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              ◇  季節が秋になっても、冬になって周りが真っ白になっても、年を越しても、春になり桜が地面を覆いつくしても、俺は何も変わらなかった。崩れた社の中で、ただ丸くなって眠る。白い蛇の姿は一番楽だし、何よりこの姿なら人間に見つかる事はあまりない。ただ、少しづつ体が重くなっている。 「………あぁ、いた」  ふと、声がした。  重い頭をもたげると、鱗だらけの肌を暖かい手が撫でる。 「どうして蛇の姿なんだ?これはこれで好きだけど」 ツンツンとつつかれて、もたげた頭をまた地面に戻す。 「弥一」 どうして逃げたの。そう言って困ったように笑う舘脇はスーツじゃなくて、ジャージを着ていた。ジャージを着て、革靴じゃなくて運動靴を履いている。 「そんなに俺といるのは嫌か?」 どうして、なんで、も言葉にできなくて、ただ見上げる。舘脇は困ったようん眉根を下げて、俺の頭を指で撫でた。 「話が、したい。声が聴きたい。弥一」  ふいっと体をそらして、崩れた社の奥にするりと潜りこんだ。ふっと息を吐きながら人型になって、暗い視界の中、そろそろと着物を手繰り寄せる。その間も外からは弥一と呼ぶ声がした。 「………」  自分の手を見つめて、また息を吐いた。 「――――舘脇」  久しぶりに声を出したせいか、少しだけかすれる。柄にもなく心臓が早鐘を打って、視界が揺れる。乱れていた着物の袷を治しながら、視界に揺れる黒髪にため息を吐く。崩れかけの社の階段が少しだけ軋んだ。 「会いたかった」 「……俺は、会いたくなかった」  会いたくなんて、なかった。そういえば、舘脇の手が伸びてくるのが分かった。 「触るな」 ぴしゃりと言うと、舘脇の手が止まる。少しだけうつむいていた顔をあげて、地面にたつ舘脇を見下ろした。地面は凸凹で、舘脇の立つすぐ近くには「りんたろう」の墓がある。 「弥一」 「お前が、幸せならそれでいいんだよ。俺は、お前が、生きてて、ちゃんと幸せになってくれれば」 「だからいなくなったのか?」 「……」 ギシりと階段が軋む。一歩、また一歩と階段を踏みしめて降りる。地面が近づくと、下にあった舘脇の顔が上を向かないと見えなくなる。トントン、ギシリ、ギシリと今にも崩れそうな音を出しながら地面に降りて、舘脇を見上げた。 「お前が、望んだんだろ?幸せな家庭を築きたいって。父親しかいなくてさみしいから、自分の子供にはそんな思いをさせたくないって、お前が、俺に祈ったんじゃないか」 「弥一」 「…………………なんで、会いに来るんだ。どうして俺を探すんだ。消えたなら、諦めろよ‼お前が、全部全部、おかしくしてるんじゃないか…っ」  俺の事なんて、忘れてしまえばいいのに。舘脇の事なんて、「りんたろう」のことなんて、忘れてしまえればよかったのに。忘れられない。忘れたくない。  だってきっと、俺も 「愛してるから、無理だ」  低い声が聞こえて、視界が揺れた。真っ暗になった視界に、舘脇の心音が聞こえる。頭を覆って背中に伸びた舘脇の腕に、俺は抵抗することが出来なくて行き場のない腕を下に垂らした。 「ごめん、弥一。…………ごめん、なさい」 ぎゅうっと抱きしめる腕が熱い。舘脇の体も熱くて、その言葉がかなしくて、俺は息をのんだ。 「ごめん。でも、後悔したくないんだ。傍に、いさせてくれ」 「何で、お前が謝るんだよ」  声が震えて、ジワリと目頭が熱くなる。どうして、謝るんだ。なんで、お前が、俺に謝るんだ。 「愛してるんだ。もう、見つけてしまったから離れたくないっ!」 また小さくごめん、と舘脇がこぼした。 「弥一がいなくなってから、考えた。でも、無理なんだ。お前がいないと寂しくて、悲しくて、探してしまう」 「…………忘れられなかった、ずっと」  小さくつぶやいて、腕を舘脇の背中に回した。 「―――――俺には、………お前が特別だったんだ。ずっと、大事で、忘れられなくて、だけど、……お前が死んで、でも」 でも、ずっと、覚えていた。ずっと眠りながら。引きずり続けた記憶。情けなくて、でも、俺が夢を見続けていたのは紛れもなくあの村で過ごした日々だったから。 「…………………捨ててくれ、弥一」 少しだけ体を離して、舘脇が俺を見下ろす。 「すべて、捨ててくれ」 俺も捨てるから。舘脇はそう言葉を続けて、不安そうに俺の言葉を待った。 「すべて、捨てたら俺はお前をなんて呼べばいい?」 「……弥一の、好きなように」 「そうか。……そう、か」 ふっと、息を吐いた。  ずっと、舘脇に会ってから「りんたろう」が育てば、育っていたならこんなふうになっていたんだろうと思っていた。笑顔は昔と変わらない。姿かたちだって着物じゃないことを除けばそのままの「りんたろう」だ。それが嬉しくて、幸せになってほしかった。過去にすがっていたのは、俺の方だったのかと小さく息を吐いた。 「……お前が」 「?」 「お前が先に老いて死んだら、俺も死んでいいか?」 「は?」 「俺は、お前がいない世界はきっともう耐えられない」 また、死ぬところは、見れない。だから 「お前が逝くとき、一緒に俺も逝ってもいいなら」 傍に、いる。  小さくつぶやいて、名前を呼んだ。 「懐かしいな、その呼び方」 舘脇が笑って、俺をまた抱き寄せた。  ―――これは?  これは、スズ。おれの名前の漢字。  ―――スズ?お前はりんたろうだろ?  鈴太郎、だから。  ―――なら、スズって呼ぶ。特別な感じがしていいだろ  なら、お前にも名前がないと、おれもよびたい  ―――別になんだっていいよ。お前がよぶなら 「もう一度、呼びたかった」 ずっと、かけらを集めながら叫んだ名前。さみしくてたまらなくて、人間が憎くて、だけどずっとずっと叫び続けた。消えかけた意識の中で聞こえた「鈴」の音を頼りにあの蔵にたどり着いて、俺はずっと眠って夢を見ていた。 「鈴」 「うん」 「――――特別な、感じがするだろ?」                 失恋シンドローム ―了―  

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