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第13話

「ありがとうございましたー」 俺の前でお客さんに向かって頭を下げているのは、カフェ側で働くスタッフの西仲君の声。彼は俺と同期で、人見知りの俺が気さくに話せる数少ない貴重な人材だ。 短い黒髪が彼の爽やかさを引き立てる。 「…疲れたな…今日、お客さん多くね?」 「だね。今のでやっと途切れた感じかな」 カフェと販売の店舗が併設しているうちの店では、時折カフェからお客さんを誘導してくることがある。西仲君のケースもそうで、食事を終えたお客さんがケーキを買って帰ったところだった。 「腰痛ェ…」 「お疲れ様。カフェのお客さん、回してくれると助かるよ。ケーキも売れるし」 「それはお互い様。お前、この前こっちに来た時オーダー取ってくれたろ」 「あの時は忙しかったからねぇ。でも、フロアってこっちよりもすっごい緊張する」 「慣れないことするとなぁ」 「フロアは若い女の子多いしさ。女子の口コミって広まるの早そうだから、粗相があったら、って変に緊張しちゃうよ」 SNSで呟かれたりした日には、居た堪れない。 「お前、女子受け良さそうなのに」 「西仲君の方が女子受けいいだろ……どう考えても…」 「うちは、ねーちゃんと妹がいるから、あ、こんな感じ?ってなるだけだって」 そういって謙遜する彼は、女性のお客さんから評判が良くてたまにご指名も入るそうだ。カフェのスタッフは女性の扱いが上手い人が多いんだよな。と考えていたら、ふっと伊月さんの顔が浮かんだ。 伊月さんも、女性受けいいもんなあ。 「女子受けが全てじゃねぇぞ、茅野。俺だってこっちのことわかんねぇし、未だにケーキの名前もちゃんと覚えてないしよ。フロアの方が派手に見えるけど、俺は結構お前とかいてくれて助かってるよ。後3時間、がんばろーぜ」 じゃーな、と手を振って西仲君はフロアへと戻って行った。 お互い様、か。 俺は伊月さんや尚之さんほど、この仕事に情熱は持っていないけれど。 こんな風に言われるとくすぐったい。俺にもできること、あるかな。 ショーケースのケーキを1つずつ並べ直しながら、仕事の話をしたあの日を思い出す。 そして、伊月さんの「幸せで居て欲しい」という言葉。 期待するのは怖いけれど、何もかも捨ててしまうのも嫌な気もしていた。しかし、過去の失恋経験から”期待したら傷付くだけだ”という考えが、ネガティブな俺の一部となって深く深く染み込んでいる。 俺はどう思ってるか。そう思った時に俺の頭に一番に浮かぶのはやっぱり伊月さんで。ふんわりとした甘酸っぱい気持ちにさせられる。 恋とも言えないほどの、ほんのわずかな甘さを帯びた好意。 それは例えば、今俺が並べている色鮮やかなケーキのような。 伊月さんと、また話がしたいな。 そんな期待を持ちながら伊月さんの店に向かったのだが、今日が早番だったことや、店が珍しく暇で早く上がれたものだから、いつもより早めについてしまった。 それでもいつもなら空いている時間なのに看板がCLOSEになっている。 おかしいな。急に休みになったのかな。 不思議に思って店の周囲を歩いていると、不意に路地の奥から人の声がした。どうやら揉めている様子。 片方は伊月さん。片方は知らない人だった。 「それじゃ、うちも困るんですよ」 これは相手の人の声だ。うんざりしたような声をしている。 「でも、それは俺の店を出た後の話でしょう?確かにその2人はうちの店で知り合ったかもしれませんけど。その後の2人がそっちで揉め事を起こした事をうちに言われましてもね」 「でもねぇ…。大体、そんなナンパするような客を放置しておくそちらのマナーもどうなんです?店の評判と質、落とすだけですよ?」 話の内容からすると、伊月さんのお店にいたお客さんが何かの理由をきっかけに仲良くなり。その次に訪れた店でトラブルを起こしたようだ。 それを伊月さんに文句言いに来てるってことか?あの人アホなのかな。 店でナンパする客を放置して文句を言われたら、神崎さんなんて出入禁止だよ。 商売人って大変だなぁ。あ、俺もか。 「うちは、基本的にはお客さんのプライベートには口を出さない主義なんですよ。勿論うちで揉め事を起こす人がいれば、俺だって言いますよ?けど、貴方の言ってる2人はうちで楽しそうに飲んでただけです。なら、逆に聞きますけど、貴方の店に客が来たとしましょう。その後、家に帰った2人が喧嘩した。貴方のお店にいる間に険悪なムードになったので、慰謝料払ってください。って言われたら、払うんですか?」 「自宅に帰った後はお客様の範疇でしょう。それとこれとは話が…」 「別じゃないだろ…?」 伊月さんの声が冷たく響き、さきほどまでの丁寧な言葉が突然タメ口に変わった。怒られていない俺までドキドキとしてしまい、ふと先日の伊月さんが蘇る。 「貴方は、ご自分で起きた店のトラブルを勝手に持ち込んで、「うちの店のケツを俺に拭け」って言ってますよ」 「…あ、貴方の、その言葉は脅迫ととってもいいですか!私は、ただ、貴方の店のマナーについて…」 「最初の話はそうじゃなかったはずだ」 有無を言わさず断絶する声。 どうしよう。つい聞いてしまったが、これは思いっきり立ち聞きだ。伊月さんの声は差ほど聞こえないけど、相手の恐怖の入り混じった声が壁に反響している。伊月さんって結構クールに怒るんだな。 「おかしな客がいたら、注意しますし、他の店に迷惑かけないようにして欲しいって言っておきますから。…俺、別に貴方を脅したいわけじゃないんですよ。分かって貰えませんかね?」 「そちらの言い分は、良く分かりました……。店に、持ち帰ります」 「そうして頂けると。あぁ、そちらの店のオーナーさんとうちのオーナー知り合いなんで、よーく言っておきますね。仲直りの印に…」 「……ぎゃっ!」 何の悲鳴だろう。伊月さんが暴力を振るうはずはない、とチラっと覗くと伊月さんは相手の手を握って握手をしている所だった。相当力を込めてるんだろうな、あれ。 「そろそろお店を開けないといけないので、失礼しても?あ、これ、俺の名刺です」 「…失礼します…ッ!」 ガタン、ゴロン!という音がした。相手の人が外に置かれたごみバケツでもひっくり返したんだろう。俺が立っていた場所の横から飛び出して走っていったのは、小柄な男の人で、俺に気が付いたがそのまま走り去って行った。 「あれ、一至君?」 その人に気を取られていたら続いて伊月さんが顔を出し、びっくりして体が跳ねてしまった。 「い、伊月さん!ごめんなさい、立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど…気になってつい…」 「あぁ…変なとこ見せてごめんね」 気にした風もなく苦笑した伊月さん。俺もホっとした。 「オープンの時間も過ぎちゃうし、困るんだよな。あぁいう変なのが来ると…」と、店の表に回って看板を出そうとした伊月さんが突然「しまった」と声を洩らした。 「…どうしたの?」 「いや…実は、足りない食材があってな。店を開ける前に買出しに行くはずだったんだけど、さっきの人が急に来たんで…」 どうやら準備中に突然押しかけられて時間を押してしまったようだ。 「じゃ、俺行ってくるよ。何買えばいいの?」 伊月さんは俺を見て暫し躊躇したが背に腹は代えられない状況なのだろう。 非常に渋い顔をしながら「仕方ないか」と呟いて、俺を店に招き入れた。 「ごめんね。今日は宮田も後1時間しないと来なくて…えーと…分かる範囲でいいから。これに書いてあるやつ、一通り買って貰ってもいい?数はそうだな…5あれば、なんとか。一至君、荷物持てそう?」 「大丈夫だよ、普段力仕事してるんだから」 「ソフトドリンクは1本あれば十分だからね。無理しないでいいから。…ごめんな、お客さんにこんな事させる事になるとは…」 伊月さんが大きく溜息を洩らす。 「平気平気。お店、どこでもいいの?」 「うん。一番近いとこでいいよ。コンビニ…じゃ揃わないか。スーパーかな、やっぱり。場所分かる?」 「携帯で調べるから平気。…伊月さん、そんな心配そうにしなくても」 子供じゃないんだから、と言いたくなってしまう。 「レシート、後で俺か宮田に渡してくれる?何かあったら店の方に電話して。後は…。あぁ、そうだ、帰ってきたら裏口、勝手に入っていいから。開けとくよ」 「わかった」 メモに目を通す。柑橘系の果物とソフトドリンクの名前がいくつか書いてあった。伊月さんの字だろうか?走り書きだけれど、きれいな字だ。何度も謝る伊月さんに「気にしないで」と何度も言いながら急いで買い物に向かった。 飲食店をやっていると急遽必要になった食材を買い足すことって結構ある。 伊月さんのところもお酒以外は自分で手配しているものが多いみたいで、営業時間の接客以外にお店の世話と外交業に食材の手配とやる事は山積みだ。 伊月さんの役に立てるのなら、こんなに嬉しいことはない。 一番近くの店ってどこだろ。 メモを仕舞い、立ち止まって携帯の画面に地図を表示させながら調べていると。 前方からやってきた誰かが「…一至?」と俺の名前を呼んだ。 知り合いかな、と顔を上げるとそこには神崎さんがいた。 神崎さんはいつも俺の事をからかうように「わんこちゃん」と言うけれど、そうではない時は俺の事を呼び捨てるのだ。 「あれ、こんばんは…」 「奇遇だな。仕事?じゃなさそうだな。デート?」 相変わらずなんでもそっちに結び付ける人だな。 「違います。伊月さんのお遣い。神崎さん仕事帰りですか?」 「その後輩の店に行くとこ。…何だ、玲一はお前さんに仕事を頼る程、切羽詰まってるのか」 渋い顔をする神崎さん。 「あー…いや…って説明してる暇なかった。すいません、俺急ぐんで」 そう言って神崎さんの横を抜けて行こうとしたのだが。何故か神崎さんが付いてきた。 「待った、俺も行く」 「お店行かないんですか?」 「行くけど。こっちの方が面白そうだからな。で?ワンコちゃん、どこ行くの?」 また呼び名が戻ってしまった。スーツ姿の神崎さんは手ぶらだ。鞄も持っていない。ちょっと迷ったけれど、人手はあった方がありがたい。 「一応スーパー探してますけど。食材と飲み物の買出しなんで…」 「メモとか持ってる?」 神崎さんにメモを渡す。神崎さんはザっと目を通してから。 「…。これ買うなら通りの向こうだな…。そこ、横断歩道渡るぞ」 「え、…はい」 普段のにやけたような雰囲気が一転。俺に指示を出し、歩く速度を上げた彼に倣って俺も急いで横に並んだ。 「店、そんなに忙しいのか」 横断歩道。信号を待つ間、赤く灯る信号を見詰めながら神崎さんが聞く。 「忙しそうですけど。今日は…ちょっと開店前にトラブルがあって、オープンが押しつちゃって。で、買い出しに行く時間がなくなったって」 「あいつにしてはらしくないと思ったら、そういう事か」 「…神崎さん、伊月さんのこと良く分かってるんですね」 「ん?まあ…付き合いが長いからな」 信号が変わり、会話が途切れた。神崎さんは躊躇なく歩くので俺はほぼついていく形だ。 神崎さんとスーパーってなんだか不釣り合い。 日常生活の匂いがしないんだよな、この人って。 関わりを持っておいてなんだが、俺はこの人のことをほとんど知らない。 一緒に映画は見に行ったし、食事もしたし、彼の家にも行ったこともあるのに、この人のことは今一つ分からなかった。

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