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番外編『職員旅行へ行きましょう!』〈1〉

  「工学部と理学部の先生方はこちらのバスになりまーす!! 大きな荷物はトランクに預けてくださーい!」  庶務課の若手たちの声が響き渡る中、一季は名簿のチェックに勤しんでいた。  季節は夏。  英誠大学は、長い長い夏休みに突入している。  その休みを利用して、毎年職員旅行が企画されることになっている。教職員間の親睦とリフレッシュを兼ねた恒例行事だ。  今年の行き先は海だ。 『真っ白なビーチ』、『新鮮な魚介類』、『そして美肌に効く温泉』と、三拍子揃ったリゾート地である。そのため、今年は例年になく女性職員の参加が多く、賑やかかつ華やかな雰囲気であった。  英誠大学は規模の大きな国立大で教職員数は多いが、毎年この職員旅行に参加するメンバーは固定化してきている。時期も時期であるため、家族行事を優先する教職員も多いからだ。  かくいう一季も、この職員旅行に参加するのは初めてのことである。企画は庶務課担当であるが、こまごまとしたことは教務課も手伝うことになっているため、名簿の作成やチラシの作成などの裏方で協力することはままあった。だがこれは強制参加ではないため、いつも『実家で弟の世話をしないと』と適当な理由をつけて、一季はこの旅行に参加したことはなかった。  だが今年は、泉水が参加すると聞き、迷うことなく名簿に丸をつけた。  職員旅行だし、同僚や顔なじみの教授陣がたくさんいるため、泉水と甘い時間が取れるとは思ってはいない。……だが、ちょっとくらい、もしかしたらちょっとくらいは、ビーチや高級温泉で泉水と戯れることができるかもしれない……と、淡い期待を抱いているのもまた事実だ。  ――い、いや、でも僕は大学職員だし……!! そんな、破廉恥なことを考えながら仕事してちゃいけない……!! 泉水さんだって真面目だし、まさか先輩教授たちがいる前で僕とイチャイチャするわけないしなぁ……。 「嶋崎さ〜ん!! 文学部と教育学部の先生方、オッケイで〜す!!」 「あ、はい、ありがと。……っていうか田部くん、出発前からテンション高すぎ」 「そーっすかぁ!? だって、海っすよ海! ナンパしまくりましょーね!!」 「いや僕はしないけど」  一季の声など耳に届かないといった様子で、田部はとにかくはしゃいでいる。  庶務課の若い女性職員たちにチャラチャラと絡んでいるが、何のかんのと仕事をマメに手伝っているようなので、一季は田部を落ち着かせることを諦めた。 「一季く……じゃなくて、嶋崎さん、俺も何か手伝いましょか?」  数冊のバインダーを抱えて人数確認をしているところへ、恋人である塔真泉水がやって来た。    今日の泉水は当然私服だ。ざっくりした白いTシャツにブラックデニムというラフな格好だが、いかんせん顔立ちとスタイルが際立って素晴らしいため、兎にも角にも格好がいい。  一季がぽうっと泉水の姿に見ほれていると、泉水はやや照れ臭そうな顔をして小首を傾げた。 「嶋崎さん?」 「……えっ、あ、はい! おはようございます、塔真先生!」 「え? あ、はい、おはようございます」  しゃちこばって朝の挨拶をすれば、泉水は照れ臭そうに微笑んだ。というか、ほんの数時間前まで同じ部屋にいて、朝食を共にしていたというのに、このドキドキ感は何だろう。なんならその前の夜は、甘く濃厚な夜を過ごしたばかりだというのに……。  ――二人きりの時の泉水さんも素敵だけど、こうして職場で見る泉水さんもすごくかっこいい……。はぁ……海、楽しみだなぁ。水着とか浴衣とか、着てくれたりするのかな……。  周囲の教職員たちに不審がられない程度に会話を交わしつつも、頭を占めるのは泉水のことばかりである。  すると、泉水がふと身を屈めて、何やらごそごそと囁いた。 「あ、あの、あぶないですよ」 「え……? えっ? な、何がですか?」 「あの……一季くん、なんやエロい空気が漏れるっていうか……」 「……えっ!? そ、そうですか?! す、すみません、つい」  なんたる失態。泉水に見惚れるあまり、表情がどえらくたるんでしまっていたらしい。一季は助平妄想に染まった己を引き締めるべくバシバシと頬を叩いて、すぅ〜〜〜と一つ深呼吸をした。  すると泉水はちらちらと辺りを見回した後、すっと一季の耳元に唇を寄せた。ほとんどの職員がバスに乗り込んでいるため人気はないものの、いつになく積極的な泉水の行動に、一季はばくばくと胸を高鳴らせてしまう。 「な、何……?」 「あの……そっ、そういう顔は、俺と二人の時だけにして欲しいっていうか……」 「………………へ?」  ――ふぉぉぉ……、泉水さん、こんなところで独占欲滲ませちゃうとか……っ!! どこで誰が見てるかも分からない場所なのにこんなことするなんて……! な……何だよこれ、ドキドキしちゃうじゃないか……!  と、内心ときめきと興奮が止まらない一季である。  頬を染めつつぽうっとした顔で泉水をひたすらに見つめていると、つられて泉水の頬まで真っ赤に染まり始めた。  すると泉水はあせあせとたどたどしい口調で、こんなことを付け加える。 「せやしその…………教務課のバスで痴漢とか、されへんように、き、気をつけてくださいね! 俺はちゃうバスに乗るし、いざって時に何もできひんし……!」 「い、いやいやいや! ち、痴漢とかそんなっ、あるわけないですから! 大丈夫ですよ、安心してください!」 「そうやろか……」  ブンブンと顔の前で手を振り、泉水を安心させるように笑って見せる。すると泉水はうっすらと頬を染めながら、至極困ったような顔をしているではないか。 「大丈夫ですよ。僕の隣はどうせ田部くんだし、彼のおしゃべりに付き合うので精一杯ですから」 「そうですか? ほんならまぁ、いいねんけど」 「心配性だなぁ、泉水さんは。ふふっ」 「いや……そんな……」  ついついふたりで照れ照れそわそわしていると、誰かにべしっと思い切り尻を叩かれた。不意打ちの攻撃に、一季は思わず「いっ!!」と声を上げてしまう。 「はいはいはいはーい!! いい加減にしてくださいよ〜〜〜暑苦しいですよ〜〜!!」 「わ、渡瀬くん……何もお尻叩かなくてもいいじゃないか」  一季の尻をバインダーでひっぱたいたのは、学生バイトとして参加している渡瀬里斗だ。夏休みに入ってからこっち、里斗と顔を合わせるのは久々のことである。こまごまとした雑用をこなす係として、各学部から大学院生が何人か参加しているのだ。  明らかに不機嫌そうな里斗に向かって、泉水が「いつき……やなくて嶋崎さんの尻を叩くとは何事や!! 謝れドアホ! セクハラやで!!」と怒っている。しかし里斗は泉水に対してもすっかり本性を現しているため、「はぁ? 人前でイチャイチャするほうがよっぽどセクハラ行為に値すると思うんですけど?」とやり返している。  一季はひりつく尻を摩りつつ、どうどうどうと二人を宥めに入った。 「と、とにかくほら、みんなバス乗っちゃってるので! 泉水さ……塔真先生も、バスのほうへお願いしますね」 「あっ、は、はい……!! そうですね!!」 「渡瀬くんも、ほら。学生バイトの人たちは庶務課のバスに乗るんだよ。早く行って行って」 「分かってますよ言われなくても」  泉水と里斗はツンケンした目線を一瞬ぶつけ合ったあと、それぞれのマイクロバスの方へと歩き去って行った。一季ははぁ、と小さくため息を吐き、バスガイドに絡んではしゃいでいる田部を促し、涼しいバスに乗り込んだ。  +  約二時間ほどのバスの旅を経て、英誠大学教職員一行は目的地に到着した。  じりじりと肌を焦がすほどの日差しが眩しく、一季は思わず眼を細める。  だが、目の前に広がる景色は最高だ。  真っ白な砂浜に、鮮やかな青を湛えた広い海。海を渡って吹き抜けてくる風の匂いは、普段都会で生活している一季にとって、とても新鮮なものだった。  一季は潮風を胸いっぱい吸い込み、唇に小さな笑みを浮かべた。 「いや〜〜〜まじテンション上がるっすわ〜〜〜!! 見てくださよ嶋崎さん!! ほら、ビキニの女の子だらけなんすけど!! やべ〜〜マジやべ〜〜〜〜!!! フゥ〜〜〜〜〜〜〜!!!」 「うん、そうだね。海だもんね」 「ちょ、なんすか〜〜!? テンション低すぎじゃねっすか!!? ……あ、そっか。嶋崎さん、ビキニの女子よりガッチリしたイケメンのほうがテンション上がるんすよね!! ほら、あっちにサーファーとかいるっしょ。チャラそうだけどなかなかイケて……」 「わーわーわーわー!! だからいちいちそういうこと言うんじゃありません!!」  一季は慌てて、田部の口をバインダーで塞いだ。  いつの間にやら、アロハシャツにグラサンカチューシャ姿へと変貌を遂げている田部である。どこからどう見ても、ただのチャラ男だ。 「それに僕はサーファーとか興味ないから! ったく……」 と、こそこそとそう言い聞かせていると、田部は「あぁ〜〜」と納得したような声を出し、コソコソと一季の耳元でこんなことを言った。 「あ、すんません。嶋崎さんには塔真センセがいるっすもんね。……あ、良かったら俺、夜部屋空けましょっか?」 「え?」  部屋割りはすでに決まっていて、一季は田部と二人部屋なのだ。泉水は泉水で、坪田という工学部の教授と同室の予定である。そのため、一季は夜の逢瀬を諦めていた。  だが、田部が何処かへ行ってくれるというのなら、ひょっとすると、ひとときの甘い時間を過ごすことが出来るかもしれない……。 「……い、いやいやいや!! いいよ別に! だってこれは職員旅行なんだよ? 僕らにとっちゃ半分仕事なの! それに田部くん、どうせナンパに行くつもりなんだろうけど、きっとフラれて泣きながら帰ってくるに決まってるし……」 「ちょ!! 嶋崎さん!! リアルにありえそうなこと言うのやめてくださいよ〜〜〜!! つーか俺、今回はぜってーキメて見せますんで。海ってほら、女の子たちも開放的な気分になってて、ガード甘いじゃないっすか!? ぜってー朝まで帰んないっすから!!」 「……あ、そ、そう? じゃ、じゃあ……お言葉に甘えちゃおうかな……」 「りょーかいっす!! きっと先生も浴衣とか着るんでしょーし、いっぱいアンアン言わせたげてくださいねっ!!」  ビシ!! と、田部はまた余計なこと言いながら親指を立て、太陽に負けないくらい眩しい笑顔を決め込んだ。

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