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5 カミングアウト

「ご主人様。  ご主人様が描かれた絵って、ここにある写真ので全部ですか?」 ある日の晩ご飯の後、絵を描いている俺の側にクッションを置いて座り、タブレット端末を触っていたタロがそんなことを聞いてきた。 「んー、高校の時に描いたやつは実家に置いてきたからないけど、大学以降に描いた分はだいたい入ってるかな。  まあスケッチはスケッチブックに描きっぱなしになってるけど」 その他にも副業のエロ絵はあるが、そっち系の仕事は荒井さん以外から受けるつもりはないので、タブレットにも見本データは入れていない。 タロにも積極的に見せたいものではないから、それはまあ除外してもいいだろう。 「スケッチブックでよければ見るか?」 「はい、ぜひ見たいです!」 「じゃあ、好きに見ていいぞ。  今使ってるのはそこにあるし、前のやつは二階の物置きにしてる部屋のスケッチブックって書いた段ボールに入ってるから」 「はい、ありがとうございます。  じゃあちょっと取ってきますね」 タロは嬉しそうに礼を言うと、二階に上がっていき、やがて何冊かのスケッチブックを抱えて降りてきた。 タロは持ってきたスケッチブックはその場に置き、アトリエに置いてあった使いかけのスケッチブックの方を先に開いた。 二階から持ってきた分の表紙に書いてある日付を見ると最近のものだったので、どうやらタロは新しいものから古いものへとさかのぼって見ていくことにしたらしい。 タロや庭に来る鳥や近所の風景をスケッチしたものや、作品の下書きや構図の確認、単なる落書きや思いついたことを文字でメモしたものまでが無秩序に描いてあるスケッチブックを、タロは一枚一枚丁寧に見ていく。 作品とも呼べないようなものが描かれたそのページをめくるたびに、大きく目を見開いたり、くすっと笑ったり、ふんわり微笑んだりするタロの反応の一つ一つが、タロが俺の絵を好きでいてくれることを俺に伝えてきて、嬉しいやら照れくさいやらで落ち着かない。 タロの様子が気になって、うっかり仕事の手が止まっていたので、絵に意識を戻す。 しばらくはタロがページをめくる音を聞きながら絵を描いていたが、気付くとタロの方から音がしなくなっていた。 「タロ?」 タロの方に目を向けると、タロは何だかすごく難しい顔をしてスケッチブックを見ていた。 「何見てるんだ……?  わっ!」 そのページには、とてもタロには見せられない絵が描かれていた。 タロが今開いているスケッチブックは、どうやら俺が(ひかり)と付き合っていた頃のものだったらしい。 そこには真っ裸の光が正常位で抱かれているところと、四つんばいになって白濁で汚れた後孔を自らの指で開いて見せているところが描かれていた。 「ごめん!  これは見ちゃ駄目!」 慌ててスケッチブックをタロから取り上げたが、どう考えても遅すぎだ。 あのページの前にも光のヌードをスケッチしたものや、セックスの最中や事後の様子を思い出して描いたものがあったはずだから、タロはもう似たような絵を何枚も見た後だろう。 「ごめんな、変なもの見せて。  あれがあったの、すっかり忘れてた」 「……いえ。きれいでしたし、変なものってことはないですけど……。  けどあれって、なんか男の人が男の人と交尾しているように見えたんですけど……」 「こ、交尾って……うん、まあそうだな」 動物的な言い方にぎょっとしてしまったが、犬であるタロからしたら、それが普通の言い方だろう。 「……うん、そうだな。  お前にも話しておかなきゃいけないよな。  タロ、ちゃんと説明するから、ちょっと座ってくれ」 「……はい」 俺の口調から真剣なものを感じとったのだろう。 タロは真面目な顔でうなずくと、食卓についた。 「あのな、あの絵の人は俺が前に付き合ってた恋人なんだ」 「え? 恋人って、交尾する相手のことですよね?  でも男の人でしたよ?」 「……うん。  あのな、俺は、男を好きになる……男と交尾をする人間なんだよ。  タロには想像しにくいかもしれないけど、人間は子供を作るためだけに交尾するわけじゃないから、中には男同士で交尾をする人間もいるんだ」 「男同士で……」 タロは俺のカミングアウトに相当驚いたらしく、呆然としている。 タロが俺の言葉の意味を飲み込めるようになるのを、俺は黙って待つ。 俺がゲイであることを、わざわざタロに言うことはないという考え方もあるかもしれない。 けれども俺は、タロが相手だからこそ、きちんと話しておきたかった。 俺は高校の頃からゲイの自覚があったのだが、当時はさすがに誰にも言えなくて隠していた。 けれども美大に入ってみると、芸術家の卵が集まる環境のせいか、ゲイやバイであることを公言している人が結構いて、しかもそれが周囲にすんなりと受け入れられていた。 だから俺も、親しい人たちにゲイであることをカミングアウトすることにしたのだ。 その結果、絶縁してしまった人もいるのだけど、それでも俺はあの時カミングアウトしてよかったと思っている。 俺がゲイであることを知ってなお、俺と縁を切らずにいてくれた人たちとは、今もよい関係を続けていられるからだ。 だから、タロには俺がゲイであることを知っておいて欲しかった。 タロは今や俺にとって一番身近であり大事な存在だし、これからもお互いにいい関係を続けていきたいと思っているからだ。 それにタロなら、俺がゲイでも別に気にせずに、これからも今まで通りに一緒に暮らしてくれるのではないだろうか。 俺にはそんな期待があったのだが、肝心のタロの方は何やら難しい顔で考え込んでいる様子だった。 「タロ……もしかして、俺が男を好きな人間なの、気持ち悪いか?  俺のこと、嫌いになったか?」 ついに俺は黙っていられなくなって、恐る恐るタロに尋ねる。 脳裏には、カミングアウトした後に黙って連絡を絶った高校の時の親友や、お前みたいなやつは勘当だと怒鳴った親父の顔が浮かんでは消える。 「いえ! 気持ち悪いだなんて、そんな!」 俺の情けない声に、タロはパッと顔を上げて叫んだ。 「僕、ご主人様のこと、嫌いになんかなりません!  ご主人様が男の人を好きな人でも、僕はご主人様のことが大好きです!」 「本当か? ……よかったー」 タロの答えに、俺はほっとして、体からへなへなと力が抜ける。 「あー、よかった。  タロに嫌われたらどうしようかと思ったよ。  あ、そうだ。この際だから言うけど、タロに頼みがあるんだけどさ」 「はい、なんでしょう」 「やっぱり風呂は別々に入ってもらえないかな。  ほら、俺、男が好きだからさ。  人間のタロが子供の姿だった時はよかったんだけど、今の姿だと、その、変な目で見てしまうというか、色々まずいというか……」 高校生サイズのタロとは何回か一緒に風呂に入ったが、毎回タロの裸を直視しないように必死である。 正直、このまま一緒に風呂に入るのはキツいと思っていたところだ。 「えっと、それはもしかして、ご主人様は僕と一緒にお風呂に入ると、僕と交尾したくなるってことですか?」 あまりにストレートなタロの問いに、俺は思いっきりむせてしまう。 「あ、あのな、その、別にタロと交尾したいとかじゃなくて、その、俺にとっては男の裸全般がまずいっていうか」 いや、本当はタロの言う通りなんだけどな! けれどもまさか正直にそう言うわけにもいかなくて、俺はしどろもどろになってごまかす。 「……そうなんですか。  わかりました。  じゃあ僕、今日からは1人でお風呂に入りますね」 そう答えたタロは、珍しく不満そうだった。 タロは俺と一緒に風呂に入るのが楽しみだったようなので、不満顔なのはもっともだが、ここは我慢してもらわないとタロ自身の身が危ないので仕方がない。 「うん、悪いけど頼むな」 「……はい。  じゃあ、そろそろお湯入れてきます」 そう言って風呂場に向かったタロの尻尾はしょんぼりと下がっていて、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになったのだった。

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