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第13話
「な、ぜ…、なに…が…ッ、ぁあ…!」
痛みの中、統夜は地下鉄でこの男に遭っていたことを思い出した。
男は確かに統夜を見ると、ノアールの上から立ち上がり、統夜の方へ音も無く動き出した。
影が、動くようだった。
「…な、…んだ…」
痛みで朦朧としながら、統夜は男を見た。
男は、統夜の元まで現れると、統夜の首を掴み、木に押し付けた。
「ぐっ…」
男の革手袋が鳴った。それを間近に聞く統夜は意識が遠くなりかけていた。
「哀れな…。…神よ、どうかこの迷える子羊を救い給え」
そう言って天を仰いでいた銀の瞳が、統夜を見た。
「あの悪魔を抱いたのか。どうだ、その引き換えの痛み」
静かに、男は統夜に告げ、十字を切る。
「…ノ…」
息も吸えぬまま、統夜は声を出す。
男は、静かに見ていた。
「…ノアール…を、殺すのか」
声が出ていたか、否かわからなかったが、統夜はそう言っていた。
男は、目を細める。
「…させない…」
震える手で、男の手を掴む。同時に、何かが触れた。
鎖のような。冷えた感触。
「神よ…」
男は、祈りの続きを唱えた。
「神よ…この迷える子羊を救い給え」
革手袋が、耳元で嫌な音を立てる。
統夜は、苦し紛れに男の胸を掴んだ。
「はな…せ…」
男の唇が静かに動いている。
男は呪文のように祈りの言葉を紡いでいたが、その声は統夜の耳には届かなかった。
胸の焼けるような痛みが増していく。
再び、胸元から煙が上がった。
「や、…めろぉ…!」
握りしめた男の胸ぐらを、引き剥がそうと振り上げた瞬間だった。
衣が裂ける音と共に、煩く響いていた祈りは止まった。
「!」
呼吸が楽になり、統夜は咳き込みながら、倒れ込んだ木立に縋って、男を見た。
男の黒装束が破れ、肌が見えた。
白い肌に、痣のような、何かが見えた。
何処かで見た、ケロイドの様な十字。
「俺と…同…じ…?」
統夜は己の左胸を押さえた。
男は、統夜の指摘にも表情一つ変えず、胸の傷跡も隠す素振りは無かった。
「まさか…あんたも…ノアールを…?」
ならば、なぜ。
男は、着衣の乱れを直し、胸の前で十字を切った。
「私は不死と成り果てたが、神の従僕。…お前とは違う」
男は否定を口にしたが、統夜には意味がわからなかった。
「違う…?…何が違う!あんたも、彼を抱いたんだろう…!」
その証が、胸の十字ではないのか。
男は、踵を返し、統夜に背を向ける。
「おい…!」
「…こう言えば分かるか。あれは姦淫を以て不死を与えるものだ。私は、奴を追うために、そうしたまで。行為に基づくものなど、何もない」
男は、言い終わるなり、闇の中へ消えていく。
「おい…!」
統夜の呼びかけにも振り返ることはなかった。
男の下に組み敷かれる華奢な身体。
「レイプ…したのか」
統夜は拳を握った。
奴を追うために、そうしたまで。
男が去った後を探したが、闇の中にはノアールを見つけることはできなかった。
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