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5 捨て犬譲渡会

無事に引っ越し先が決まったので、引っ越し当日までは、描きかけの絵を仕上げることと、引っ越しの準備に集中した。 そうやってやるべきことに集中していると、だんだんと光のことを考える時間も減っていった。 そして念願の犬の方は、ちょうど引っ越しの3日前に、引っ越し先の区の保健所で捨て犬の保護活動をしているNPO団体の協力で捨て犬の譲渡会を行うということだったので、それに行ってみることにした。 大家さんにもらった縁結びのお守りも忘れずに持って、電車で会場に向かう。 雨が降っていたので、譲渡会は保健所の建物の中で行われていた。 NPOの人から説明を受け、手を消毒してから、係の女性に案内されて会場に入る。 「ワンワン、ワンワンワンッ!」 「……え?」 係の人に続いて部屋に入ると、突然、中にいた捨て犬たちが俺に向かって一斉に吠え始めた。 成犬子犬合わせて十数匹ほどいる犬が、牙をむき出しにして明らかに俺の方を向いて吠えている。 低い声でウウーとうなっている大きな犬もいれば、ぷるぷる震えながら必死になってキャンキャン吠えている子犬もいるが、そのどれもが俺に対して敵意をむき出しにいるのは明らかだった。 「……なんで?」 「と、とりあえず外に出てください!」 わけがわからず俺が呆然としていると、係の人に背中を押されて部屋の外に追い出された。 俺が外に出て戸が閉められると、中の犬たちは吠えるのをやめておとなしくなったようだ。 「ちょっと、困りますよ!  何か変な臭いがするものを持ってるでしょう!」 「い、いえ、俺は別になにも……」 怒った様子の係の人に詰め寄られたが、全く心当たりのない俺があわあわしているのを見ておかしいと思ったらしく、俺の体に顔を近付けて匂いを嗅ぐと「あら、なにも臭わないわね」とつぶやいた。 「臭いじゃないとすると、音かしら。  犬笛みたいに犬だけが聞こえる音とか鳴らしてませんよね?」 「まさか。何も鳴らしてませんよ」 「あら、そう。ということは、きっとあなた、よっぽど犬に嫌われる顔をしているのね」 「えーっ、そんなぁ……」 係の人の言葉に、俺はショックを受ける。 犬との幸せな暮らしを夢見て、ようやく庭のある家を借りることが出来たのに、肝心の犬に嫌われていてはどうにもならない。 俺が情けない顔になってしょんぼりとしていると、ふと足元に何か柔らかいものがすり寄ってきたのを感じた。 「ん?」 「あらやだ、出てきちゃったの?」 係の人が俺の足元から抱き上げたのは、黒っぽい子犬だった。 愛嬌のある丸っこい顔とちょっと曲がった耳と白抜きの眉毛みたいな模様がかわいい。 子犬は係の人に抱かれながらも、俺の方に前足を伸ばすようなそぶりでバタバタと暴れていて、気のせいでなければ、係の人ではなく俺に抱かれたがっているように見える。 俺が子犬をじっと見ていると、子犬の方も暴れるのをやめて、まんまるの黒い目で俺のことをじっと見てきた。 くるんと丸まった尻尾が左右に振られているところを見ると、少なくとも俺はこの子には嫌われていないようだ。 「あの、その子抱かせてもらってもいいですか?」 俺がそう言うと係の人は少し迷ったようだが、子犬が俺を嫌がっていないこともあってか、結局は俺に子犬を渡してくれた。 抱き方のコツを教わりつつ、子犬を胸に抱きかかえると、子犬は甘えるように俺の胸に顔をこすりつけてきた。 「か、かわいい……」 子犬のあまりのかわいさに、俺は一瞬でめろめろになった。 見ているだけでも十分にかわいかったが、こうして抱いていると、その温もりと柔らかさに愛しいという気持ちさえわいてくる。 「柴犬――黒柴ですね。  それほど大きくならないから飼いやすいですし、飼い主に忠実な性格でいい犬種だと思いますよ」 「え? この子雑種じゃないんですか?  それじゃあ、もしかしたら捨て犬じゃなくて迷い犬で、本当の飼い主がいるんじゃ……」 俺が疑問を口にすると、係の人は悲しそうな顔で答えてくれた。 「それがね、純血種の子犬でも捨てられることがあるんですよ。  繁殖目的の人の中には、病気があったり毛色が悪かったりで売れなさそうな子を育てないで捨てちゃうような心ない人もいるの。  この子は元気そうだけど、体が少し小さめだし、あとこの足の模様が雑種っぽく見えちゃうのがまずかったかもしれないわね」 係の人が指さしたのは子犬の右後ろ足だった。 確かに、他の3本の足が中ほどから薄茶色に変わっていて靴下をはいたような模様になっているのに対して、その右後ろ足だけはつま先まで真っ黒だ。 けれども見た目はアンバランスではあるが、別にそれがこの子のかわいさを損なっているわけではない。 「そんなことで……」 そんなささいな理由で、こんなかわいい子犬が捨てられたのかと思うと、見ず知らずの元飼い主に対して怒りがわいてくる。 そして、そんなやつの代わりに俺がこの子のことを幸せにしてやりたい、いや俺もこの子と一緒に幸せになるのだと、妙な使命感もわいてきた。 「なあ。  お前、俺と一緒に暮らしてくれるか?」 腕の中の子犬の背中をなでながら、そう問いかけると、子犬は俺の顔を見上げ、いいよ!とでも言うように一声「ワン!」と鳴いた。 「あの、この子を譲ってもらうことってできますか?」 俺がそうたずねると、係の人は笑顔で「もちろんです」と答えてくれた。 「よかったわね、物好きな子がいて。  それでは、こちらで手続きを」 何気に失礼な係の人に連れられて、俺は受付で譲渡の手続きを済ませた。 3日後に引っ越すのだという事情を話すと、それまではNPOの方で子犬を預かってくれるというので、お願いすることにする。 そして犬を貰い受けることに決まった他の人たちと一緒に、犬の飼い方やしつけ方の講習を受けた後、俺は最後にもう一度子犬に会いに行った。 「引っ越しが終わったら、すぐに迎えに来るからな。  悪いけどそれまでいい子で待っててくれよ」 俺がそう言うと、子犬は「きゅーん」と小さく鳴いて悲しそうな顔になった。 その顔を見ると今すぐに連れて帰りたくなったが、ペット禁止の今のアパートに連れて帰るわけにもいかず、俺は後ろ髪をひかれる思いで保健所を後にしたのだった。

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