1 / 48
第1話「燈という少年」
深夜の寝室の、ダブルベッドで青年と眠る東洋系の少年は、突如、目を覚ました。
横で穏やかな顔で眠る日本人の青年、姫川匡 の顔に視線を走らせ、彼が眠っていると確認した後、少年はその腕の中を抜け出そうと試みる。
「…燈 君?」
眠っていた筈の匡が薄目を開けて、少年の名前を呼んだ。
「あれ、起きちゃった?」
「ん…。どうした…?」
匡は半分寝ぼけているようだ。
「ちょっと、トイレ…。」
「ん…。」
匡は再び眠りに落ちた。
燈と呼ばれた少年は思わず笑みを浮かべてから、ベッドから降り立った。白く、しなやかな細い体には何も纏っていない。
燈は半年近く前に姫川家の養子となり、表向き、匡の義弟という存在になった。匡が暮らす邸宅に暮らし始めてからは一ヶ月ほどが経つ。
そんな二人が裸で一緒に寝ている事には、特殊な理由があった――。
燈は時折、雌猫のように発情する。それは腸内で精液を吸収するまで続き、彼は扇情的になり雄を欲っしてしまう。
彼は特殊な人間だった。暗闇でもよく見える目を持ち、聴力は常人の十倍ほど優れていた。そして、嗅覚でフェロモンを嗅ぎ分ける事も出来るのだが、これが発情の起因となっているようだった。
床に投げ捨てられた形になっているパジャマの上を拾って、燈はそれを羽織る。大き目サイズの為、体の半分以上が被われた。
暗闇の中、燈は壁の時計を確認してから、静かに匡の寝室を出た。そして耳を澄ます。静まり返った邸宅内に外から侵入する物音を感じ取った。
燈が目を覚ましたのは、その所為だった。
常夜灯が点々と灯る長い廊下を、足音のする方向へ、燈は子猫のような軽い足取りで向かって行く。間もなくして、足音の正体である、長身でガタイのいい黒いレザーコート姿の男が現れた。
男は匡の従兄で、燈を姫川家に誘 った張本人だった。
「お帰り、カイル。…遅かったね。」
燈の出迎えに、男、カイルは嬉しそうな顔を一瞬だけ見せてから、眉を顰めた。
「ルーチェ、そんな恰好で歩き回るなよ。」
カイルは燈の事をルーチェと呼ぶ。その呼び名に、彼の悲しい思い出が詰まっている事を知る燈は、そう呼んで欲しくないと思いながら、ずっと言えずにいる。
「ご免。…カイルが帰って来たの、わかったからさ。」
「ああ、ただいま。」
素直に燈に謝られ、カイルも素直に答えた。
「仕事以外で遅くなったんだよね?」
「うん。…もう、何が本業か分からなくなってるけどな。」
「…ご免。」
カイルの人生を狂わせてしまったのが自分である事を噛み締めて、燈は表情を暗くした。
「じゃあ、戻るね。…おやすみ。」
燈が踵を返したところで、カイルが燈の腕を掴んで引き止めた。
「匡の部屋にか?」
燈は腕に痛みを感じ、軽く抵抗を見せた。
「おまえ、ここ最近、匡と頻繁に寝てないか?」
「頻繁にって…、二日、いや、三日に一回くらいだよ。」
「それを頻繁って言うんだよ。…なあ、匡は次男だけど、姫川家の御曹司なんだぞ。結婚の事だってある。…いつまでも、おまえの相手をしてられないんだからな。」
「匡さん、結婚しちゃうの?」
燈の声色には少しだけ動揺が窺えた。
「今は予定ないみたいだけど、三十までにはするんじゃないか?…ただ、今はおまえが邪魔してるからな。」
カイルの物言いに、燈はカチンと来たようだった。
「匡さんとならセックスしてもいいって言ったの、カイルだからね!」
「いや、あれは緊急事態の時だっただろ?」
カイルは一瞬、焦りを見せたが、燈を嗜めに掛かった。
「十四歳のガキを抱くのは犯罪なんだよ。世間にバレたら匡の人生は終わりだ。…おまえは普通になる努力をしなきゃならない。」
強気を殺がれたように、燈は伏し目がちになった。
「…分かってるよ。…一緒に寝てるだけで、何もしない事の方が最近は多いんだから。」
実際そうなのだが、裸体にパジャマ一枚羽織った状態の燈に否定の力はない。
「なぁ、ルーチェ。おまえの体が普通じゃないのは、おまえの所為じゃない。だから、何とかしてやらないといけないって思ってる。…俺は今、独自におまえの発情をどうにか押さえる方法を模索しているところなんだ。」
燈は一拍置いて視線を上げ、カイルを見つめた。
「…体を改造されるとか嫌だよ。」
「なるべくしない方向で考えてるよ。ルーチェがS4 じゃなくて、姫川燈として生きていけるように最善を尽くす。だから、おまえも普通の少年になる努力をしろ。」
カイルが燈の頬に唇を落とし、それから優しく彼の無造作に流れる短い髪をを撫でた。それを切っ掛けに燈は項垂れる。
カイルが去り、彼の姿が扉の奥に消えると、燈はその場にしゃがみ込んだ。久々に聞いたS4の呼称に体が震え、立っていられなくなったのだ。
――俺はS4でもなく、ルーチェでもない。…姫川燈だ。
数回、呪文のように繰り返して立ち上がると、燈は匡の寝室ではなく、自分に与えられた部屋へと歩を進めた。
姫川燈 ――
少年は自分で選んだ名前を噛み締める。その名前は彼にとって希望であり、枷でもあった。
ともだちにシェアしよう!