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君は運命のひと
※夢川視点
ベッドにしどけなく横たわる番の姿に目を細め、夢川は舌を伸ばしてあらわになったうなじを舐める。
そして舌の表面で、うなじに刻まれた凹凸 を味わった。
つい最近まで傷一つなかったすべらかな肌の上に、己のつけた傷跡がまだ治りきらずにほんのりと血の匂いをさせて存在している。
それはΩを縛る、番の契約の証。
焦がれるほどに欲した深いつながりをようやく許されて、心の底から歓喜し、食らいついた。
加減など出来なかった。出来るはずもなかった。
……おそらくこの傷跡は一生残るだろう。
それにほの暗い満足感を得ている自分を自覚し、夢川は唇をわずかに歪 めた。
真綿にくるむように大事にしたい。
だが、番への独占欲は理性を食い破り、ときに大切なはずの存在そのものに荒々しく牙を剥く。
番の契約を交わしたことで、確かに絆は深まった。
――しかし、嫉妬心や執着心が消えたわけではなかった。
手に入れた実感はあれど、……手に入れたからこその独占欲が湧いた。
自分だけを見てほしい。
ただ、自分だけを。
ときに我が子にすら妬いてしまう己の狭量さに、情けなくもなる。
子供は可愛く愛しいが、番の意識が子供にばかり注がれるのを見ると胸が苦しみを訴えるのだ。
そういう時はすかさず子供に触れる。
触れると、その温かさが心を落ち着かせてくれた。
番を奪う敵ではなく、これもまた自分の愛する存在だと実感する。
気を失うように眠ってしまった番の身体を拭き清め、汚れたタオルをサニタリールームへ持っていった帰りに子供部屋に寄った。
すやすやと安らかに眠る我が子のはだけた布団をかけなおす。
大抵、布団を蹴飛ばしているのは起きているときは大人しい兄の歩 だ。
やんちゃな弘 の方が、寝ているときは逆に行儀が良い。
そんな親しか知らない子供たちの個性に、自然と口元が緩む。
――いずれ、この子たちも番を得るだろう。
それまでは、自分の庇護のもと、健やかに育ってくれればといっぱしの親みたいなことをあどけない寝顔を眺めながら願うこともある。
寝室へ戻った夢川は番の傍らに寄り添い、その匂いを堪能した。
発情期ではないため、ほんのりと鼻先をくすぐる程度のミントの香り。
我ながら少しばかり変態臭いと思わなくもないが、かぐわしい番の匂いに抗えるαなどいない。つまり、世の中のαはすべからく匂いフェチな変態であるといえる。
始祖との面談の後、どんな不可思議な力が作用したのか、晋が突然のヒート状態になり、それを契機に夢川の性フェロモン失調症は完治した。
二度と愛する者のフェロモンを感じることはできないと喪失感に悲嘆していた夢川にとってそれは僥倖であり、番の契約を交わせたことは、なによりの喜びだった。
発情期が終わったあと、長年の念願が叶った夢川は、あらためて今回の件に骨を折ってくれた殿塚のもとへ感謝と礼を伝えに赴いた。
老舗和菓子店で購入した手土産持参で、アポの際に指定された相手方の本社ビルへ出向くと、応接室に通される。
シックなデザインの応接セットに腰かけてしばらく待っていると殿塚が現れた。
手土産を渡すと、殿塚の態度がオフィシャルのものからプライベートなそれへと転ずる。夢川のセレクトした和菓子は、殿塚の番が好んでいるものだった。
夢川はまず始祖へ渡りをつけてくれたことに礼を言い、ホテルで別れてからのおおまかな経緯を手短に話す。
すべてを聞いた殿塚は、
「治ったのか。それは重畳」
と、珍しく藍色の瞳に安堵の色を浮かべ、素直な喜びを伝えてきた。
「これで手嶋がおまえの『運命』だったってことが証明されたな」
続けてそう言われて、はじめてその事実に考えが及ぶ。
始祖が言っていたことが本当なら、確かにその通りなのかもしれないが、夢川にはどうにも『運命』という実感は湧かなかった。
失えないという想いばかりが強くて――……
『運命の番』うんぬんは二の次になっていた。
だから、晋が『運命』という言葉にあれほど拘りを持っていたことにも驚いたのだ。
『運命』という実態のないものに、自分ばかりではなく、愛する伴侶も惑わされてきた。
「複雑そうな顔をしているな。……なにか不満でもあるのか? ずっと憧れていた『運命』なのに思っていたものと違ってがっかりしたか?」
そう揶揄 されて、夢川は顔をしかめた。
「そんなわけありません。……ただ、子供にどう『運命の番』について教えるべきか悩みます」
殿塚が、肩をすくめて呆れまじりの視線を投げてくる。
「下手の考え休むに似たり。そんなもの、親がやきもき心配せずとも年頃になれば勝手に見つけてくるよ。むしろ下手な幻想を植え付ければ、またおまえの二の舞になる」
だから妙な入れ知恵はやめておけと、嫌味だか皮肉だか非常にわかりづらい忠告をしてきた。
「運命だろうとそうじゃなかろうと、決めるのは本人次第さ」
しかし、夢川は反論することなく、それももっともだと同意した。
自分の『運命』は、くしゃくしゃの泣き顔と制服に拭われた鼻水とガムの香り。
おそらくどんなαもそれに運命など感じないだろうが、自分にとっては忘れがたい思い出であり、出会いだった。
それこそ、他のどんな出会いとも比べようがなく、衝撃的な――
……たとえ番が泣いていた理由が他にあって、それが別の男への涙だったとしても、そのときの泣き顔は夢川一人のものだ。
腕の中のぬくもりを抱きしめると小さな呻 きが番の口から洩れ出る。
今日、番は初恋の相手に会っていた。
浮気をしているだなんて思っていないが、やはり面白くない気持ちはどこかにくすぶっていて、……つい加減を忘れて抱きつぶしてしまった。
(初恋の男との逢引きは楽しかったですか…?)
そんな焼きもちを口にするのは、さすがにプライドが許さない。
帰ってきたときの様子を見れば、楽しいひと時をすごしてきたことなど一目瞭然で、聞く必要すらないところがますます夢川の嫉妬心を煽るのだ。
αの性 なのか、あるいは番になったことで自制のタガが外れたのか……。
夢川にもわからない。
一体、殿塚はどう考えているのだろうと聞いてみたところ、飄々とした答えが返ってきた。
「あなたはなんとも思わないのですか? 番が他のオスと個人的に会うことに対して抵抗は?」
「Ω同士で間違いなど起きないだろうし、碧が俺を裏切るような真似をするわけがない」
「私だって、彼が私を裏切るなどとは思っていません」
ただ生理的に受け付けないだけだ。
殿塚はよく我慢できるものである。Ω同士でも、そこに深い愛情があると考えるだけで夢川は妬けるのに。
ドライな関係なのか、単に情が薄いのか。
この二人の間柄も昔からどこか謎めいている。
「――おさむさん…?」
夢うつつの声で名前を呼ばれ、夢川の思考はあっという間に番一色になった。
「すすむ…?」
「…………もう食べられません、おなかいっぱいです…」
もにゅもにゅと口を動かしてそんな寝たぼけたことを言う番のアホかわいらしさに一瞬で陥落されてしまった夢川は、矢も盾もたまらず番の足を広げると、再び臨戦態勢になった第三の息子を狭き入口にあてがい、ぐっと潜り込ませた。
「満腹になるのはまだ早いですよ」
そんなスケベおやじ感満載の一言とともに奥まで貫いて腰をゆすると、番が甘く啼 いて爽やかな匂いがふわりと立ち昇る。官能を刺激する番の香りを吸い込み、それを夢川は満喫した。
「理さ…!? も…ムリ…ぃ…!」
「愛しています、私のつがい」
「あ、愛…? や、でも…! …ああっ」
その夜も、夢川は番の腹がふくれるまでたっぷりと愛という名の欲を注いだ。
ミントとレモンの香りが交じり合って溶け合う世界が、二人の愛の巣である。
「もう満腹だからぁ…!」
という番の泣き言すら夢川にとっては睦言だ。
夢川家の夜は、こうして平和に激しく更けてゆく――。
END
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