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第2話

 煤で黒く光った大梁から吊るされた縄がギシリと鳴った。薄闇にぼんやりと浮かぶ柔肌に食い込んだ縄が喘ぎと共に捩じれていく。両手を頭上に、そして片足を上げたままの姿。 目の前には最愛の男の眼差し。火照った肌は赤みを増し、わずかな動きで揺れる蝋燭の儚げな炎が淫らに求める身体を障子に映し出す。 「み……見ない、で……」  唇を震わせて声にならない声で切願する。しかし、和武の鋭い光を湛えた瞳は揺らぐことはなかった。  冷たい板の間についた心もとない雅の爪先から甘い痺れが這い上がる。  それはまるで、鎌首を擡げた蛇が長い舌で体から発する熱を探るかのように足首から腿、そして不自然な体勢を強いられた白い体に巻き付いて来るかのように錯覚する。  古い屋敷ではあるが、雪の声も聞こえ始めたこの季節に蛇などいるはずもなく、その正体が彼の視線だということに気付くと、すでに形を変えている中心からつつっと透明の甘蜜が溢れ落ちた。 「あぁ……。いやぁ……はず、か……しぃ」  存在感を放つ視線から逃れるように目を伏せ、顔を背ける。  ふと、静寂が包む部屋の空気が揺れた。 「――綺麗だよ、雅。この世の何よりも綺麗だ」  琴の弦を弾いたような澄んだ、それでいて上品な低音が鼓膜を震わせ、白い腰がビクンと跳ねた。 「そのままイッてごらん……」 「やっ……そんな、こと……っ」 「この部屋にいるのは俺とお前だけだ。他に誰がお前に触れるというんだい?」  端正な顔立ちの男は、淡い鼠色の一重の着物の襟に手を添え、正座したまま筋肉質な背筋を正した。  二人の関係はと問われれば――“恋人”と即答出来る。  しかし、皆が思うものとは違い、少しばかり歪んだものだった。  互いが求めたのは――縄。そして……束縛された愛。  どちらかが欠けても成り立たない。縛る方と縛られる方。  痛みと傷、それを凌駕する快楽と愛情。  決して無茶なことはしない。血も流さない――それが暗黙の誓いだった。 「触って……下さい」 「もう、触れているよ?私の手を感じない?ほら……滑らかなお前の肌は吸い付くように私の手を誘う。薄っすらと桜色に染まった体から香るのは麝香。その香りに引き寄せられた私は雄鹿というところか」 「はぁ……。貴方の手が……」 「目を閉じてごらん」  求めて止まない和武の姿が雅の震える瞼の陰に消えた時、ゾクリと背筋が震えた。  研ぎ澄まされた感覚が、障子の隙間から忍ぶ湿り気を帯びた風を感じ、吊られている足の先にふわりと絹をかけられたような柔らかい温もりが広がる。  部屋の誂えた数本の燭台で揺れる蝋燭の熱が、燻されたままの体をより昂ぶらせる。 「あぁ……はぁ……ぁぁっ」  縄のラインをなぞるように彼の長い指が滑っていく。傾けられた首筋から肩、肩甲骨の形を確かめるようにしながら脇腹へ流れ、腰から臀部へと落ちる。  それは秋の清流に流される紅葉のように、短い季節を嘆く、儚くも優雅な動きだった。 「いや……あぁ……もっと、触れ……て。淫らな……茎に……触れて」 「お前の茎は触れずとも、先程から蜜を垂れ流しているじゃないか。生まれたままの姿を留めたその場所が紅葉のように赤く、今にも散ってしまいそうなほど揺れているよ」 「言わないで……。貴方の……声、香り……。冷たい指先の……感触が……」 「俺の息遣いを感じるだろ?ほら……お前のすぐ後ろにいるよ」 「あぁ……っ」  ゾクゾクと這い上がる甘い痺れに思考が麻痺してしまう。  広げられたままの後孔を指先で撫でられているようで、腰をぐにゃりと捩じると、締めあげた縄がギシギシと音を立てた。  この音こそが自身を縛る愛の音……。 (愛されている……。貴方の全てを感じる)  幸福感に満たされながら、籠った熱を吐き出すように吐息する。  胸が苦しい。高揚感に支配される。  空虚な蕾に灼熱の楔を埋めて、この淫らな体を満たして欲しい。  求める最愛の男の全てを自分の中に取り込んでしまいたい。  そして、ひとつになりたい。 「――あぁ、お願い。イ……イかせてっ」 「おねだりが上手くなったね。その綺麗な尻を振ってもっと誘ってごらん」 「あ……来て。早く……欲しい……っ」 「お前が感じる場所――茎の先端の鈴口に爪を立てられるのが好きだったね。少し痛いくらいの方が気持ちがいいのだろう?」 「あぁ……ダメっ。そこは……あぁっ」  根元を縄で戒められた茎がビクンと大きく跳ねた。  飛び散った蜜が蝋燭の揺れる光の中で朝露のように光る。  床についた爪先が震え、籠りすぎた熱を吐き出したくて腰が自然と揺れる。 「やぁぁ……きも、ち……いいっ」 「イッてごらん。俺が見ていてあげるから……。お前の熱を放ってみせて」 「あぁ、あ、あ……っ。や……イ、イク……っ」  腰にわだかまっていた甘い熱が一気に全身を駆け巡り、熱の塊が出口を求めて隘路を駆ける。 髪を乱して、目を閉じていても瞬く光の輪を振り払い、真っ白になっていく意識に陶酔する。 「イ……イクッ!あぁぁぁ……はぁ……んっ!」  細い腰をくねらせ、顎を上向けて獣の咆哮のように声を上げる。  隘路を駆け抜けた熱が一気に放たれ、腿が小刻みに痙攣する。  後ろの蕾も、まるで何かを食んでいるかのようにきつく締めつける。  パタ……パタ……と板の目に質量のある白濁が飛び散った。  それを聖なる物でも見るかのように、和武は恍惚の表情を浮かべたまま薄い唇を緩ませた。 「はぁ……はぁ……」  飾りを尖らせた胸を大きく喘がせて項垂れた恋人をしばし見つめ、和武はゆっくりと音もたてることなく立ち上った。  触れずとも熱を放つ雅の柔肌を舐めるように背後に回り込むと、腰に食い込んだ縄に指を差し入れた。 「あぁ……っ」  吐息交じりの喘ぎが耳に心地いい。グッと縄を引き寄せ、薄っすらと汗ばんだ背中に唇を押し当てる。 「綺麗だ……。私だけの四季……」  春のように麗らかな笑み、夏の日差しのような強い意志。  そして秋の風のように心を揺さぶり、冬の澄んだ空気のように清らか。 「あ……愛して、ください。私を……ずっと」 「もちろんだよ……」  暖房設備もない冷ややかな部屋の空気が、肌を徐々に冷やしていく。  この熱が完全に冷めてしまう前に、もう一度温めてやろう。  今度こそ、朝まで閨を冷やさないように抱きしめていよう。  きつく結んだ縄の結び目を掴み寄せ、自身の昂ぶりを痙攣を繰り返す腿に押し当てる。 「――目を開けて。ほら、俺はここにいるよ」  涙に濡れた長い睫毛を震わせて瞼が上がる。  背後に感じる愛する男の香りを肺いっぱいに吸い込んで、細く息を吐く。  腿に押し当てられた着物越しの熱い楔の存在に、期待と悦びを込めてふわりと微笑んだ。 「自我を押し留めて、私をイかせるなんて……。どこまで溺れさせる気ですか?」 「絶頂を迎える瞬間の表情ほど美しいものはない……。それを見るたびに俺はもっと束縛したくなる。もっときつく締め上げて、解けないほどに雁字搦めに絡ませて……」  耳朶を食みながら紡がれる言葉は、羞恥よりも愛情のベールで包まれていくようで心地いい。 (もっと聞かせて……。私はもっと綺麗になる)  首筋にキスを繰り返しながら解かれる縄。締め付けていた戒めがやんわりと緩み始めると、冷えた双丘に熱い楔が突き込まれる。 「はぅ……っ」 「冷えた体が火照るまで交わろう……。愛するひと……」  潤んだ蕾に突き込まれた楔を嬉々と食み、全身に熱が注がれていく。  凛と冷えた真冬の夜――。  歪な愛情が紡ぐ夜咄は終わらない。

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