した。
「――いつまでも見てないで、食事を再開したら?」
絶対零度のドスの利いた声にピシリと固まった食堂内だったが、数分もすれば日之がくる前までの騒がしい食堂に戻っていく。こうして、日常は保たれる。
「せっかくだし、一緒に食べましょうか水嶋先輩」
「君に先輩って言われると嫌味みたいだ」
「それは先輩がひねくれてるからそう聞こえるんでしょー。……紅葉さんに聞きたいこともあったけど、今はさっきの白い人のことを聞きたいんで。……かわりに、俺と紅葉さんのこと教えてあげますー」
「なら話は早いね。……あぁ、さっきの『白乃瀬先輩』ってのはよかったよ」
「ありがとーございますー」
全く感謝のこもっていないお礼を聞き流して、空いている席に腰を落ち着かせた。
日之について、いろいろと考えなければならない。おまけに神原に対しても。
「世界が白乃瀬君と僕だけになればいいのに」
同感ですー、と間延びした忌々しい後輩に胸中で呪いの言葉を吐き出した。
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