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元橋さんと荒井さん
「そう言えばお前、新しい男ができたんだって?」
電話で副業のイラストの打ち合わせを終えた後、荒井さんがそう切り出した。
この前、俺と荒井さんの共通の知人が開いた個展をタロと2人で見に行ったので、その人から聞いたらしい。
話を振られた俺はここぞとばかりに、新しい恋人とはすでに同棲していて、素直で可愛い子でしかも料理が上手くて、彼と一緒に暮らしていると毎日が楽しくて仕方がないなどとのろけまくる。
荒井さんは若干呆れていたようだが、俺が前の恋人に酷い目にあわされたことを知っているので「よかったな」と言ってくれた。
「しかし料理の上手い恋人ってうらやましいな。
俺なんか毎晩1人の部屋で牛丼かコンビニ弁当なのに。
たまには俺も愛情たっぷりの手料理を食いたいよ」
「あ、じゃあ良かったら一回うちに食いに来ますか?」
「お、いいのか?」
「ええ、一応本人に聞いてみないといけませんけど、たぶん大丈夫だと思いますよ。
荒井さん、いつが都合いいですか?」
「んー、ちょっとスケジュール開かないとわからないから、後でメールするよ。
あ、そうだ。もしよければ画商の元橋さんも一緒に呼んでもらえないか?
この前からSNSでやりとりしてて、一回会って飲みたいですねって話をしてたんだよ」
「へー、そうなんですか」
荒井さんと元橋さんが俺経由でSNSで繋がっているのは知っていたが、そんなふうに仲良くなっていたのは知らなかった。
「じゃあ、元橋さんにも聞いてみますね」
「ああ、悪いな。楽しみにしてるよ」
「はい、それじゃまた連絡します」
その後、神社から帰ってきたタロに、荒井さんと元橋さんをうちに呼んでタロの手料理をごちそうして欲しいと頼むと、タロはこころよく了承してくれた。
「けど、こういう時ってどんな料理を用意したらいいんでしょう?
パーティー料理みたいなのを作った方がいいですか?」
「あ、いや、普段と同じでいいと思うぞ。
荒井さん、毎日牛丼かコンビニ弁当だって言ってたから、普通の手料理に飢えてると思うし」
「あ、じゃあ僕が変身できるようになる前のご主人様と同じですね」
「う……まあ、そうだな。
だからまあ、野菜とか魚料理があるといいかな。
あと2人とも酒飲みだから、酒のつまみになるようなものを多めにして」
「わかりました。
がんばって作りますね!」
「うん、頼むな。俺も手伝うから」
そんなわけでタロの了解を得ることができたので、今度は元橋さんに電話してみると、すでに荒井さんから話が通っていて、元橋さんにも「太郎くんの手料理楽しみにしてるよ」と言われた。
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当日、荒井さんと元橋さんは2人そろって現れた。
「いらっしゃい。
2人で待ち合わせて来たんですか?」
「ああ、荒井さんはこの家初めてだって言うから、わかりにくいかと思って」
元橋さんがそういうと、荒井さんもうなずく。
「いやー、一緒に来てもらって良かったよ。
まさかあんなビルに挟まれた路地の奥に家があると思わないから、1人だったらたぶん通り過ぎてたよ。
あ、その子がうわさの恋人か?」
荒井さんがそう言いながらタロの方を向いたので、タロがぴょこんと頭を下げる。
「はじめまして。松下太郎です。
学さんがいつもお世話になってます」
ちょっと顔が赤くなっているのは、「恋人」と言われて照れているのだろう。
あいかわらずタロはかわいい。
タロの靴下が白黒片方ずつなのは荒井さんの目にも入ったと思うが、あらかじめ荒井さんには例の元引きこもりで……という嘘の事情を話しておいたので、見て見ぬふりをしてくれた。
挨拶をすませて2人をダイニングに通すと「おー」という感嘆の声が上がる。
テーブルにはタロが作ったたくさんの料理が並んでいる。
野菜の天ぷらに魚の竜田揚げ、筑前煮、だし巻き玉子、なすの煮びたしなど、どれも地味だが一人暮らしの男が飢えていそうな料理ばかりだ。
荒井さんは今にもよだれをたらしそうな顔になっている。
うちで料理を用意する代わりにと、荒井さんがビールを、元橋さんが日本酒を持ってきてくれたので、さっそく乾杯した。
ちなみにタロだけは麦茶で、残りの3人はとりあえずビールだ。
荒井さんはグラスを半分ほど空けると、さっそく料理に手をつけた。
一口食べるなり「うまっ」とつぶやくと、後は無言になって次から次へと料理に箸を伸ばしていく。
家族がいるので手料理に飢えてはいない元橋さんは、荒井さんのようにがっつくようなことはないが、タロがこれほど料理ができると知って驚いたようだ。
「これ全部太郎くんが作ったのか。
すごいな。
たいへんだっただろう」
「いえ、学さんにも手伝ってもらったので、そんなにたいへんじゃありませんでしたよ。
それに、普段と同じような料理ばかりで、そんなに手間はかかってないんです」
タロが謙遜してそう答えると、一通り味見し終えた荒井さんが口を挟んできた。
「え、普段からこんなうまい料理作ってるの?
これは松下が自慢したくなるのもわかるな。
特にこのロールキャベツなんか、キャベツがとろとろで中の具もふんわり柔らかくて絶品だよ。
たぶんこれ、明日食ったら味が染みてもっとうまいんだろうなあ」
「あ、そうなんです。
ロールキャベツも2日目が美味しいので、うちはいつも多めに作って次の日も食べるんです。
今日も多めに作ってるので、良かったら荒井さん、持って帰って明日食べてみてください」
「お、いいの?
いやー、楽しみだな。ありがとう」
おみやげをもらう約束を取り付けた荒井さんは、にこにこしてうれしそうな様子だ。
俺も2日目のロールキャベツは楽しみにしていたので、明日食べる分が減ってしまうのは悲しいが、今日のところは悲しい独り身の荒井さんに譲ってあげることにしよう。
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元橋さんと荒井さんは初対面だが、すでにSNSで交流がある上に、タイプは違うが2人とも社交的な性格なので、俺とタロも交えた4人の会話ははずんでいる。
うまい酒と美味しい料理もあるし、楽しい飲み会だ。
「そういえば、太郎くんはお酒飲めないの?
まだ未成年だっけ?」
荒井さんの言葉に、タロが首を横に振る。
「いえ、もう20歳なんですけど、お酒は……どうなんでしょう?
飲んだことがないので、飲めるかどうかはわからないです」
「え、飲んだことないの?
なんだよー、松下。
過保護なのか何なのか知らないけど、酒くらい飲ませてやれよ」
「いえ、過保護って言うか、単純に忘れてただけなんですけど」
言われてみれば、タロが大人の姿に変身できるようになってからも、お酒を勧めてみたことはなかった。
俺の頭ではタロは犬なのでアルコールはダメという意識だったのだが、考えてみればタロは人間に変身した時は何を食べても平気で、犬が食べてはいけないタマネギでもカレーでも俺と同じように食べている。
だからもしかしたら、お酒だって飲んでも平気かもしれない。
俺がそう考えていると、元橋さんが口を挟む。
「飲んだことがないなら、飲めるかどうかだけでも試しておいた方がいい。
太郎くんは神社の手伝いをしているんだろう?
神社の祭りの後の宴会って、おっさんらがめちゃくちゃ飲むから、自分の酒量の限界を知らないで付き合わされたら大変なことになるぞ」
「あー、確かにそうですね。
太郎、試しにちょっと飲んでみるか?」
俺がそう聞くとタロは「はい」とうなずいたので、俺が日本酒を飲んでいたぐい呑みに、元橋さんが持ってきてくれた大吟醸を半分ほど注いで渡してやる。
甘口で飲みやすいいいお酒なので、苦いビールや辛口の日本酒よりは初めてでも飲みやすいはずだ。
ぐい呑みを受け取ったタロはおそるおそるといった様子で口をつけたが、一口飲むとパッと顔を輝かせた。
「おいしいです!
お酒っておいしいんですね」
「お、太郎くん、実はいける口だな?
よしよし、もっとついでやろう」
「あ、荒井さん、初めてなんだからほどほどにしておいてくださいよ」
「わかってるって」
タロが無茶な飲み方をしていないか気を配りつつ飲んでいると、そのうちにタロの顔がほんのりと赤くなってきた。
お酒がおいしいからか酔って気持ちよくなっているからか、にこにこして機嫌がよさそうだが、なんだか目がとろんとしている。
あ、まずい。
これ寝るやつだ。
よく見ればタロはまばたきを繰り返していて、もうかなり眠たそうだ。
酔っ払って寝てしまうのは、酒グセとしてはましな方だが、タロの場合は寝ると自動的に犬に戻ってしまうので、タロに限っては最悪の酒グセである。
「太郎、眠いのか?」
俺がタロに声をかけると、タロはとろんとした目で俺を見返す。
「えー?
まだねむくないですよー?」
眠くないとは言うが、その言葉は舌ったらずになっていて、完全に寝る寸前である。
「いいから、もう寝よう。な?
すいません、俺、こいつ2階に寝かせてきますんで」
元橋さんと荒井さんに断って、タロを椅子から立たせる。
タロは俺が支えていても体がふらふらしていて、完全に酔っ払っている。
「おやすみ、太郎くん」
「おやすみ、今日はごちそうさま」
「はーい、おやすみなさーい」
元橋さんと荒井さんのあいさつに手を振って答えるタロを、引きずるようにして2階に連れていく。
苦労して急な階段を上がって寝室に入り、布団を敷くためにタロをいったん畳に座らせると、タロはそのまま犬に戻ってしまった。
「うわ、危なっ」
むにゃむにゃ言いながら丸くなったタロは、いつもは眠っても1本しかない尻尾が2本になっている。
どうやら酔っ払っているせいで神通力のコントロールも出来ていないようだ。
「これ、うちで俺と2人の時以外は飲ませない方がいいな」
本人はおいしいと言っていたし飲んでいて楽しそうだったから、飲む分には構わないが、外では絶対に飲ませられない。
神社でもおっさんたちに飲まされないように気をつけていてもらうよう、宮司の佐々木さんにお願いしておいた方がよさそうだ。
そんなことを考えつつ布団を敷き、タロを抱きあげて布団の中に入れてやる。
布団の上から軽くぽんぽんと叩き、「おやすみ」と声をかけると、タロは「ふうん」と鼻を鳴らした。
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階段の方に行くと荒井さんの話し声が聞こえた。
どうやら元橋さんと2人で飲みながら話をしているらしい。
「それで男が好きなのに、どうして高校の時は女の子のエロ絵なんか描いてたんだって聞いてやったんですよ。
そしたらあいつ、エロ絵を描くと当時片思いしてた同級生の男が喜んで欲しがってくれるから、それがうれしくて描いてたって言うんです。
それ聞いて俺は呆れるしかなかったですね。
片思いの相手にオカズを提供してやってうれしがるとか、ほんともうあほかと」
「ちょっ、荒井さん、何話してるんですか!」
荒井さんが元橋さんに話していたのは、よりによって俺の高校時代の黒歴史であった。
慌てて階段を下りて荒井さんに詰め寄ると、荒井さんはしれっと答える。
「何って、お前のへたれエピソードだけど?」
「恥ずかしいからやめてくださいよ!
それとそのエピソードはへたれエピソードじゃなくて、単に高校時代の初々しいエピソードです!」
俺は別にへたれではないと言いたくて訂正すると、話を聞いていた元橋さんが口を出してくる。
「初々しいっていうけど、お前、今でも大して変わってないだろう。
だいたいな、年下の好きな子に手が出せないからって、代わりに犬にその子の名前をつけてかわいがるとか、よっぽどのへたれでもない限り、今どき小学生でもやらないぞ」
元橋さんの言っている意味がわからなくて一瞬考えたが、すぐにタロと人間の太郎のことだと気付く。
「え? 違いますよ!
タロの名前をつけたのは、ほんとたまたま、偶然で……!」
慌てて元橋さんの誤解を解こうとするが、元橋さんはまったく俺の言うことを信じてくれていないようで、生暖かい目で見られてしまった。
荒井さんはと見てみると、どうやらこちらも元橋さんと同じく信じてくれていないようだ。
「ごまかしても無駄だって。
いくらなんでも、偶然で親戚の子の名前をつけたりしないから。
ま、別にへたれでもいいじゃないか。
それであんないい子と付き合えたんだから」
「だから違うんですって」
「はいはい、わかったから」
俺の弁解を軽く流して、荒井さんは俺にコップを持たせてビールを注ぐ。
「ほい、へたれの松下にカンパーイ」
「乾杯!」
固まっている俺の代わりに、元橋さんが荒井さんとグラス合わせて乾杯する。
2人ともなんだか息が合っていて妙に楽しそうだ。
そうして2人は、タロが寝た後も、俺のへたれエピソードを肴にして遅くまで飲んでいった。
帰り際に忘れずにロールキャベツを催促した荒井さんは「あー、楽しかった。また呼んでくれよな」と言い、元橋さんもそれに同意していたが、俺としては出来ればこのメンバーで飲むのは、しばらく遠慮したいような気もして迷うところだ。
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