4 / 4
第4話
事務所に残りシルグローブの最終チェックをしていた。欠損した前腕義肢でアクリルの爪がついているタイプ。これならマニキュアやネイルアートもできるから女性に好評だ。
義肢や装具全般を制作するのが仕事で、入社してから10年。技術面と経営面を父親から叩き込まれている。
製品はすべてオーダーメイド。人により欠損部分が違うし、リクエストも多岐にわたる。欠損した部分の見た目を補う役割、運動機能を補佐する役割で選ぶ製品も変わってくる。顧客にとっては人生を左右する製品であり、これからも前向きに生きていく為に必要なものだ。
一つ一つのオーダーに取り組みながらいつも思い出すのは喬の言葉。
『大丈夫、一志ならできる。その人が必要としている最善の物を作るよ。絶対だ』
まだまだ半人前。これからもっとスキルをあげていかなくてはならない。従業員の生活を守り会社組織を維持していく必要もある。上に立つ者としての能力を蓄積していかなければ会社を運営していくことは難しいだろう。大変な道のりではあるが、仕事の内容に満足している。 製品を手にしたときの表情、喜びの言葉。使う人ならではのリクエストや感想。それに支えられステップアップするため日々努力を続けられる。
「9:00すぎか……」
そろそろ帰るか。30歳を目前にして実家の世話になるのもどうかと思い、今年から一人暮らしを始めた。ワンルームの狭い空間。でも狭いくらいで丁度いい。掃除が最小限で済むし、部屋に呼ぶ相手もいない。
【 コツコツ 】
ガラスを叩く音が聞こえた。自室には窓はない。オフィス兼店舗にある自動ドアだろうか。フロアには数か所のダウンライトしか点いていないし、自動ドアには鍵がかかっている。こんな時間に誰だろう。
立ち上がり開けっ放しのドアからオフィスに出る。自動ドアの向こうは真っ暗。そこに一人の男性が立っていた。病院と違い急を有する製品ではないだけに、こんな時間の来店者は不審でしかない。
無視するべきだったと後悔しながらドアに近づく。暗闇からこちらを向いている男の顔が少しずつ見え始める。
「え……」
自動ドアを開けてくれというゼスチャーをしながら男は笑っていた。……どうして?なんで?10年前と同じ混乱が戻ってくる。ともかく外は寒い、ドアを開けなくては。
ドアの上部にあるツマミを押し、扉を手で開く。冷たい空気が顔に触れた。
「どうしたんだ?え?……なんで?」
喬は隙間からオフィスに身をすべりこませた後、扉を閉める。
「なんでって、また言った」
10年ぶりに見る喬は大人に成長していた。堂々とした雰囲気は、スーツとトレンチコートに包まれ自信にあふれている。自分の作業服姿がとたんにみすぼらしく感じた。
「話したいことがあって寄らせてもらった」
「あ……そうか。じゃあ、あっちに。コーヒーぐらいしかないけど。インスタントだけどいい?」
「ありがとう」
ギクシャクした動きのまま自室に向かう。後ろにはコツコツという革靴の固い音。俺が履いているスニーカーのキュっという音とはまるで違う。大人になりたいと言った喬はそれを自分のものにしたのだろう。追いつけることはないと諦めている存在だが、目の前にするとやはり惨めな気持ちが湧いて来る。
打ち合わせに使うテーブルに喬を座らせインスタントコーヒーを用意した。
「ミルクと砂糖は?」
「いや、何もいらないよ」
自分の分にだけミルクをいれてカップをテーブルに置いた。10年会っていないのに話があると言われても……再会を喜ぶべきだろうが完全にタイミングを失ってしまった。
「すごいな」
喬は俺がチェックしていたシルグローブを指さした。
「最終チェックをしていたんだ」
「一人で残業か」
「家に帰ってもすることがないし」
喬の視線が強いものに変わった。気まずさだけしかない俺は視線を外す。毎日一緒にいた10年前と今ではあまりにも長い時間が横たわっている。それを踏み越え昔に戻れるほど俺は器用ではない。
「親と一緒に住んでいるのか?」
「いいや。実家は出た。一人暮らしだよ」
「そうか」
喬はニッコリ微笑んだ。さっきの視線、そして今度は笑っている。居心地の悪さがどんどん溜まっていく。場が持たず、熱いコーヒーをゴクリと飲む。
「あつっ」
「急にきて……悪かったな」
「話って……なに?」
喬はコートを脱ぎ背もたれにかけた。何のブランドかわからない微かな香りが漂う。
「ようやくこっちに帰ってきたんだ」
「ええと……転勤?」
「こっちの整形で勤めることになった」
「整形?」
仕事柄切っても切れない関係が整形外科だ。そこに勤める?医療事務だろうか。
「一志」
名前を呼ばれてビクリと肩が震えた。
「な……に?」
喬は深いため息を一つついたあとテーブルの上で両手を組んだ。いよいよ本題に入る、そんな表情に背筋が伸びる。
「俺は……一志が「家を継ぐつもりだから大学に行かない」そう言った時に自分の将来が決まった」
「は?」
「だから医者を目指した」
「え?医学部だったの?」
喬は苦笑を浮かべながら「一志は学部を聞きもしなかったな」と呟いた。俺は聞かなかった。だって大学に行かないし単位さえとれればいい程度しか勉強していないから大学の学部には興味がなかった。喬が合格した東京の大学名は誰もが知っているものだった。さらに「何学部?」なんて質問を俺がするわけがない。知らないし興味がなかった。それに……喬が遠くにいくという現実に目を向けたくなかった。いなくなることを考えたくなかった。
「一志と仕事をするためだ」
「はあ?」
「もうすこし感動的な返事だと想像していたのにな」
「何言ってるかわからないよ。突然現れて……10年も顔を見ていない喬がいきなり変なことを言うからじゃないか。俺と一緒に仕事をするって何?それで進路決めたってこと?意味がわからないよ!」
「わからないか?」
「……え?」
「高校生の時はどうしていいかわからなかった。自分はおかしい、そればかり考えていた。答えもでないし毎日が苦しかった。でも一志と一緒にいるときは苦しいだけではなく喜びがあった。高揚感でフワフワしたし一志が笑うと嬉しかった。
だから……だから俺は早く大人になりたかった。自分で未来を作れるように。一志と一緒にいる方法を見定めて、それに向かって努力した」
「た……かし?」
「一志も俺と同じ気持ちだと思っていたんだ。卒業式の前の日マウスピースを俺が吹いた時そうだと確信した。でも一志は走って消えてしまった。俺から離れていった。一度決めた道だから全うしようと進み続けたが、いつも考えるのは一志のことだった。今ごろ何をしているだろう。仕事を頑張っているだろうか。逢いにいったら驚くだろうかと」
「こなかったくせに!10年の間一度もこなかったくせに!」
「中途半端な自分では駄目だったからだよ。ちゃんと大人になって一志に告げる。そう決めていた。だから今日ようやく来たんだ……一志の所に。俺の言っている意味がわかるか?」
わかる……でもわからない。そんな都合のいい話があるか?10年だぞ?一人前になるまで待っていてくれって言えばいいじゃないか。ずっと放っておいていきなり現れて、一緒に仕事しよう?
「わからない。10年も年賀状だけじゃないか。喬の言っていることを信じろって?」
「10年俺を放っておいたのは……一志、お前も同じだ」
俺は言葉を失った。俺も同じことをしていた?全部喬のせいにして俺は何かしたか?割り切れない想いを抱えたまま、1年に1回の年賀状を返すだけ。『今年もよろしくおねがいします』の言葉すら無意味に思えて書くメッセージは『あけましておめでとう。お元気ですか』だけだった。電話もしなかった、会いにもいかなかった。札幌に帰ってきたら飯でも食おうぜ。そんなことだって一度も言ったことがない。
喬のことが好きだった。でも俺達には言葉もなかったし約束だってなかった。勝手に捨てられたような気持ちになっていたのは俺だ。
「だって……だって」
「自分で暮らしていけるようになった。誰と一緒にいたいか選べるくらいに大人になった。これからも成長をしていく。でも一人では難しい。誰かと一緒に成長していきたい。一人でも多くの患者に希望を持ってもらいたい。俺と一志にはそれができる。
でもこれは俺の押しつけだよな。それはわかっているんだ。だからこれから少しずつ話をしよう。10年前のこと、それからのこと。俺が何を考え何を思い生きて来たのか。そして一志がどう感じていたのかを知りたい。
少しずつ時間を取り戻しても無理だという結論になれば、友達かもう会わないかを選ぼう」
もう会わない……?それか友達?マスターここでも二択だよ。
「勝手なことばっかり言って……俺が結婚していたらどうするつもりだったんだよ」
喬はニヤリと唇の形を変えた。不覚にもドキリとしてしまう。
「付き合っている相手がいても足掻くつもりだった。一志が俺を避けても仕事という接点がある限り顔を合わせる。だからしつこく食い下がるって決めていた」
「……随分な俺様だな」
「違うよ。俺は格好悪くても何でもするつもりだった。結婚していないことはわかっていたし」
「どういうことだよ……なんでそんなことわかるんだよ」
喬はさっきまでの表情を真剣なものに変えた。
「年賀状」
「年賀状?」
「『あけましておめでとう。お元気ですか』という素っ気ない一志からの年賀状だ。三が日が過ぎてから届く年賀状が俺の支えだった。両親と一志3人の名前が印刷されている。これを一番に確かめたよ。結婚していたら両親と連名の年賀状は送らないだろう?」
1年に1回だけの俺達のやりとり。親戚や知り合いに出す平凡な絵柄の年賀状を送っていた。喬の為に1枚だけプリントアウトする気にもなれなかったし、儀礼的に返す年賀状のほうが都合がよかった。貰いっぱなしは悪いから返事をしました――そう見えるように、そう伝わることを期待して。
それが……喬にとってたった一つの支えだったというのか。それなら喬が言った通りだ。10年間、喬を放っておいたのは……俺も同じ。
「一志……黙ってないで何か言ってくれ」
あれほど堂々として見えた喬の姿は消えていた。不安そうに眉をひそめて俺を見ている。組まれた指に力がこもっているのか指先は赤く指は真っ白だった。
喬も怖いのか。それに気が付いた瞬間、身体から力が抜けた。緊張がほどけたとたんジワリと瞼が滲む。
「一志?」
「ああ!もおお!」
俺は10年前と同じようにゴシゴシ手の甲で涙を拭いた。ガタンと椅子が動く音がして喬の気配が近づく。そしてフワリと抱きしめられた。さっき漂った香とともに。
「まずは昔みたいに仲良しに戻れるかだよ。今はそれしか言えない」
「ああ、それで充分だ……もう少しこうしてていいか?」
「……仕方がないな」
力のこもる腕に包まれながら喬の背中に腕を回す。10年の時間を取り戻すまでにどれだけの時間が必要だろう。持て余したまま燻っていた思春期の想いをお互いに語ることで絆に変えていくことができるだろうか。
大丈夫だ……きっと出来る、喬となら。根拠はない確信にクスリと笑みが漏れる。
「可笑しいのか?」
「さっきの不安そうな喬の顔を思い出しただけ」
「10年前と同じことを言うよ『黙って』」
沈黙のなか俺たちは抱き合い続けた。言葉はいらない、今この瞬間一人ではないことを実感できるから。喬と一緒だということが沁み込んでいくから。
ようやく、10年の時を経て、俺は「未練」「後悔」から卒業した。
END
ともだちにシェアしよう!