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第14話
人混みの中、懸命にその背中を追いかけていると神崎さんの歩調が緩む。
横を見ると、こじんまりとした店が一軒。
一見すると八百屋のような、少し小洒落た店だ。
「ここなら揃うだろ、多分」
「多分?」
「果物はそろう。飲み物は足りなかったらコンビニ行けばいいだろ」
いいのかなぁ。
籠を持たされ、見慣れない陳列棚を眺めていると、籠の中に重たい感触。グレープフルーツだ。
神崎さんは店内のことも把握しているのか、先ほどから1つずつ手にとって吟味してはこれはダメだな、とか呟いている。それが、何故か様になっているから不思議だ。
「食材、詳しそうですね」
「詳しいというか、俺は美味いものを食うのが好きなんだ。数、5個だっけ?長持ちしそうなのは追加で2個くらい買うか。どうせ払うのはあいつなんだし」
「え、でも…」
「俺がいいって言った、って言っておけ」
お店のことも、良く分かるんだな。
と、神崎さんの伊月さんの把握ぶりに不意にドロリとした重苦しい感情が頭をもたげ、あれ、と思った。
なんだろう、この嫌な感じ。
別に伊月さんと神崎さんが仲良いのなんて今更だ。
俺、今不安になってる?
次々と放り込まれる果物で籠の重みが増した頃。
「大丈夫か?」
「え…あ、はい。…大丈夫、です」
声を掛けられて自分がぼーっとしていることに気が付いた。
「不安になったか?」
「え!」
今の気持ちを言い当てられたようで思わず声が出た。
「買い物。これで大丈夫か、って心配になったんじゃないか?ちゃんとメモの通りにそろえたから心配するな」
「…あ…そう、ですよね。ありがとうございます。助かりました」
「礼はあいつにさせるからいいよ」
びっくりした、そっちのことか。
そうだよな、今は買い物の最中なんだっけ。
「ワンコちゃんは、自炊派だっけな」
「まあ…毎日じゃないですけど」
「なら、ここ。たまに面白いもの売ってるから、何かのついでに覗いてみるといい」
「あれ、神崎さんって自炊派でしたっけ?」
神崎さんと2人で会っていた頃、確か「外食派」だと豪語していたはずだ。
「たまにはね。それとも、作りに来てくれる?」
女性だったら、キャ、とでも言いそうなセリフだ。
「なんで俺が行くんですか。神崎さんモテるんだから、作ってくれる相手くらいいそうなのに」
「作ってくれる相手はいないんだよな。デートの時は外食ばっかりでな…こんな風に買い物するなんて、久しぶりだ」
やっぱりデートする相手は相変わらずいるんだな。
「玲一は、飯作らせると美味いんだ…家に来いって言うと嫌がるしなあ」
「作って貰ったこと、あるんですか」
あ、まただ。この嫌な感じ。
「って言っても学生時代な。みんなで鍋やるとさ、あいつはいつも作り係で、俺は片付けで…」
学生時代の伊月さん、か。どんなんだったのかな。
モヤモヤする気持ちの正体を掴めないまま、飲み物で重たくなった籠を抱えて会計を済ませた。
「ありがとうございました。荷物は俺持つんで。神崎さん、飲みに行くんですよね」
「まあな。…半分持ってやる」
袋は2つ。そんなに重たくはないけれど、お言葉に甘えて1つ持ってもらうことにした。
神崎さんのお陰で買い物が順調に行ったので、帰りは少しだけゆっくり歩いた。
「こうしてると新婚夫婦みたいだなあ」
「俺で遊ばないでくださいよ!男同士で新婚もないです」
「男を相手にしておきながら変なことに拘るねェ、ワンコちゃん。俺と結婚する?」
言葉遊びのつもりだろうけど、翻弄され過ぎてもう返す言葉が見当たらない。
「…。神崎さんって特定の相手は作らないんですか?」
結婚する気なんてなさそうな癖に、と突っ込んだことを聞いてみると「作るつもりはないよ」と、あっさりと返る。
「…なんで…なんですか?」
「病気だからだよ」
「え…」
不意の告白にびっくりしてドキっとした。聞いてはいけないことを聞いてしまっただろうか。
「俺は人を愛せない病だから」
冗談なのか本気なのか。それとも哲学的な問答なのか、本当に心の病なのか。神崎さんの言う事は抽象的で、わかるようなわからないような。曖昧な答えだ。
「…分からないか?お前だって、同じ病を抱えてる癖に」
「…俺、ですか?」
しかも、突然その矛先が俺に向いて、その意味も良く理解できないのに心がざわついた。
「……俺はお前と話して、似たような性質を持つ奴がいるな、と思ったよ」
伊月さんが「神崎さんはそういう嗅覚が鋭い」と言っていたのを思い出す。
あの時伊月さんは綻びだって表現したけど、それってこのことなのかな。
「誘ったら、この子ならついてくるんじゃないかと、思った」
あの日。神崎さんと会って、幾度目だったか。一緒にレイトショーの映画を見た後、俺の家に来るかと誘われて、俺が行くと答えた日。
「…。それが俺を誘った理由、なんですか?」
「勿論、それだけじゃないけどな。あの時のお前は…なんというか、空っぽだったしな。可愛い子だし、話相手としては悪くなかったし。…誘った理由を敢えて言うなら、なんとなくだ」
当時、酷く寂しくて。神崎さんの手を迷わず掴んだあの日。もし、仮に俺があの日、神崎さんが言うところの「病」とやらを抱えていたのだとしよう。
俺は今もそれを抱えたまま、あの日のまま動けずにいるのだろうか。
「心配するな。別に俺とお前だけが抱えてるって訳じゃないし、そんな奴は世の中に大量にいる。…お前は最近ちょっと変わってきてるみたいだしな…。道、渡るぞ」
「あ…はい」
行きと同じ信号を渡りながら、考える。
愛せない病、か。少しだけ分かるような、分からないような。
俺、変わって来てる、のか?何が?
自分のことなのに、自分が一番わからない。
そこから店まで黙々と歩き、店の入り口に着くと神崎さんは俺に荷物を押し付けた。
「俺は帰るから、後頼む」
「え!帰るんですか?飲んでかないんですか…?」
「玲一に怒られそうだしな。……ワンコちゃん。1ついいこと教えてやる」
「いいこと、ですか?」
「そ。…玲一が俺を敵視する意味。もう少しちゃんと考えてみろ」
神崎さんは再び意味深な台詞を残して「じゃあな」と去って行った。
敵視する、意味か。
神崎さん。
それは伊月さんが俺を心配してるからなんです。
それ以上の意味を考えられるほど、俺の頭はめでたくない。
伊月さんだって、決定的な態度は何1つ取っていないのだから。
裏口から入り、廊下を抜けて扉の前に荷物を置く。店に続くスタッフ用のドアを少しだけ開くと、俺に気が付いた伊月さんが振り返る。
「おかえり!早かったね」
神崎さんのお陰でゆっくり歩いても余裕があったようだ。感謝しなきゃな。
「うん。荷物、どこに置けばいい?」
「この辺、カウンターの足元に置いといてくれる?」
1つずつ袋を運び込む。本当は冷蔵庫なり所定の場所に保管しておくべきなのだろうけど、俺が手伝うとかえって面倒そうで、それ以上は手を出さなかった。
宮田さんも既に出勤していて「ありがとうね」と言われて、頭を下げる。
「宮田、ちょっとだけ外す」
「はいはい、どーぞ。なんかあったら呼びますから、もっとゆっくりしてていいですよ」
廊下へと戻ると、店で流れる音楽が遮断されて一気に静かになった。
「ありがとう。ごめんな、こんな事頼んで。随分早かったね」
「うん。実は、買いに行く途中で偶然神崎さんに会って…」
「…神崎さん?」
伊月さんの声が素早く反応した。びっくりして顔を上げると伊月さんは不審そうな顔をしていた。
「あの…店に来る途中、だったみたいで。買い出しのこと伝えたら、手伝ってくれる…って…言ってくれて」
「…あの人が?」
「…うん」
伊月さんが突然俺の肩を掴み、真剣な顔をする。
「…。何もされなかった?」
「うん。…ほんとに、買い物した、だけ…」
「そう……良かった…」
ぎゅっと掴まれた肩が、少し痛い。
”玲一が敵視する理由を……”
伊月さん、なんでそんなに俺のこと心配してるの?
なんで?と頭の中がいっぱいになる。
けれど、俺の考えが言葉になる前に。
「ごめん」と肩に置かれた手が離れた。
「…神崎さんの事が絡むと、つい…な………」
「……心配、だから?」
俺よりも頭1つ分高い、伊月さんの顔を見上げる。
「…俺は…」
俺は?
なんですぐに「そうだよ。神崎さんのことだからだよ」と笑い飛ばしてくれないんだろう。
「…一至君、…」
伊月さんの表情が変わり、何か重大なことを告げようとしている、ように俺には見えた。けれど。
「伊月さーん」
店側の扉が開いて、宮田さんの明るい声が廊下に響いた。
「オーナーから電話なんですけど、出られますー?」
「すぐ行く。ごめん、精算のことは後で言うから、レシート持ってて。こっちから戻って大丈夫だからさ」
伊月さんは何が言いたかったんだろう。
聞きたかったけれど、それも叶わず。
俺はカウンターを避けて伊月さんから一番遠いテーブル席へと座った。
緊張と動揺と期待で頭の中がおかしなことになっている。
神崎さんが変な事言うからだよ。
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