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「……」
「……」
俺の名前は五十嵐若葉。
好きな食べものは妹の作るチャーハン。
好きな人はクラスにいる夏木ちゃん。でも別の高校に不良の彼氏がいるとかなんとかで女子からはあまり良い印象をもたれてない子だ。
清楚で一つ結びの似合う女の子なのに、人は見かけによらないらしい。
うーん、そんなことよりチキンカツカレーにらっきょう多めにのせて食べたい気分。
「あのさ、俺、昼飯食いたいんだけど」
「黙ってろ。口縫い付けっぞ」
ちなみに嫌いな飲みものは牛乳で――嫌いなやつは目の前にいる無駄に彫りの深い男だ。
あだ名は『ゴースト 美術室の幻』とかいう微妙なやつだったりする。ニューヨークどこ行った。知らない人は、今の寒い季節におすすめなんでググってどうぞ。
話を戻すと、この男とは、知り合ってかれこれ十年以上は経ってる。
いわゆる腐れ縁というやつらしいけど、こんな中世の石像みたいな顔の男じゃなくて普通に学校じゃ大人しいけど俺の前じゃツンデレを発揮するような地味な女子がよかった。
はいそこの人、童貞とか言わない当たってますよ座布団一枚。どうして嫌いなのかと聞かれれば、説明するのに俺の語彙力では到底伝えられないくらいの深い理由があるわけで。
今の状況もそうだ。昼飯を食べようと友人と廊下を歩いていたら、急にこの男から腹を殴られそのまま体育館倉庫裏まで拉致された。
わぁすごい。
あの国もびっくりの早さだ。
近い将来、こいつは警察官か某秘密捜査員にでもなるのだろう。
「あと便所にも行きたいから早いところこの紐外してくんない?」
「うるせえな気が散んだろ。おまえが黙らねーと心の準備ができねえんだよ」
「だったら俺が便所行った後で良いだろ! 漏れそうなの。ちんこから出すもんだしたいの。お前日本語分かる? 分かるよな? お前の親って両方日本人だったよな? 昨日肉じゃがお裾分けしてもらったときも流暢な日本語だったんだけど?」
「あぁもう、っとにかわいいくせにいっつもうるせえんだよおまえはよ」
「きもいことを流れるように言うなボケくたばれ」
実際に便所に行きたいわけではない。
俺にとって知人以上友人以下だが幼馴染みで、しかもかなりの電波が入ってるこの石像のような顔立ちの男。これだけ聞けば少女漫画かな? とか思うだろうが、俺は日夜この男から逃げ出すにはどうすればいいのか考えては11時には就寝し、お日様がのぼってお目目ぱっちりで起床して学校へ赴いている。ぐっすり寝ることは大切。人の三大欲求のひとつですから。
「……さっき木星にいる使者と交信したらその、今日は俺と五十嵐が、……あれだよ、ほら。抱き合うっつーかなんつーか、そういうことすりゃ今後の危機から少しでもおまえを守れるって言われたんだよ」
「ヘーソウナンダー」
目の前で腕を大きく広げたままのポーズで顔を赤らめている男に口元が引きつる。お前童貞じゃないくせにこんなことでいちいち赤くなりやがって。そのまま木星の使者とやらに連れ去られてしまえ。
「……あのさ苅谷くん」
「んだよ文句あっか」
荒い口調にぴくりと米かみが動く。
ええありますとも、という合図に、俺はじろりと相手を睨み付けながら口を開いた。
「学校のトイレでいきなり拉致って毎日毎日エンドレスに俺の口にちんこ突っ込むくせしてよ、なんでお前に抱きつかれるまで俺が大人しく縛られたまま貴重な休み時間を奪われにゃならないわけ? っていうこと毎日毎日お前のかーちゃんみたく言ってるの覚えてる? なに、お前は脳みそすっからかんなわけ? RPGの村人でも台詞暗記してエリア移動するたびに話しかけても毎回同じこと喋ってんだぞこの野郎。もういっそのこと脳みそ取り換えてこいよ」
「は? あほ抜かせこのチビ。テストで毎回赤点ギリギリのおまえよか頭いいんだよ。つーかあれだ、地球外生命体の精液――俺のエナジーをプリンセスの身体に定期的に入れてやんねーとやべえだろ。おまえ常にえっろいフェロモンまき散らしてっから万が一火星人に掘られたらまじシャレになんねえ」
「きもいって言葉しか出てこねーよ!」
反射的に叫んでしまった。
しかもこいつ精液のことエナジーとか言い直しやがった。こえーよ!
つーかなに? プリンセス?
プリティでキュアキュアな日曜の朝8時アニメにでもワープしちまえ。そのまま敵キャラとして成敗されろと思わずにいられない。
「うっわきもい、まじできもい! お前そのプリンセスとかいう言葉使って女子を口説こうもんならどん引かれてSNSで画像晒されてお先真っ暗になんぞ。しかもほら、見ろこの鳥肌! 俺の体が拒否反応起こしてんぞ! 心の底からどん引きだよ!」
「はぁ? かわいいやつにプリンセスつって何が悪いんだ? つうかおまえは俺の――」
「もうお前ほんとお口チャックしよう? な? そして木星という名の病院にでも行ってこい。一緒に探してやっから」
というか真面目な話、こいつはまじで変な宗教に入ってそうな思考になってきている。苅谷のかーちゃん、どうしてこうなった。確かに小学生の頃から変わったヤツだとは思っていたが、まさかここまで重傷だとは思っていなかった。
高校の入学式早々、苅谷にトイレに連れ込まれていきなり「ここは火星人のコスモパワーが強い。早く飲まねーとお前火星人のやつらに洗脳されるぞ」とか真顔で言われてちんこ口に突っ込まれたときは流石に吐いたし泣いた。
「つーかそろそろ休み時間ン゛ンッ!?」
そんなことを考えていると突然、全身を拘束されたような圧迫感が襲った後そのまま地面に倒れた。爽やかな香水の匂いが鼻腔をくすぐる。
恋人同士がよくやってるいちゃいちゃ系ではなく、子どもが親に抱きついているような色気もへったくれもないやつ。苅谷の体温が冷やっこすぎて驚いたが、俺の熱をどんどん奪ってそこそこ同じ温かさになった。
「苅谷さ、体温低すぎるんじゃねーの? ホッカイロとか腰に貼ったら案外あったまるぞ」
「あ゛? 馬鹿かおまえ、あんな拷問じみたもん使うわけねえだろ。皮膚が溶けちまう」
「お前の星では直に貼るのが当たり前なんですねすごーい」
くだらない会話をしつつ、真冬の体育館倉庫とかいう薄暗いところで男同士がくっつくのは絵面的にまずいなと思ってみたり。
冷え症は病気しやすいらしいが、こいつが風邪で学校休んだところ見たことねーしなぁ。
「おい」
「ん?」
「おまえってさ」
数分の沈黙の中、ふと苅谷が口を開く。
「いい匂いするよな」
うわきもい、と思ったが口には出さなかった俺の反射神経を誰か褒めてくれ。
「……あー、多分、ねーちゃんのコンディショナー使ってるからだと思う」
「何の匂いだ?」
「ココナッツ。ちなみに1リットルある海外製だから、朝に使ったらけっこう匂いキッツい」
「俺はおまえの匂い、嫌いじゃねえ」
「そらどーも」
みしりと骨が軋むほど、苅谷が腕に力を込めて抱きしめてくる。
今の状況も可笑しいが、そもそもちんこを口に突っこまれること自体縁を切るレベルだ。
それなのになぜか俺とこいつは、ながいこと一緒にいる。自分でも驚きだ。ここまでされてこいつを嫌いになれない俺もどうかしているんじゃなかろうかと最近になって考えはじめた。
それに高校は互いに別々の場所を選んだつもりが一緒だったが、まさかのクラスまで一緒ときたもんだ。ここまでくると神様とかいう存在に会ってみたくなる。神様見てますか? 人生の試練にしてはハードで重すぎると思います。敬具。
「なあプリンセス」
「それはまじでやめてクダサイ。キモチワルイデス」
「敬語のプリンセスもかわいいなクソが」
「お前の頭がクソだよ」
こんなことは日常茶飯事のせいか、ここのところ口を開くのも疲れて会話を軽く放棄している。ツッコむのに疲れてるだけで,、突っ込まれてるのは俺の方なんだけど――とかもうやばい方向のツッコミはぽんぽん浮かんでくるあたり、こいつに毒されてきてるよなと顔が引きつりそうになるのをなんとか堪えた。
「俺が木星の王位継承者だって言ったの覚えてっか?」
「あーあれね、まぁうん、一応」
忘れられるはずもない。
高校入学と同時に、まるでアメコミの映画のごとく壮大なストーリーと共に、木星人と火星人の仁義なき戦いについて説明された――口にちんこを突っ込まれたあとに。
そんな記憶が早々消えるはずもない。あの時は新しく放送されたアニメの話かと思って、苅谷に「お前が王子ならきっと強い国になりそうじゃね?」とか悪ノリをしてしまったが最後、苅谷がやけに熱っぽい眼差しで「おまえの為に強い国にする」と言われて事の重大さに気づいたときには今の状況になっていたというわけだ。
……あれ、もしかしたらここまでの電波になったのは、俺のせいなのか?
仮にそうかもしれないとしても、深く考えるのはやめておこう。
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