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第3話

 十二月も迫る寒い日、寺地は相変わらず、寒いですねえ、と言って背中を丸めて咳をした。ああ、と息を吐き、ポケットから白い錠剤を取り出すと、持参しているらしい水筒から白湯を汲み、それを飲み下した。そしてパイプ椅子に腰かけて、腹の上で指を組み、天井を見上げて目を閉じた。久しぶりに見る光景だった。そういえば寺地はいつも、こうして静かに微睡んでいたのだ。 「そういえば、寺地、今年で定年するの」  寺地は懐かしそうに口元を緩め、そうですねえ、そうかもしれませんねえ、と呟いた。 「でも、まあ、僕も卒業だし、卒業式が終わったら僕と写真撮ってよ、ぎゃふんと言わせた記念に」  ああ、それは良い、素晴らしい、と寺地はその言葉を味わうように口を動かした。 「私の父はねえ、咽頭がんで死んだんですよ。もう二十年も前になりますかねえ。そして五年前にね、妹が、乳がんで、これまた死んでしまいまして。うちはがんの多い家系なんですねえ。丁度、卒業式のその辺りは、命日なんですよ、妹の」  そうなんだ、と僕は適当な相槌を返した。人の死なんて、その頃の僕には現実離れしすぎて、それ以外にかける言葉を知らなかったのだ。 「だからねえ、もしかしたら、卒業式の日は田舎に帰っているかも知れないんですよ。でも、あなたの答辞は、ぜひとも聞いてみたいものです」 「そりゃそうだよ、言い出しっぺは寺地なんだから」 「ああ、はあ、そうでしたか」  そして寺地は顔を天井に向けたまま、目を閉じ、口を開け、一言も話さなくなった。予鈴が鳴り〈真面目で一生懸命がんばる僕〉は科学準備室をあとにして、教室へ駆けた。  期末テストでは、順位はさほど上がらなかった。僕は不甲斐ない気持ちだったけれど、それでも寺地は、良いですね、と喜んだ。冬休みに入る前、僕は読書感想文のコンクールで優秀賞を獲った。終業式で表彰され、パイプ椅子に座る寺地は手を叩き、教室でまた拍手を贈られた。三島由紀夫なんて、読んだこともなかった。  今年の冬は、特に寒さが厳しかった。冬休み期間中も僕は学校の図書館に通い、科学準備室に寄っては、鍵のかかった扉の前で、ほんの少しだけ残念な気持ちになった。冬休み中、寺地は一度も学校を訪れなかった。  三年の、三学期になった。寺地は寒さのせいか、これまでに増して貧相で頼りなく、丸めた背を小刻みに震わせていた。 「ああ、いやですねえ、こんなに寒いと」 「今日はまだ、あたたかいほうだよ」 「いえいえ、そんなはずはありません。こんなに寒いんですから」  寺地は準備室の電気ヒーターを入れ、かさかさの枯れ枝みたいな両手を擦り合わせ、白い息を吐いた。 「答辞、読めるかな」  今はもうすっかり忘れてしまいそうだけれど、そもそもの目的は答辞を読むことだ。いじめられっ子ふたりが、いじめっ子をぎゃふんと言わせる、そういう目標のもと、僕らは一生懸命がんばり、時にはいんちきをしてきたのだ。しかしもう、この頃には、僕はいじめられていなかったし、寺地が揶揄われている姿を見ることも少なくなっていた。寺地も、そこで改めて思い出したかのように、ああ、そうだった、そうですねえ、と言って、それじゃあ答辞の内容でも考えましょうか、とまるで暇つぶしの一環のようにそんな提案を投げかけた。 「答辞の内容なんて、そんなの知らないよ」 「いいんじゃないですか、退屈で、適当で、ありきたりなもので。それでいいんですよ、あなたが堂々とさえしていれば、全員ぎゃふんです」  そして寺地はプリントの裏紙に鉛筆を走らせて、十分ほどであっさりと書き上げてしまった。 「そしたらね、それを読む練習でもしていてください。勉強はね、もうほどほどでいいでしょう。よく頑張ったじゃないですか、あなたも、私も」  寺地の考えた答辞は、時候の挨拶、学校生活の思い出、周囲に対しての感謝、将来の目標と、実につまらない内容だった。僕はそれを一度だけその場で音読して、それから毎日、昼休みは答辞を音読し続けた。寺地はパイプ椅子に腰かけて、腹の上で指を組み、顔を天井に向けて目を閉じて、あまり言葉を交わさなかった。  二月の下旬、ついに答辞を読み上げる生徒が選ばれた。僕はどきどきしていたけれど、それを隠して、なるべく興味のない素振りで窓の外なんかを眺めた。発表は、発表とも言えないほど実にあっさりしたもので、それを聞いたクラスメイトも、ふうん、といったような反応だった。僕はがっかりした。隣のクラスのやつだった。成績は常に上位で、野球部の主将で、教師からの信頼も厚い、隣のクラスの男子生徒が選ばれた。ぎゃふんと言わせてやりたかった、あのいじめっ子が選ばれた。  選出されなかった僕は、結局ただの〈頑張ったように見せかけた人〉にしかなれなかったし(それどころか、よりによっていじめっ子が選ばれる始末だ)、寺地にその報告をするのはあまりに心苦しく、その日は科学準備室へ行かなかった。翌日、勇気を出して準備室へ行ってみるも、扉には鍵がかかっていた。寺地は、学校を休んでいた。次の日も、その次の日も来なかった。寺地はずっと、学校を休んだ。  卒業式の日、いじめっ子が堂々と読み上げる答辞を、僕はぼうっと聞いていた。この日も、やっぱり寺地はいなかった。いつも片隅にあるパイプ椅子も、寺地のぶんは用意されていなかった。卒業式が終わり、僕は担任教師とだけ写真を撮って、その後ひとりで、化学準備室を訪れた。鍵は開いていた。中はもぬけの殻だった。  私の父はねえ、咽頭がんで死んだんですよ。もう二十年も前になりますかねえ。そして五年前にね、妹が、乳がんで、これまた死んでしまいまして。うちはがんの多い家系なんですねえ。丁度、卒業式のその辺りは、命日なんですよ、妹の。  そう言っていた寺地を思い出した。今頃、田舎へ帰ってしまっているのだろうか。寺地のパイプ椅子に座り、寺地と同じように腹の上で指を組み、天井を見上げた。くたびれたグレーのジャケットの、古いクローゼットの防カビ材の匂いがした。結局、寺地には会えなかった。  第一志望の高校に合格し、僕は平穏で、ありきたりな高校生活を送った。どんなことも意欲的に、頑張っている高校生だった。一度は美術部に入部したけれど、やっぱり僕に芸術の才能はないらしく、一ヶ月と続かなかった。その後の三年間はテニス部に所属し、二年でレギュラーを勝ち取り、勉強の成績も常に上位だった。高校を卒業する日、僕は全校生徒の前で答辞を読んだ。三年前、寺地が考えてくれた、退屈で、適当で、ありきたりな内容の答辞だ。胸を張って、はきはきとした声で、堂々と読んだ。けれど、だれも、ぎゃふんとは言わなかった。  海外のアニメじゃ、わたしたちは、スーパーヒーローですよ。  そう言った寺地が蘇る。フケが溜まったグレーのジャケットに、痩せこけた顔に乗っかった四角い眼鏡、年老いて丸まった背、不潔で陰湿な教師は、間違いなく僕のスーパーヒーローだった。答辞を読み終え、生徒からの拍手に包まれ、その中でもひと際大きい拍手を、僕は確かに受け取った。片隅の、パイプ椅子に座る、嬉しそうに瞳を輝かせる寺地だ。  海外のアニメじゃ、わたしたちは、スーパーヒーローですよ。  心の中で、何度もそう繰り返す。わたしたちは、スーパーヒーローですよ。 〈終〉

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