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続・ねこになりたい/リーマン×擬人化猫耳
■この話は178~182話「ねこになりたい」の続編になります
ドンッ
転寝していた式は切れ長な目を見開かせた。
肌寒い夜。
玄関マットの上で人の姿で丸くなり、隹の帰りを待っていた。
今の、なんの音?
こわくていやな音だった。
黒猫耳の生えた頭にフードをかぶり、ぶかぶかのパーカーに包まった生足猫又はもぞりと起き上がり、閉ざされた扉をじっと見つめた。
車同士の追突事故だった。
自宅マンション近辺、隹はリアルタイムで事故現場に出くわした。
どちらに非があったのかは明確だったようで、道路脇で向かい合ったドライバー同士は比較的冷静に話し合い、一方が携帯電話で警察に連絡を入れていた。
多くの人々が横目で通り過ぎていく中、思わず足を止めて心配そうに様子を窺う数人の通行人。
片手にスーパーのレジ袋を提げた隹も立ち止まり、いやに険しげな視線を事故現場に向けていた。
巻き込まれた通行人はいなかった。
ただし猫はどうか。
ビジネスコートを羽織ったスーツ姿の隹はアスファルトに両膝を突き、ギリギリまで頭を屈め、ガードレール越しに注意深く車体の下を覗き込んだ。
再び立ち上がると周辺も念入りに見回す。
被害に遭った小さな動物の姿はなく、急いていた鼓動がいくらか落ち着いてきた、そんなとき。
「みゃ」
足元に目をやれば一匹の黒猫がいつの間にちょこんと座り込んでいた。
猫の姿になった式だった。
澄んだ瞳で隹をじっと見上げていた。
「お前近くにいたのか」
隹は今夜の晩ごはんが詰まったレジ袋とビジネスバッグを未練なく手放し、代わりに式を抱き上げた。
「大丈夫か? ケガしてないな?」
腕の中の黒猫に真剣に話しかけているリーマンに高校生カップルが擦れ違いざまクスクス笑った。
「それとも単なるお出迎えか?」
猫の姿の式はもちろん答えない。
ただ頻りに喉を鳴らして胸に頭を擦りつけてきた。
片腕で大事そうに式を抱っこし、他の荷物を纏めて片手で持ち、隹は帰宅した。
式は人の姿に戻ろうとせず、そして、隹から離れようとしなかった。
「重たいぞ、式」
お弁当を温めたり簡単なオツマミを作ったりしている間、ずっと肩に乗っかり、今度は顔に頭をグリグリ擦りつけてきた。
「ぐるるるる」
「今日はやたら甘えてくるんだな」
もしかしたら。
事故現場を目撃して過去の悪夢を鮮明に思い出したのか。
「しょうがないな、今日は特別に特等席を用意してやる」
お弁当やツマミ料理をダイニングテーブルに並べ、お膝の上に式を乗せ、隹は食事をとった。
意外と食い意地の張っている猫又に手渡しでごはんを食べさせた。
「みゃ、みゃ」
「コレ、おかわりか?」
「みゃ、みゃ、みゃ」
「そんなあれもこれも一度に食ったら喉詰まらせるぞ、腹ペコ猫」
「みゃっっ」
いつになく甘えたがりな式は隹に始終べったり。
入浴中もお風呂が苦手なくせに浴室の隅っこに居座り、トイレ中も扉の外でじっと待機していた。
「変な猫だな」
笑ってそう言いつつも、きっと心の傷の痛みがぶり返したんだろうと、隹は式の好きにさせてやった。
「隹、おかえりなさい」
天井の明かりを消してベッドに入れば隹の隣にすかさず潜り込んできた式。
猫の姿から人の姿へ変わると、隹の顔を柔らかな両手で挟み込み、随分と遅くなった「おかえり」を口にした。
「ただいま」
最低限の明かりに調節されたベッドサイドランプが寝室をうっすら照らしている。
些細な息遣いや衣擦れの音色が深夜の静けさにやけに大きく響いて聞こえた。
「今日はえらく甘えただったな」
上下スウェットの隹。
素っ裸の式。
本格的に寒くなってきた冬のスタート地点、全裸で眠らせるのも酷だろうと、あらかじめ用意していたパーカーを隹がとろうとしたら。
ぎゅっ
式にがむしゃらにしがみつかれた。
「やだ」
「お前の着る服をとるだけだ、式」
「行かないで」
黒猫耳をシュンとさせ、瑞々しい肌が薄闇に淡く艶めく両腕をしっかり回し、式は隹を離すまいとした。
隹は服をとるのを諦めた。
暖かい寝具の下で剥き出しの肩をゆっくり撫でた。
「寒くないのかよ」
「さむくない。隹がいるから平気」
隹の懐に深々と顔を沈めてフンフンと匂いを確かめる猫又。
肩からうなじへ、癖のない髪を梳き、大きな掌で黒猫耳を撫でる隹。
「こわかった」
ああ、やっぱりな。
一度死神に捕まったことがある式を安心させようと、抱き返そうとした隹だったが。
「隹、いなくなるかと思った」
予想外の言葉を耳にし、寝入り端にしては鋭い眼をおもむろに瞬かせた。
匂いを嗅ぐだけでは足りずに頬擦りしながら式は続ける。
「こわい、いやな音、聞こえた。おれ、自分がぐちゃぐちゃになったときのこと、思い出した」
何度聞いても胸が軋む式の死の表現に隹は目を閉じる。
「隹が、ぐちゃぐちゃになったら、どうしようって」
「俺が事故ったと思ったのか?」
「おうちに帰ってこなくなったら、どうしようって、このままずっと、おかえりなさいができなかったら、どうしようって」
「式」
「こわかった、さみしかった」
式は青少年の外見でシクシクと泣きべそをかいた。
スウェットをぎゅうぎゅう掴み、額をゴリゴリと押しつけ、差し出された長い指を甘噛みした。
「式、泣くなよ」
「みゃ……なみだ、かってに出る……うみゃ……」
「ちゃんと帰ってきただろ。今、お前の目の前にいるだろうが」
パクパクしていた指から唇を離し、もぞり、顔を上げる。
「独りにしないって言っただろ?」
間接照明の薄明かりを反射して鈍く煌めく青水晶に間近に見つめられた。
……隹、ここにいる。
……ちゃんとおれのそばにいる。
「……」
式は隹にキスした。
仄かに色づく唇が乾いた唇にぴたりと重なった。
ぺろっ
次は舐めた。
ガジガジと食んで吸ったりもした。
「…………」
珍しく積極的な式に隹はすんなり煽られる。
自分の唇に夢中になっている猫又の華奢な体を邪な手つきでなぞっていた、ら。
「ッ……おい、式」
思いっきり手の甲に爪を立てられた。
「痛ぇよ」
「やだっ」
「は……?」
「さわんなっ」
「お前な……自分から仕掛けておいて、ッ」
台詞の途中で、ちゅっ、ちゅっ、熱烈に口づけられて隹は眉根を寄せた。
触ろうとすれば容赦なく爪を立てられる。
どうも猫又はただただキスしていたいらしい。
「んっ……んっ……んっ」
式は隹とのキスが好きだった。
心身ともにリラックスできる交歓だった。
交尾までいくと、ちょっと、おっかない。
『もうやだ……もうはいんない……もういらない……』
『うそつけ』
『うみゃぁっっ……隹、の、ばか……っ』
始めれば何回も繰り返ししたがる隹に困り果てることもしばしばだった。
「んぷ……ん……ぷは……ちゅっ……」
横向けの隹にしがみついた式はむしゃむしゃ、はむはむ、ちゅうちゅう、隹の唇に無我夢中になる。
隹には拷問だった。
おさわり禁止されて受け身でいるしかない状況を呪った。
細身で柔な体など簡単に押し倒せる。
最初は嫌がっても済し崩しで連続交尾にホイホイもっていける。
でも今夜は。
『このままずっと、おかえりなさいができなかったら、どうしようって』
いとおしい猫又の気が済むまで。
とことん好きにさせてやった。
「……んぷ……ふ……すぅ……すぅ……」
「……寝たのかよ、ワガママ猫め」
生殺しの夜は式の寝落ちで閉ざされるのだった。
「式、もしも外に出るなら注意しろよ」
「うみゃ……今日……ばんごはん、なーに……」
「まだ朝飯も食ってねぇだろうが」
翌朝、ベッドでうとうとしている式に苦笑し、おでこにキスし、身支度が済んでいた隹は玄関へ向かった。
もうすぐクリスマスか。
今年は特大ツリーでも飾ってやるか……。
「いってらっしゃい」
腰を下ろして革靴に足先を馴染ませていた隹は振り返った。
だぼだぼのパーカーを羽織ってチャックをきっちり閉めた生足猫又がいつの間に真後ろにいた。
「晩飯、何がいいんだよ?」
「お肉」
「大雑把だな」
玄関床に降り立った隹は猫耳頭を無造作に撫でて「いってきます」と告げた。
なんでもないようなありふれた朝の挨拶。
それでも。
どこへ行ってもおうちに帰ってきてね 。
どこへ行っても必ず帰ってくるから 。
我知らず言霊を込めて。
ほんの束の間の別れでも再会を夢見る二人。
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