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8受験と仕事と卒業と

 真空さんたちが卒業して受験生になった俺たちだが、何とか無事に受験を終えることができた。  俺は第一志望校への入学を決めることができた。とはいえ推薦で受かり、十一月には合格が決まっていたため、和泉や雫と比べれば楽だったといえる。  和泉は国公立志望だったため、五教科の勉強をしなければならないうえに、二月の終わりまで入試があって本当に大変そうだった。あの和泉が二月頃にはノイローゼ気味になっていたくらいだ。  まあ、入試が終わった次の日には「なんか僕、受かった気がする〜」と呑気に笑っていたし、結局受かったのだが。  雫も雫で大変そうだった。雫は小深山先輩の行っている大学を目指していたが、偏差値が伸び悩み、模試の判定はいつもD以下。  そんな彼はそりゃあもう病みまくっていた。「俺なんてどこにも引っかからなくて、たとえ浪人しても全落ちして、高卒で就職してそれも上手くいかなくて、このまま落ちぶれていくんだ……」と泣きべそをかいていたのは一度や二度の話ではない。  だが、雫は第一志望だった小宮山先輩の大学こそ落ちたものの、第二志望の大学には無事受かっていたので結果オーライだ。  渉? 渉は……専門学校に進学するとはなから決めていたため受験勉強は一切せず、試験にも舞台祭等で作った衣装を持っていき、案の定難なく受かっていたため別枠だ。  というかあいつは仮にも受験生だったにも関わらず、SNSを駆使しコスプレイヤーとして大量のフォロワーを獲得するのに飽き足らず、動画配信まで始めやがった。俺たちが必死こいて勉強しているのを横目に。  彼は動画配信サイトでは、コスプレ云々は全く関係ないゲーム配信をしているらしい。非常に楽しそうで羨ましい。こう見えて俺もゲームの腕には自信があるから、仕事落ち着いたらゲーム配信始めてみようかな……。  ともあれ、全員の受験が無事終わり、また全員の進学先が都内だったため、環境は変わるものの大して離れずに済みそうだ。  そして今日は、卒業式の前日だった。 「な、学校探検しようぜ」  発端となったのは、雫のそんな馬鹿な言葉だった。ホームルームが終わり、感傷に浸りながら――いや格好をつけた、正確にはこの後の仕事について考えながら――窓の外を眺めていた俺に、雫がにまにまと言ったのだ。 「は? 学校探検? 何言ってんのお前」 「だってさ、明日はもう卒業式で、ゆっくり学校の中見て回るなんてことできないだろ? だから、最後の学校探検行かね?」 「俺はめんど――」  面倒くさいからパス、と言おうとしたら、それを遮って和泉が 「いいね! 行く行く!」  ときらきらした笑顔で答え、渉が 「俺もー。な、平太、お前だけパスなんてしないよな?」  と俺の肩を組みながらにやにや笑った。悲しいことに退路を断たれてしまい、俺は渋々「……まあ」と頷いた。 「うわー、懐かしいなこの教室! な、平太!」  渉が大声を上げながら俺の方を振り向く。今俺たちがいるのは1-Dの教室、すなわち俺と渉が一年間過ごした教室だ。 「いや、教室なんてどこも変わんねえだろ……」 「変わるだろ! 窓からの景色とか! うっわこここんな眺めだったっけ……」  渉は何やら感動した様子で窓から身を乗り出しているが、さっぱり理解できない。教室なんてどこも同じだろうに。  それよりも教室の中に残っていた後輩たちが「何でこの先輩らこんなところにいるんだ……」という表情で俺たちを見ていることの方が気になる。若干居た堪れない。 「お前は懐かしくないのかよ、高一の時のこと」 「いや、いちいち過去振り返ってどうすんの?」 「相変わらずドライなやつだな! 何でこんなのが天使みたいって言われてんのかマジで理解できねーわ」  渉の言葉に思わず苦笑した。最近俺は「王子様みたい」を通り越して「天使みたい」だと言われているらしい(俺自身はエゴサを全くしないため、友達やマネージャーなどにそう聞いた)。  その評価は俺自身が一番納得できていない。まあ確かに、仕事中はかなり気合を入れて猫をかぶってはいるが、それにしたって天使って……。  俺が苦い顔をしていると、雫がやれやれと言いたげに肩をすくめた。 「平太は良くも悪くも演技が上手すぎんだって。息をするように猫かぶれちゃうもんな。騙されてる周りの人たちがかわいそうだわ」 「それは僕もちょっと思うかな……」  雫のぼやきに和泉まで同調し始めた。雫や渉はともかく、和泉にまでそう言われると何とも言えない気持ちになる。 「まあとにかくさ、そんなドライなお前でも昔が懐かしくて堪らなくなる魔法をかけてやるよ」  突然渉がそんなことを言ってきたため、俺は思わず首を傾げた。が、渉はそんなことを気にも留めずに俺の手を引っ張り、左端の一番前の席に俺を座らせた。 「え、なに?」 「ここさ、平太が一番最初に座ってた席だろ?」 「だから?」 「ここ座って、思い出してみろよ。お前の大好きな先輩と出会ったばっかりの頃」 「思い出すったって……」  眉をひそめながら窓の外を向いた俺だったが、「あ」と思わず声を上げてしまった。  覚えてる。思っていたよりずっと鮮明に。  窓の外を見たら不意に、体育の授業中の真空さんの姿が校庭に浮かび上がってきた。退屈な授業はだいたい聞き流して窓の外を眺めてて、真空さんを見つけたらその姿をずっと眺めてたんだっけ。  何でそんなことを覚えているのかは分からないけど、体育の授業中、サッカーボールを蹴って華麗にゴールを決めた真空さんの姿を覚えている。  俺、最初のうちは真空さんが好きだってことにも気付かないで、気付いた後もしばらくは小深山先輩との仲を勘違いしてて、悶々としてたんだっけ。  懐かしいな。今となっては、あの頃の片思いしていた時の記憶さえ、大切な宝物の一つだ。 「懐かしくて堪らなくなっただろ?」  俺の隣の席に座り、得意げに言う渉。うんと頷くと、渉は「やっぱお前、先輩大好きすぎるだろ」と笑った。 「当たり前だろ。真空さんはさ、出会っただけで俺の人生を百八十度変えちゃったんだよ。今俺が持ってるものって、真空さんに出会えなかったら手に入れられなかった物ばっかりだし。芸能活動なんかその筆頭」 「そうなん?」 「そうだよ。俺、真空さんに俳優向いてるって言われなかったらそもそもスカウト受けてないし」 「ふーん。まあ確かに、昔は安定した会社に就職するのが夢って言ってたもんな、平太」  その通りだ。高校一年生の時の俺は、自分が芸能界に入ることになるなんて思ってもみなかった。未来に夢も希望も特に持っていなかったから、安定した人生が送れればそれでいいか、と考えていた。  それが、たった数年でここまで人生が変わるなんて不思議だ。しかも、たった一人の先輩と出会ったことがきっかけで。 「懐かしいな……」  真空さんのことを思い返しながら呟く。渉も同じように、懐かしげに目を細めていた。  少しだけ、入学したての頃にタイムスリップした錯覚を覚えた。 『――お前さ、外部生だろ?』  何の前触れもなく声が脳裏に浮かんで驚いた。渉は最初、俺にそう声をかけてきたんだっけ。  俺は確か、そうだけど、とか若干警戒しながら答えて、そしたら渉はやっぱりな、見たことない顔だと思った、なんてうんうん頷いていたはずだ。その後渉が、 『せっかく隣になったんだし、これから一年間よろしくな』  なんて笑顔で言ったから、高校では友達は作らなくていいかと思っていたのに、その考えを早々に投げ捨てたことを覚えている。  本人には言わないし、いつもは散々にいじってばかりだけど、俺は渉のことも結構大好きなのだ。真空さんほどじゃないが。こいつと友達でよかったな、としみじみ考えた回数は数知れない。もちろん和泉と雫だってそうだ。  ちなみにその和泉と雫は、早々に飽きて別のことを話すどころか、とうとうあっち向いてホイをやり出してしまった。学校探検を言い出したのは雫だった気がするんだが。  青い空の日差しが目に痛くて、俺は思わず目をすがめた。今日は三月にしては晴れてるなと考えていると、和泉が「わあ……!」とはしゃいだ声を上げて駆け出した。 「僕、六年間ここに通ってたけど屋上って初めて来た!」 「まあ、屋上って本当は立ち入り禁止で鍵かけられてるからな。どっかの誰かさんは先輩と使いまくってたみたいだけど」 「え? 誰のこと?」 「お前しかいないだろ」  渉は呆れ顔をしている。俺は黙って肩をすくめた。  学校探検も終盤に差し掛かって、最後に俺たちが行ったのは屋上だった。  屋上は渉の言った通り、普段だったら鍵をかけられている。俺と真空さんが使えていたのは、真空さんが小深山先輩のツテを使って鍵を借りていたからだ。そのため、俺も真空さんが卒業してからは一切屋上に行っていない。行く理由も特になかったし。  今日俺たちが屋上へ行けているのは、生徒に甘い先生を見定めて、必死におねだりしたからだ。先生は「まあ、卒業前最後に行っておきたいっていうなら、仕方ないか……」と鍵を貸してくれた。 「最後の授業の日に友達と屋上行くってさ、何かすごい青春っぽいよな」  雫が他人事のように呟くから、俺は口を挟んだ。 「っぽいじゃなくて青春なんじゃね、たぶん」 「そっか、青春か……うわやばいな、俺ら今、青春してんだぜ」 「何言ってんだよお前」 「だってさ、やばくね? 十八になるまで生きてるだけですげーって思ってんのに、青春までしちゃってさ」  雫は遠い目で呟く。気持ちは分からなくもない。以前はお互いに、明日を生きるだけで精一杯だったから。 「青春ねえ……」  青春っていうのはよく使う言葉だけど、その定義は曖昧だ。一体何が青春で、何が青春じゃないんだろう。  そんなことを考えていたら、不意に雫が呟いた。 「俺たち、もう明日卒業しちゃうんだよな」  雫のその言葉を聞いてか、二人でわいわい騒いで屋上を走り回っていた渉と和泉も足を止めた。 「みんな都心の学校に進学はするけどさ、全然違う学校じゃん。渉に至っては専門だし。そうなったら俺ら、今まで通りに仲良くできんのかな」  俺は言うべき言葉が見つからなかった。目を背けていたけどそうだ。俺たち、もうこんな風に馬鹿騒ぎできなくなっちゃうのかな。 「確かにみんな環境が変わっちゃうから、今まで通りっていうのは無理かもね」  和泉ですらそんなことを言うから、俺たちの空気はさらに重くなった。けれど「でも!」と和泉は言葉を重ねた。 「今まで通りじゃなくて、今まで以上になればいいんだよ。それぞれ違う環境で頑張ったら、みんな同じ環境にいる今よりもずっと視野が広がっていいと思うんだ。そしたら僕たち、最強の友達になれるよ!」  和泉の表情は邪気の全くない明るいものだった。俺たち三人は顔を見合わせた後、何だか笑ってしまった。 「何で笑うんだよ!」と和泉がむくれる。ますますおかしくなって笑っていたら、彼はとうとうわざとらしくそっぽを向いてしまった。  慌てて和泉のご機嫌を取りにかかる渉を見ながら、俺と雫はしばらく笑っていた。卒業して、お互い違う環境に置かれても、俺たちならきっとこうやって笑っていられるんだろうな。そんなことを感じながら。  卒業式前日はそんな風に過ぎて行った。そして卒業式当日は予想通りに過ぎていって、まあ特筆すべきことはほとんどなかった。  強いて言うなら、俺がちょっとだけ泣いてしまったことだけだ。それも周りなら気付かれなかったためノーカンである。  だって、仕方ないと思う。俺にとってこの学園には、あまりにも思い出が多過ぎるから。  そうして櫻宮学園での学校生活は終わりを告げ、俺たちはそれぞれ新しい環境へと足を踏み入れることになった。

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