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【歩】第1話

銀を左前にひとつ動かして、柳小路成(やなぎこうじなる)は詰めていた息を吐いた。大して良くもないが、そう悪くない手だろう。 しかし、目の前に座った従兄からすれば、どうやらかなり酷い手だったらしい。 「成、おまえさぁ。」 従兄の―――河埜里弓(かわのりく)の地を這うような低い声に、成はビクッと肩を竦めた。 「何、今の。これ、どういうつもり?」 里弓から冷たく問われ、成は顔を上げられず、盤面に目を落としたまましどろもどろに答える。 「え、里弓兄がこう来たら―――」 「そんな所、打たねぇ。」 説明している途中で、里弓から容赦なくバッサリと切り捨てられた。ここで口答えせずに謝っておけば良いものを、成の性格ではそれが難しく、反射的に口が開く。 「でも―――、ここは止めておいた方が、」 「でも、じゃねえ。無意味。ムダな手、打ってんじゃねぇ。考えろよ。俺がここに打ったら、」 里弓が歩をひとつ前に進めただけで、盤面がガラリと変わった。即座に自分の失敗に気付いて、サッと血の気がひく。 「七手先には王手だ。逃げ切れねぇだろ。よくそんなんでプロになろうとしてるよなぁ。おまえ。」 ぐぅっ―――と、喉の奥が詰まった。反発の言葉が出そうになるが、イージーミスに何も言い返せない。 ―――くっそ、何が悪くないだ。最悪だろっ。 あまりの恥ずかしさと悔しさに、視界がじわじわと潤み出した。ここで泣いてしまえば、里弓からますますバカにされる。 「手が思い付かないからって、こんな適当に打ってんじゃ、プロになっても四段止まりだな。成は。」 涙が浮かんだ目でキッと睨むと、里弓が底意地の悪い顔で笑う。 「いくら俺を睨んでも、将棋は上手くなりませんが~。」 「分かってるよ!里弓兄の意地悪!」 「バカ言うなよ。俺の優しさが伝わらないとは、残念な奴だな。」 里弓が呆れたように言いながら、首を横に振る。 「里弓兄のどこに優しさが!?」 「苛められたいおまえに付き合ってやってるだろ?俺って、ほんと優しい。」 「ちょっと、人を変態みたいに言わないでよ!」 真っ赤な顔をして言う成に、里弓が可哀想なものでも見るように同情の顔をして見せる。 「立派な変態だろう。毎度毎度けちょんけちょんに言われてて、それでも俺とやりたがるんだから。」 「ちが~う!僕は、僕はただ、」 ―――昔のように、 言いたかった言葉は喉の奥に詰まり、成の口から出てこようとしなかった。文句ならいくらでも言えるのに、素直に問うことができない。 いつからか里弓との距離は開いたまま。今では、その距離がどれくらい開いているのかよく分からなくなっている。

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