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浅海(あさみ)は勘違いしていた。 それは朝の通勤電車での出来事だった。 車両の片隅にて、浅海は自分と同年代と思しき男が一人の女子校生の背後に密着し、妙な雰囲気を漂わせているのを視界の端に捉えて眉根を寄せた。 痴漢してないか……? でも手元がはっきりわからないし、注意して、もしも違っていたら面倒なことになる。 これまでそういった場面に遭遇したことがなく浅海が躊躇していたら。 閉ざされた扉と向かい合って項垂れていた彼女と目が合った。 涙を溜め、心細そうに震えていた、か弱げな双眸と。 「ッ……何してるんですか、やめなさい」 浅海の一声に周囲はざわりと波打ち、慌てた痴漢は恐らく降りる予定ではなかった次の駅で乗客を強引に押し退けると卑怯にも逃げて行った。 余りの俊敏ぶりに呆気にとられていたら電車は走り出した。 そのまま放置していいものかと気になり、浅海は当の被害者に尋ねてみた。 「君、大丈夫? 次の駅で駅員に話してみ……」 あれ。 このコ、男……か? てっきり女子高生だと思い込んでいた相手が男子高校生だったとわかり、新たに動揺している浅海に、痴漢被害に遭遇していた彼は俯きがちに無言で首を左右に振った。 下手に目立つのが嫌で我慢していたんだろうか。 もしかして余計なことしたのか、俺……? 目的の駅で降車し、眼鏡をかけ直し、浅海は軽くため息をついて足早に会社へ向かおうとした。 ぎゅっ 驚いて振り返れば先程の男子高校生が両手でもって片腕にしがみついていた。 指通りのよさそうな黒髪、黒目がちな双眸、ひどく滑らかな肌。 妙に色づいて見える唇は微かに震えていた。 「あの、ほんとに、本当にありがとうございました……」 それが浅海と<まひる>の出会いだった。 ■半年後 「ごはん、おいしかったです、ごちそうさまでした」 「こっちこそ。いつも付き合ってくれてありがとう。気をつけて帰ってね」 「はい」 「酔っ払いが乗ってきたら、距離をとって、それから電車を降りた後も家に着くまで用心するように」 「はい」

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