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花金

秀司(しゅうじ)は短く息を吐き、大きく伸びをした 「……っし!」 腕時計で時刻を確認し、デスク上の書類を片付けてパソコンの電源を切った。 今日の目標終業時刻に通りに追われたことに喜びを感じ、荷物をまとめる。 『部長、お疲れ様です』 『お疲れ様でーす』 「あぁ、お疲れ。みんなも出来るだけ早く帰れよ」 お決まりの挨拶を幾度となく交わし、軽い足取りで部屋を出る。 通常の終業時刻だというのに、エレベーターホールにはほとんど人がいない。 今日も残業に追われる多くの社員を哀れに思うと同時に、ちょっとした優越感に浸る。 (花の金曜日だっていうのに、そんなにここが好きなのか?俺には理解できんな) 秀司の金曜の夜は、新宿にある行きつけのバーに行くのがお決まりだ。 新宿二丁目のその手の男が集まるバー、そこで好みの男――色っぽくて遊びなれていそうな美人――を見つけては口説き夜を共にする。 それが秀司の趣味のようなものだった。 休日もふらりと立ち寄っては一夜限りの恋を楽しんでいる。 (さーて、今日はどんな子がいるかな) 口元を緩ませながらスマホ画面をタップしてバーに電話をかける 『はぁーいもしもし?』 「あ、光彦(みつひこ)か?今からそっち行くから晩飯よろしくな」 『またそうやってアタシを使う!ていうかその名前で呼ばないでちょーだい!みっちゃんよ!みっちゃん!!』 「あーはいはい、とりあえず頼んだ」 『ちょっと!秀司!アタシまだはい、なんて一言も言ってないわよ!』 「頼むよー。お前の料理が一番うまいんだから」 『もうっ、やだ秀司ったら!…いいわよ。さっさと来なさいよね』 バーに電話をかける時は、同じような会話をしている気がする。 光彦というのはこれから行く予定のゲイバーのママで、学生時代の親友でもあるが、セクシャリティは同じだが好みのタイプが違うため、肉体関係を持ったことはない。 「鷹崎部長、お疲れ様です」 「なんだ、槙か」 振り返ると、槙和泉(まきいずみ)がこちらに笑みを向けていた。 重たい前髪で目元を隠してよく見えない。 猫っ毛でウェーブのかかった髪はおそらく髪質なのだろう。 秀司はさっぱりしない髪型をいつまでも続ける和泉のだらしないところが気に入っていなかった。 性格面も仕事面も悪くない、人間関係も良好で真面目な子なために心のうちに留めているが。 ただ単に自分の好みのタイプからかけ離れているためそう思うだけかもしれない。 「なんだって何ですか…。今日は上がるの早いんですね。これから宅飲みですか?」 「いや、バーで飲む。ってお前聞いてたのか」 「すみません、聞こえてました…」 「それにしても槙も今日は上がるの早いな。いつも残業してるのに」 「えへへ…実は僕も飲みに行くんです。バーに誘われて」 「ははっ、その恰好じゃバーより居酒屋の方が似合ってるけどな。じゃ、お疲れさん」 揶揄うようにニタリと笑うと、恥ずかしそうに言わないでくださいよ、と俯く。 すぐに和泉と別れてエレベーターを降り、さっさと外へ出てタクシーを拾う。 これで部長鷹崎秀司(たかさきしゅうじ)としての業務は終了だ。

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