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最終話
「俺にどうしろって言うねん」
新幹線の時間を聞いたって、どうにもならないのに。
だけど無自覚に時計を見てしまう。もう時間があまり無い。
(新神戸まで、どの経路で行ったんだろう……)
バスなのか、最寄の駅からなのか、それとも地下鉄か。もしかしたら車で新神戸まで送ってもらってるかもしれない。
そんな事を考えながら、体は勝手に動き始めていた。
家を出て、とりあえず一番近い駅まで走る。
(何してんのや、俺)
そう思いながらも、足は止まらなかった。
駅に行く為に、一番近道になる歩道橋の螺旋階段を一段飛ばしに走っていく。さっき携帯で調べた時刻表だと、あと1分で出る電車に乗らなければ、13時10分の新幹線には間に合わない。
階段を上りきる前に、電車がホームに入ってくる音が聞こえてきた。
(間に合わない――)
改札の手前で、ピーっと車掌が鳴らす笛の音が聞こえてくる。
ICカードでタッチして、改札を抜けた途端に、電車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出すのが見えた。
ホームへ続くたった5段の階段を踏みしめる足が、ガタガタと震えた。
それでも5段の階段を上り切り、ホームから出ていく電車が小さくなっていくのを目で追った。
もうこれで。――もう本当にこれで翔太に会えないのだ。
お互いの道はここで分かれて、もう二度と交わる事はない。いや、ここじゃない。去年の夏に、あの祭りの夜に、既に道は分かれてしまっていた。
胸の奥から、じわじわと熱いものが込み上げて目の前が涙で霞む。
涙が零れないように、手の甲でゴシゴシと目を擦った。
通勤通学の時間帯以外は人も疎らで、電車が出た後のホームには誰一人居ないだろうけど、こんな所で惨めに涙を零すのは嫌だ。
そう思っていた。――誰も居ない筈だと。
だけど霞んだ視界の先、電車の進行方向の一番前のホームのベンチに、大きな荷物を横に置いた男がゆっくりと立ち上がるのが見えた。
「ちょ……マジ……なんでおるんや」
「翼が……来てくれるような気がしてた」
「さっきの電車に乗らな、新幹線の時間間に合わんのちゃうんか」
「別に、指定席券取ってないから、何時の電車でもええ」
翼は、えっ? と、小さく声を漏らして翔太を見上げた。
(くっそ! 水野のやつ、騙したな)
そっと、翔太の指が頬に触れ、目元の涙を拭う。
「さ、触んなよ」
その手を払おうとした手を掴まれた。
「血豆、治ったんやな」
「あ、当たり前……何ヵ月経ったと思っとぉ……ッ」
掴まれた手を引き寄せられて、翔太との距離がゼロになる。
「ちょ……何してんの」
慌てて離れようとすると、ぐっと腰を片手で抱き寄せられた。
「俺も、好き」
「――は?」
「俺の好きも、こういう事をしたい好き」
驚いて顔を上げると、あの夏祭りの夜に見た暖かい眼差しに、じっと見つめられた。
「翼のこと、ずっと前から好きやった」
――え?
「嘘やん……」
「嘘やない」
見つめ合って、お互いの顔の距離が近づいた。
――キスしたい。
そう思った瞬間、目の前に缶コーヒーを差し出された。
「――?」
「今は、これで我慢しとき。後ろに人、おるで」
言われて、肩越しに振り向けば、数メートル後ろに白髪のおばあさんが立っていて、こちらを見ている。
顔が熱くなるのを覚えながら、翼はプルタブの開いた缶コーヒーを受け取った。
飲み口に唇を付け、缶を傾けて喉へと流し込む。
「ぬるいな、これ」
「俺の飲みさしやからな。間接キスや」
「……あほ」
まさか翔太も同じ気持ちだったとは、思ってもいなかった。
境界線を越えるのをずっと昔から躊躇っていたのは、翔太も同じだった。
これから先、遠距離になって、二人の関係がどこまで続くかは、今は分からない。
でも、会いたければ、会いに行けばいい。二度と会えないと思って絶望した時に比べたら、東京までの物理的な距離なんて、どうってことないと思えてくるから不思議だ。
「大学を卒業したら、タイガースに入団するから楽しみにしてて」
そう言って、翔太は最高の笑顔を翼に向けた。
終
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